寝癖のついた髪の毛を押さえて、昨夜照臣が使ったグラスを洗う。随分と酔っていたか、疲れていたかで昼過ぎになっても起きてこない彼が、今日は久しぶりの休みだということは佐狐さんからの電話で聞いていた。ベッドの端で彼が言った言葉を、わたしは鮮明に覚えているけれども、向こうはどうなのだろう。とりあえず二日酔いで起きてくるだろう彼のために朝食もとい昼食でも作ろうと思い立ってベッドからそうっと抜け出したのだ。二日酔いにも優しい、あたたかくて、身体によさそうななにか。
「たまご、ねぎ、生姜……」
今日買い出しに出る予定だったから、材料と言えるものはほとんどない。とりあえず冷蔵庫の中で置き去りにされていたその三品を取り出して、やっぱり二日酔いには、スープが胃にもやさしくていいだろう、とお湯を沸かした。
溶き卵をくゆらせたあたりで、寝室の方から「んうう」という呻き声にも似た声が聞こえる。
「おはよう」
「……ん、あ、おはよう」
「寝癖やばいよ」
「…………洗面台かりる」
いつもなら何も言わずに使っているくせに、随分よそよそしい。そういえば彼がこの家に泊まったのは初めてだ。のろのろと足を引きずって洗面台へ向かう後ろ姿を眺めながら、仕上げの味付けに取りかかる。最後にねぎを散らせば、かきたま生姜スープの完成だ。
「なんかいいにおいする」と前髪から水をぽたぽた垂らしながら戻ってきた彼は、借りものの犬みたいに椅子へちょこんと座って、目の前に置かれたスープをじいっと見つめている。
「……超うまそう」
「はやくたべなよ」
「うん、なんか泣きそう」
「いや泣かないでめんどいから」
「ん、いただきます」
「どうぞ」
泣きそうな顔でスープを啜って、やっぱり泣きそうな顔で、うまぁい、と小さく呟いた。それを見て、わたしのお腹がぐぅ、と小さく鳴る。聞かなければいけないことがたくさんあった。けれどこんな時でも腹は減る。
「てるおみ、」
「……はい」
「昨日言ったこと覚えてる」
「……はい」
「そっか」
「……ごめん」
その「ごめん」はなにに対しての「ごめん」なの、と聞こうとして、でも怖くて、聞けなかった。急にあんな告白めいたことをしてきたことへの「ごめん」なのか、酔った勢いで思ってもないことを言ってしまったことへの「ごめん」なのか。
わたしはなにも言わずに淡々と、かきたまスープを啜る。昔お母さんがよく作ってくれた、やさしくてあたたかい味。「これをたべさせてあげたいと思ったひとが、大切なひとだから、おぼえておいてね」そんな母の台詞を思い出して、じわじわと何かがこみ上げてくるのを感じていた。
「ごめん」
「……」
「泣かないで、ください」
「……泣いてない」
「あれは、ほんとだから」
「ほんとってなに」
「……好きだから」
「いつから、」
「わっかんない」
「……いみわかんない」
「わかんないけど、すげえ好き、だから」
気がつけばお互いに、かきたまスープを啜りながら泣いていて、側からみたらとんでもなくおかしな光景なんだろうと思った。
もうずっと前から一緒にいて、笑ったり怒ったり泣いたり、バカにしたりされたり。大切に決まってるじゃん、と心の中で呟く。泣いてるくせに、どうしようもなく緩んだ頬を必死に隠そうと、スプーンは忙しなく動いた。
「おれが代わりに泣くからさ、」
「……いっつも泣いてるくせに」
「ずっと笑っててよ」
「プロポーズみたいなこと言わないで」
「いいよ、それでも」
バカじゃないの、と言い終わるか終わらないかのタイミングで、カラン、と食器が音を立てる。テーブルに手をついてこちらに乗り出した彼の唇は、スープのあたたかさをそのまま含んでいた。それは今までの時間を取り戻すみたいな随分と長いキスで、彼は呼吸を整えるために離れようとするわたしの後頭部に右手を滑らせる。
くるしい、と見上げると、まだ涙を滲ませたままの瞳と目があって、「昨日我慢できたんだからいいでしょ」なんて勝手なことを言うのだった。