息吹のうえに赤い標



 いつもきらきらと耳許で主張している彼の飾りが、全て綺麗に並べられていた。
 幾度ものブリーチで痛んでいる筈なのにさらさらした矢の髪の隙間から見える耳の縁は、光の角度のせいか、いやに青白く見える。
 ただじっと、机上へ並べたピアスを、そしてネックレスやらブレスレットやらほかのアクセサリを、息をするのも忘れて見ていた。彼のお城の中でこんなにも剥き出しの姿を見たのは初めてで、わたしは子どものように立ち竦んでしまう。気が付いたら矢が道筋を作ってくれていたのだ、と背の割に細い線の肩や、華奢な顔の割に雄勁な腕を見つめながら考えた。
 わたしがいることをすっかりと忘れているのか、どうでもいいとさえ思っているのかもわからない。ただ、じっと、やけに薄く見える背中を見つめていると、まるでゼンマイ人形のように前触れなく振り向いた矢と目が合う。

「視線がうるさい。座れ」
「……えっと」
「なんだ」

 矢はおおよそ愛想というものをどこかに落としてきたに違いない、と常々思う。齢18のある出来事をきっかけにして漸く人間らしい情緒というものを覚え始めたのでさもありなん、宜なるかな、といった具合なのだけれども。絵に描いたような無表情と、疑問符すら付属しないしっかりと閉じられた言葉に明らかに気圧されて、それでも承諾する言葉を紡がないように立つ足に力を入れた。
 目を合わせ続けていても泣いてしまいそうで、逸らした瞬間にも、きっと泣いてしまう。本当に泣きたいのはわたしではないはずなのに。
 それでも拒絶する世界にわたしがいる事は無駄じゃないと思いたくて、愚鈍な振りを続けた。小さく首を傾げて、「寒くない?」と尋ねると、被せるように「別に」という声が返ってきた。べつに、という言葉の信じられない程の空々しさに思わず目を伏せてしまう。
 矢は中途半端な会話の間に降り注ぐ沈黙の中で、サロンで彩られた鮮やかな指先を、まるでそうしたら色が外れると言わんばかりに、頭に当てて軽く髪を漉く様な動作をする。ぱらぱらと落ちていく髪の先ひとつひとつに光が当たって、こんな時でも矢は輝く人だった。動機は違えど、棪堂くんが矢を神格化しているのも強ち的外れというわけではないのだと思わせられる。

「矢も座ろう」
「いい」
「……ほんとに?」
灯莉

 散歩に行きたがる動物を叱るような、威圧を込めた声で矢がわたしの名前を呼んだ。わたしは冷たい、しんとした部屋の中で、たくさんの痛みを感じながら、それでも彼の所へ一歩一歩近づいた。怒りを抑えたように呼ばれた名前でも、呼ばれたという事実は変わらない。この方法が間違っていたら、誰かが別の方法できっと彼を助けることが出来るけれど、喧嘩が強いわけでは決してないわたしにはこれしかできない。
 叱られたのはこちらの筈なのに、今から叱られるみたいに固まった矢の、冷えた手をそっと掴む。振り払おうと反射的に上がったあと、一気に彼の手は力が抜けて、「悪い」という声が、先程よりずっとずっと近い所で聞こえる。戻ってきた矢の冷たい手を強く握りしめると、彼は「冷たい」と、不器用に、まだ繋がっていない形で唇の端を動かす。
 彼の両手を包むように自分の両手を重ねるように置くと、指先が少しだけ絡まった。

「矢?」
「……何でもないと言うのは、多分違う」
「どっちでもいいよ。矢の思った通りでいい」
「それは許しすぎだ」
「うーん、じゃあ、今日だけね」
「今日だけか」

 先程より滑らかに唇の端を動かした矢が片手通しの指を絡ませて恋人繋ぎにして、手をそっと下ろす。触れ合った掌はまだ冷たく、それでも彼は並べていたアクセサリに背中を向けていた。「座るぞ」と呟いた矢に手をひっぱられて、わたしは歩く。

「もういいの?」
「良くはない。が、もう良い」

 「そう」、わたしが手を握り返して呟くと、矢が「お前は意外と気が強いな」と言った。
 イチかバチかの賭けだと思ったことは認めるけれど、気が強いというのは心外だ。返事の代わりに小さく首を傾げて視線を上に向けると、彼の指先が何度目か分からないくらい強く絡む。ちらりと横を見ると、視線が合って、無表情とは僅かに違う凪いだ顔をした矢の次の言葉を待った。
 強張った空気の残滓だけが漂う部屋で、わたしたちはざらついた空気の欠片の存在も知った上で、血を流して笑う。どちらかが作った破片は、もう片方が拾えばいい。いつかきっと綺麗になるはずだ、二人なら。
 もう痛くない?と訊こうと思ったけれど、そんなことはわざわざ訊かなくても分かった。
 わたしの好きな彼の横顔を、ピアスがついていなくても曲線の美しい耳の縁を。その肌色を一目見れば、既に答えは出ているのだから。