待合室からのびる白い廊下は、遠近感を狂わせてしまう。どこまで歩いたらよいのかわからなくなる。だから桜は、病院というものが昔から嫌いだ。
施設に引き取られる前、肉親に打たれた頬が真っ赤に腫れあがったときも、施設で派手に喧嘩をして、末に何本か骨にひびを入れてしまってときも、折ってしまったときも。病院にやってくるまでの過程に幸せなどなにひとつないし、病院をあとにする際にも明るい気持ちであることなどない。不幸せの根っこがあるような場所に、どうして人々は赴くのか。桜には理解しがたかったし、理解しようとも思わなかった。
彼の夢を絶ったのも、病院で受けた診断だ。しかしすこしだけ希望はあるから、定期的に通うようにと言われた。定期的に病院を訪れるなんて冗談ではない。桜は「もういい」と首を横に振ったが、後ろで保護者よろしく控えていた槐が、「ぜひおねがいします」と頭を下げた。不快であったけれども、槐を怒鳴りつけることは躊躇われた。
「桜、帰るぞ」
待合室のソファ、目を閉じた桜を槐が揺さぶる。
「ぜひおねがいします」と医者に言った彼は、病院へ赴くたびにやはりご丁寧に頭を下げて、「いつもありがとうございます」と言う。その姿を見ることも桜は好きでない。それを想像しただけでますます病院から遠ざかりたいと思うし、得体の知れない惨めさに苛まれるのだ。甲斐甲斐しい彼の心はありがたいものだろう、しかし桜には傷口に塩を塗り込められているような痛みが付きまとう。未だに子どものままだ。
「はやく帰らんと混むから。お前、人ごみなんてなおさら嫌だろ」
財布をジーンズのポケットにねじ込みながら槐が言った。
「嫌だ」
「したらさっさと帰るから、立って」
「オレ、別にもういーよ。来月から行かねえ、金の無駄だ」
「オレらは良くねえの」
「は?」
槐が笑った。あまり声をあげて笑わない、どちらかといえば寡黙な部類に入る彼が、けらけらと笑った。
「オレらは良くねえの」
「繰り返さなくていーって」
身体を伸ばすと、肩の骨と同時に腰かけたやはり白いソファがぎいぎい鳴った。桜は槐の言う「良くない」が何に対しての「良くない」なのか掴めずにいる。
夢を絶ったのは誰でもない。桜自身に問題があったわけでもなかろう、強いて言うならば両親が悪いのだと桜は解釈している。散々な扱いを受けて、ようやく逃れられたかと思っていたのに。十数年を経て彼らは未だに、桜の足首を離してはいない。立ち上がって一歩踏み出すと、なにか錘がついているような気がした。
「とにかく、医者が良いって言うまで通うからな」
自動ドアをくぐりながら槐が言う。有無を言わさぬ響きがあって、逐一つっかかる癖のある桜もさすがに口をつぐんだままでいることにした。出入り口のすぐ横に駐車したワーゲンバスの鍵をまわして、エンジンをふかす。聞き慣れた音だ。帰らなくてはならない、と桜は一歩、一歩、足を進めた。