絡まり揺蕩う花片の下



 ソファーの後ろに立って、ぴょこんと上向きに跳ねた三つ編みをまとめている真っ黒のヘアゴムを摘んで引き抜くと、座ったままの条が振り返って怪訝そうに眉根を寄せた。
 携帯を触っている条の表情や、指先の動きが如何にも現代っ子だと感じる。大きな年齢差があるわけでもないのに、全く違う生命体に感じるのは、どこを隠したって端正で大人びた顔のせいだろうか。
 あと五、六年したら顔と年齢が追いつくだろうというような顔立ちと、眠たげな瞳に緩みやすい口元、感情を隠すのがへたくそな条。大きな、綺麗な、お子様だ、と言ったことはないけれど、思った後で、だから何もかもを許してしまいたくなっているのかもしれないと分かる。
 大概、わたしは彼に甘すぎるのだろう、けれど、条を見て甘やかさないでいられる人間がいるだろうか、とも考える。
 はらり、と落ちた肩を少し過ぎるくらいの黒髪と、居心地悪そうにわたしの人差し指にひっかかる黒いヘアゴム、条の目。携帯を音も立てないで、画面を下向きにして条は自分の身体の横に、ソファーの隙間に埋もれないように置いた。
 そのまま、膝立ちをするような恰好をしてわたしに身体を丸ごと向けると、目線の高さは簡単に同じくらいになってしまう。わたしは立っていて、彼はソファーの上に膝立ちになっているのに理不尽だ。
 先程までは何かの心細い尻尾みたいに揺れていた彼の髪が肩で揺れて、彼の目はわたしを捉えて離さない。唇をじんわりと緩ませたまま手を伸ばした条が、わたしの手に自分の手を重ね、ヘアゴムも一緒に握りしめる。

「珍しいことするね?」
「……うん」
「はい、没収」
「もともと条のだよ」
「これ、ちとせのだよ。オレが借りてるだけ」
「そうだったっけ」
「ほんっっっとオレに興味ないよねぇ」

 条がわたしの手の中からヘアゴムを抜き取って、慣れた手つきで三つ編みにして髪を縛りなおすと、きちんとした首筋が露わになった。
 まじまじと見るなんて出来なかった彼の喉の静かな、つるつるとしたラインの白さに視線を下げる。行き場のなくなった足元のスリッパを見ながら、間抜けに持ち上げられてでも何も掴んでいない自分の手の平を何度も開けたり、閉じたりした。
 さっさと髪を縛り終えた条は、わたしの予想ではまた携帯に戻ってなにやらしだすのかと思っていたけれども、彼はそのままソファーの上に片手を置いたまま、こちらをじっと見つめている。
 彼の髪を縛るヘアゴムを渡した記憶はなく、でも確かにありふれた百円均一のそれはちいさなケースに幾つかストックとして置いてあって、たまに、借りるよぉ、と言われたことは覚えていた。それはもはや借りている、ではなく、とっくのとうに条のものになってしまった、ということで、ならばわたしが条に興味がないというのも間違っている気がする。わたしのであろうと、別の人のであろうと、条が買ったものであっても分かるわけがなく、口を尖らせて「興味ないよねぇ」と言った条の声だけを都合よく信じると心は少しだけ落ち着いた。もっとうまく愛したり、信じたりできたらいいんだけれど、甘えたり、縋ったり、そのほかいろいろ。

「じょう?」
「目線が一緒になる」
「え?」
「これだと同じ身長みたいになって面白いねぇ」
「小さくなった気分?」
「確かに」

 エビフライみたいに跳ねている髪の毛のしっぽを揺らしながら唇の端を不器用に上げたあと、一度、しみじみと条は頷く。ソファーの背もたれの上に置いていた手をわたしの耳の辺りに伸ばして、指先で髪の毛の一房をそっと落とすように撫でた。はらり、と落ちた自分の髪の感覚と、無表情に瞬きをする条ばかりがスローモーションに見える。条がそのまま体重を前にかけ、視線が少しだけ遠くなってから、一瞬でぐっと急速に近づいた。近付いた条の口元の薄く見えるひげが目に入って、ちょっとだけ安心しながら、躊躇いのない条の手に引き寄せられる。わたしの首の後ろに慣れた様子で当てられた手の平の形や動き方が自分の身体にもいつの間にかよく馴染んでいた。

「条さ」
「うん」
「疲れてる?」
「なんで?」
「髭、濃い」
「別に関係ないよぉ、そういうもんなの、男は」

 触れた頬に当たった髭の感覚が忘れられなくて、わたしは手を伸ばして彼の頬を何度も何度も指先で撫でた。何度も馴染むほど唇を重ねたはずなのに、こんなことに改めて気付くなんてばかみたいだ。
 少し青くなった彼の唇の端の辺りをひたすらに指先で触ると、強い力で手首を掴まれる。言葉はなくて、怒ってるわけでもなくて、視線をどこでもない所に向けたままの条が強く手首を掴んで、「もういいでしょ」とやっと言う。まだ、と言いたかったけれど、ひたすらに困惑しきって視線すらどこに向けたらいいのか分かっていない彼の声を聞いてしまうと従順に頷く他はない。
 掴んでくれる指の一本一本の感覚が自分の手首にその場所だけちゃんと染みていくのを感じて、離れがたくなる。条が先に離すまで離れたくなくて、視線はまだかみ合わなくて、それでも条をわたしは見ていた。言葉にすると薄っぺらかったり、意味がきちんと伝わらないから、ただ心の中で可愛い、と考えてみる。

「なんで笑うの」
「笑ってないよ」
「嘘だぁ」

 手首を掴んだままでいて、と願ったのがまるで伝わったみたいに、更に強く条がわたしの手を掴んで、身体を引く。反対の手がまた首の後ろに当てられて、立っている筈のわたしが条に覆いかぶさられるようになる。彼の両手は熱くもなく、冷たくもなく、わたしは空いている片方の手でまた条のヘアゴムを引き抜こうと手を伸ばした。
 唇が重なって、一瞬離れる間に条が「だぁめ」と言って、器用にわたしの身体をきつく引き寄せて、楽し気に口を三日月の形にする。