黄昏に待てど暮らせど



 呼び鈴が鳴った二十三時半。
 ドアを開けると、ほぼ冬服の格好をした浩太が紙袋を手に下げて立っていた。

「どうしたの」
「寒いな、紅茶飲みたい」
「うん、いま淹れるけど」

 確かに、今年は酷暑を通り越して極暑だとか言っていたわりに、今週に入ってから急に肌寒くなってきた。テレビではちょうどスクランブル交差点のお祭り騒ぎが中継で流れていて、あぁハロウィンか、とふと思い至る。
 浩太は紙袋に入ったなにかをそっとテーブルに置いてから、あったかい、と小さな声を零し、そのまま奥に歩いていく。水道の音を聞きながらポットを取り出し、茶葉を入れ、お湯を沸かした。
 マグカップを二つ並べた頃に、上着をハンガーに掛けて身軽になった浩太がこちらへやってくる。

「お土産」
「なにこれ」
「開けてみ」

 視線に促され袋の中身を覗くと、それは明らかにケーキだった。
 白い箱を袋から取り出して中を開けると、ちいさなチョコレート等でハロウィンを意識したデコレーションの施された三つのケーキ。ひとつひとつデザインと伴う味は違えども、それは多分とても甘く、魅惑的で、紅茶にも合うだろう。
 今が深夜二十三時半であるという事実を除けば。

「オレこれ」

 食器棚からお皿を勝手に取り出して浩太がひとつ、一番素っ気のないケーキを映しながらそう言った。箱にある刻印にふと目を向けると、確か彼が昔気紛れに買ってきた、そして、二人で食べたケーキ屋のそれであることを思い出した。狙ったのか、もしくは偶然通りがかったのかは分からないけれど。
 コンロの火を止めて二人分の紅茶をテーブルに並べる頃にはケーキが三つとフォークが二本、先に並べられていた。

「今?」
「いま」
「……お気遣いは嬉しいですけど」
「ダイエットしてたっけ?食いたくないか」

 浩太がそう言ってへらり、と笑った。優しさとも意地悪さともつかないくちびるの形だった。

「オレはもう少し肉付けてもいいと思うけど」
「……食べるけどさぁ」

 彼が促す何かに逆らう術を持っていない、というよりも知らないわたしは、フォークを手に取る前にいただきますと言う。彼は満足そうに同じ言葉を繰り返した。

「こうやって甘やかして滅茶苦茶に太ったら痩せろって言うでしょ」
「あんま太ってたら身体に悪そうだし」
「まぁね」
「でも簡単に嫌いになったりしない」

 ここのあんま甘くないよな、そう言ってケーキを口にそっと入れる。わたしもケーキをひとかけら口に運んで、その素朴な柔らかい甘さが美味しいと思ったのだと、味とともに記憶が蘇ってきた。甘すぎないクリームと潰れないギリギリを保ったスポンジに、豪奢で鮮やかなトッピング。季節ものであろうとなかろうと、根本は何も変わらない味がわたしは結構好きだ。

「ハロウィンねぇ」
「なぁ、このチョコと顔似てない?」

 ひとつ目のケーキの三分の一を食べたわたしに向かって浩太が言った。間の抜けた、ケーキに乗せられて居心地悪げに仏頂面をしたかぼちゃのチョコレート。
 うるさい、と、女心が分かってない、のどちらを彼に告げるか考えながら、砂糖の入っていない紅茶に口をつける。あたたかくて心地よい苦味が喉に落ちていき、胃がほんのりとあたたかくなる。
 ケーキの箱を見た頃にはすでに深夜の背徳感なんてものは失われていて、ただ、躊躇う素振りをしたかっただけなのだ。

 容赦無く一瞬で平らげられた、そのかぼちゃのチョコレートについて、わたしは何を言うでもなく、浩太の綺麗な二重瞼をじっと見つめた。
 ひとつ目のケーキはお皿の上から消え去り、もうひとつのケーキと、浩太が、わたしを待つように、そこにいる。