デリシャスティック



 テーブルに、スーパーの名前の入ったビニール袋をがさがさ言わせながらその中身を広げた。
 昨日うちに来るとはじめから連絡があって、どうしてかお米をたくさん炊いておいてほしいと言われていたのだ。
 一人暮らしとはいえ、まとめて炊いて冷凍保存するぶんわたしの炊飯器はきちんと三合炊きのものを使っている。安くてありふれたやつだ、今は一人暮らし用にもっともっと少ない量、一合炊きとか、の炊飯器もあるけれど高い。それにはじめと付き合うことになったら三合炊きは意外に小さくすら感じるので、買っておいて良かった。
 はじめは上機嫌にわたしの好きなタピオカミルクティーとクッキーの箱とおせんべいとココアの粉の缶を並べた。続けて、脂身が多くてつやつやとした豚肉、ビニールの上にきちんと国産のどこで育ったみたいなきらきらのシールが貼ってある、を出す。正方形のプラスティックのおおきなトレーに綺麗に並んだ豚肉の横に、よくキムチが入った瓶を置いた。
 時間を合わせておいたので、炊飯器からはふつふつと音がして、お米の匂いが立ち上ってくる。もう一人暮らしを始めて、使いだして何年も経っているせいで炊飯器は実は壊れかかっていて、お米を炊くたびに終盤変な音が鳴る。ちょっと焦げ臭くもなるけれど、味は特に変わらず使えているので、結局買い替えるタイミングを失っているのだ。テーブルに並べられたタピオカミルクティーの付属のストローを突き刺してわたしは勝手にそれを飲んだ。

「お米、すぐ炊けるよ」
「よっしゃ」
「フライパンの場所分かる」
「……えっ、どこだ」

 大中小の深い鍋とフライパンの収められた引き出しをはじめと覗き込みながら、甘ったるいミルクティーと味のないおもちみたいなタピオカを噛み砕く。はじめが一番大きい鍋を手に取って、コンロの横に置きっぱなしだった取っ手をくっつけたあとで腕まくりをした。タピオカミルクティーを半分ほど飲んだわたしに「デザートのつもりで買ったんだけどなあ」と零したあとで。わたしは手刀を切るようにして「そういうことか」と答えて、でもまだ口をつけて離さないまま、どんどんと飲み干した。ストローに口をつけていないと、顔がだらしなく綻んで止まらなくなってしまいそうだったから。
 椅子に腰かけて、作り置きしていた緑茶をコップに二人分注いで、彼が黙々と菜箸で大鍋に豚肉とキムチをいれる背中を見ていた。じゅわぁぁぁ、と肉の油が溶ける音がして、油をひかないでいいのだろうか、と思ったけれど、あまりにもきちんとしたお肉だったからいらないのかもしれないと思い直した。本当は、はじめは別にそういう何事かを考えているわけじゃないのだろうけれど。
 お肉を菜箸で何度か混ぜた後で、瓶のふたを簡単に慣れた手つきで開けて、中身を容赦なく入れた。にんにくだとか辛みだとかそういう絶対的な美味しさの匂いがお肉の少し焦げた匂いと油の匂いと混ざっていく。換気扇を回してほしくて立ち上がると、はじめが振り返って、目線だけで「何」とわたしに問いかける。手出し無用ということだろうか、くちの端を上げたまま、上を指さして言葉を重ねた。

「換気扇回して、上にあるから」
「……うお、忘れてた」
「がんばれー」
「オレこれは自信あるからな」

 換気扇の音と、はじめが豚キムチを作る音を聞きながら、テーブルに置かれたクッキーの箱とおせんべいの袋を端に避けた。
 そういえば豚キムチを家で作ったことは無いかもしれないし、そういうのは男の人のほうが好きなのだろう。一人暮らしは食べ物を作りすぎるの厳禁だと思っているからこういう料理を大鍋で作ることもしない。そっと炊飯器の方に目線を向けると、もう保温のボタンにランプが赤く灯っている。
 あつっ、と言いながら、鍋の中をかき混ぜたはじめの首筋を見て、ストローを吸い込むと、中身はもうなくなっていた。ずずっという強い音がしてわたしはいつの間にか無くなっていたそれを左右に振りながら立ち上がる。

「お米よそっていい?」
「いいよ」
「おいしそう、辛くない?」
「オレも食えるし、大丈夫だろ」

 はじめのお椀は大きくて、わたしのお椀は小さい。ふたつのお椀に、甘いつやつやの、少し硬めに炊いたお米をふわりと盛り付けた。
 いつの間にかコンロの火を止めたはじめが豚キムチを乗せるお皿を探して狭いキッチンをうろうろしている。わたしが立つと狭いなんて思わないのに、背が高くて体格も良いせいでやけにせまっ苦しく見えるのだ。
 きっと変にからかわれるから今は抱き着かないけれど、二人分の平皿にいそいそと豚キムチを盛り付けるはじめの生真面目な横顔をちらり、と見る。抱き着きたいな、可愛いな、単純にそう思いながら、でも思っていない顔で、箸置きとお箸と、そしてあたたかい炊き立てのご飯を並べる。
 ミルクティーの味が口の中にふわふわと残ったまま、明らかに胃が疲れそうな、でも抗えない単純な美味しい匂いのそれがテーブルに置かれてすべてがきちんと揃っていく。

「でもさ、急にどうしたの」
「この前話してたら食いたくなってさ」
「いや、なんで家で作るのかなって思って」
蘭子に作ったこと無かったから」
「そっか」

 ふわふわ、辛そうな匂いが立ち上っている目の前で、わたしの「そっか」という声が一緒に消えていく。嬉しいという気持だけが濃縮された声がはじめに届いているのか分からないまま。
 二人、向かい合ってそれしかない淡白な食卓で手を合わせていただきますをして、箸をつけた。真っ赤になった豚肉と白菜を一緒に口に入れると、ちょっと酸っぱくて辛くて、でも当たり前に美味しかった。

「美味しいね」
「だろ」

 満足げにそういって、お米をかき込むはじめを上目で見ながら、今度はお米を口に運ぶ。
 全然違うペースで減っていく二つのお皿、口の中で広がる久しぶりに食べる味、つけっぱなしの換気扇の音が部屋に響いている。
 ふたりでこうやって何度も食事を繰り返している筈なのに、はじめが作ってくれるだけで何かが違う感じがした。いつもはわたしがはじめの身体のためになにかしているという驕りが、自信みたいなものがあったけれど、今日は違う。
 はじめが選んだものがわたしの身体を作るのだ、ちょっと油っぽいお肉をお茶で流し込みながら、これも悪くないと思った。

蘭子、米炊くの上手だな」
「そう?でもはじめの好みには合わせてるかも」
「あぁ、だからか」

 あっという間に半分以下になったお米を見詰めながら、結局わたしたちは二人で作りあっているのだと分かった。別に片方が作ってるだけでもいいのだけれど、こうやって細やかな物事で寄り合ってくっついていたい。見た目にわかるべたべたとかいちゃいちゃじゃなくて、気付かないうちに出来ているルールだとか自然な生活みたいなこと。
 「たまにはこれ作ってよ」とわたしが言うと彼が「勿論」と自信ありげに言いながら、お米をおかわりするために立ち上がった。はじめの後姿、綺麗なつるりとしたうなじを、髪の生え際を、首の下のぽこりとした骨をじっと見つめる。
 わたしにはちょっと量の多い豚キムチも今日だけは多分食べきれる、そんなことを考えながら。
 最初に盛ったのと同じくらいの量のご飯を盛って戻ってきたはじめとばちり、と目が合って、でもお互い特に何も言わなくて、またお互いのペースで箸を伸ばす。
 わたしとはじめはひとつになれないから、二人のまま、一秒でも長く、この関係が続いていけばいい、久しぶりにそんなことをきちんと真剣に祈って、脂身の多い肉をゆっくりと噛んで、飲み込む。