可惜夜を航る綺羅星



 宗像くんのことを、一生ずっと好きでいられるのだろうか。
 わたしをさりげなくエスコートする宗像くんのスマートな仕草や端正な横顔を見ながら、まだ彼女でも無いくせにそんな図々しいことを考えてしまうくらいには、もうとっくに一生好きなのではないか、という程に彼を好ましいと思ってしまっている。
 たいてい二人で行く飲食店までの道のりは曜日と時間が重なっていつもより人が多く、恒例行事の数も多くなっていた。すれ違った三人組の女の子が宗像くんをちらりと見てから、顔を寄せて頬を赤らめたり、なにかを囁きあう、という案件。そんなことは慣れっこで、ついでに付け足すならば隣に立つわたしの顔を、服を、髪形を確認するまでがワンセットだ。女の子、という存在は残酷に、けれどその心に正直に判断をいつも下しているのだと思う。
 わたしにも少なからず、好みの顔やスタイルみたいなものがあって、いいなだとか羨ましいなだとか、その反対を思うことだってある。そんな矮小な感情とは多分縁遠いであろう宗像くんは、人混みに紛れそうなわたしの肩をさっと掴んで「こっち」と微かに笑った。あまりにも正しく配置されたパーツと、くるりと自然に上がった長い睫毛と、夜の星空を映しているかのような煌めきの瞳に慣れることはなく、よたよたとついていく。
 オレンジから紺に染まっていく都会の街並みは人でごった返しており、息をするのも苦しくなる。宗像くんだけは平然とわたしの肩を支えるように、やわらかく手のひらを乗せたまま、すいすいと歩いていく。息が少しだけ苦しくなくなるのは、宗像くんが先を歩いてくれているからだ。

「人、すごいね」
「みんな飲みに行くんだろうな」
「飲みか、帰宅か」
「ま、そういう時間ですから」

 茶化すような声が頭の上で響いて、顔を上げるときっちりと真上に宗像くんの顔があった。目が合う、というよりも、彼の目に全てが飲み込まれてしまいそうな感覚。波打ち際にいた筈なのに、目の前に勢いよく津波が襲ってきたかのように、逃げられない、とはっきり感じた。
 宗像くんが一瞬、人混みの中だということを忘れたようにぴたりと足を止め、その夜色の瞳でわたしを見下ろした。本当に数秒で、サラリーマンの鞄がわたしの足にぶつかり、よろけた瞬間、夜色の瞳に光が灯り、今度は真っ直ぐに手を引かれた。明らかに目的のある足取りで、人混みをすり抜けた先の、定休日らしきシャッターの閉まった店の前で足を止める。人はその波から外れた瞬間、一気に別の世界の人々に変化し、まるでこちらとあちら、と線が引かれたようだった。

「今、平気だった?」
「大丈夫。こんなのラッシュで慣れてるし」
「俺が止まったから、危なかった、ごめんね」
「……うん、宗像くんこそ、平気?」

 前に会った時よりも幾分か長くなった髪にくしゃりと触れてから、少し削げた頬に不釣り合いな子犬のような瞳のまま、彼はちいさく唸った。うん、とも、ううん、ともつかない、ぼんやりとした声。
 いつの間にか、彼の手は肩から離れていて、それははぐれる必要がないから当然の筈なのに、どうしてか心細く感じた。目の前に立っているはずの宗像くんが困惑の色を隠しきれないまま、人差し指を一瞬、唇に当てて、また、唸った。

「なんか、足止まってたな、俺」
「うん」
さんの目見てたら、ぼーっとしてきて」
「なに?眠くなった?」
「そういうのとはまた、違うやつだけど」

 シャッターに彼が手をかけると、いやに重い金属の撓るような音が響いて、慌てて手を離す。宗像くんの掌にそれだけで横に数本の黒い汚れがついて、その手すらも彼はどうしてかただ、見つめている。
 眠くなった、なんてくだらない疑問符を投げかけたわたしはその自分の愚直の真似事に呆れさえ覚えていた。鞄の中からハンドタオルを取り出して、宗像くんの掌に押し付け、その線に沿って一心にタオルを動かした。何度かこするだけで彼の手の汚れはわたしのタオルに移って、正方形から少し形の崩れたタオルをわたしは畳み直して鞄にしまう。
 硝子玉と同じ、向こう側が透けてしまいそうな宗像くんの瞳が、ただじっとわたしを見て、「ありがとう」と声が聞こえた。見られていると分かっていても、視線の柔らかさに耐えられる気がしなくて、ただ顔を伏せて、しっとりとしたその声を耳に納めた。

「俺、だめだな」
「なにそれ。正直、こっちの方が肩身狭いよ、宗像くんかっこいいし」

 冗談交じりに、笑い声を混ぜて言ってみると、はっきりと彼が眉を寄せたのが見える。かっこいいというのは、良いことも悪いことも引き寄せるからだろうか。わたしだったら、可愛いとか、優しいとか、まぁ、概ねの褒め言葉を有り難く受け取るけれど。
 まるでまだ自分の手が汚いかのように、シャッターにかけた方の手を何度か反対の手で払ったあとで、豊かな曲線の唇をいびつに動かした。なにかを告げようとして、飲み込むみたいな、不思議な形のまま、唇は音を立てずに止まる。

「俺の事、かっこいい、って思ってるのか」
「思うよ。だいたいみんな思うんじゃないかな」
「止めて、さんが、どう思ってるかだけ、聞かせて」

 こぼれてしまいそうなほど目を大きくさせて、宗像くんはいつもより大きな声でそう言った。まだ帰りなのか、これから食事に行くのか分からない人並みの中で、紛れきるほどでもない大きさで、その言葉は響く。声のボリュームが上がっていることにすら気付いていないであろう宗像くんから少しだけ距離を取る。目の前に立つ彼は近すぎて、目を合わせるにはそれなりに見上げる形を取らなければならないからだ。
 星を瞬かせた夜の色の、艶やかな瞳に、どんな色が灯るのか、どこか興味本位みたいな気持ちで口を開く。

「好きだな、宗像くんのこと」
「……えっ」
「そういう意味じゃなかった?」
「いや、今のは、違かったけど、そういう事も知りたかったけど、」

 いや、とか、でも、とその続きのない言葉を何度も繰り返す声を聞いたわたしが、ふっ、と息を漏らすように笑みを落とす。すると宗像くんは「本当にかっこ悪い」とため息と一緒に言葉を吐き出した。
 わたしが見上げるだけでは足りず、宗像くんが首を下げてくれないと目が合わない程大きな背の、びっくりするほど顔の整った、お礼をきちんと言える、エスコート上手の宗像くんが、本気でそんなことを言い出したように見えて、それはまるで体のいい夢みたいだった。
 好きなのかもしれない、ではなく、結構久しぶりに好きになった男の子が宗像くんで良かったな、と思う。お気に入りのタオルが汚れることも気にならず、彼が困ったように眉を下げてこちらを見ていた。

「宗像くんはかっこいいよ」
「……はい」

 宗像くんの瞳が、わたしは結構好きなのに、その目を伏せて、耳や頬を赤くした宗像くんは、なぜかもう一度「はい」と言った。
 ネオンライトを取り込んで月明かりの夜空のような色になった甘い瞳でこちらを見据えた後、長い長い息を吐き出して、「行きますか」とこちらにそっと手を差し出す。掴むと彼の掌は少し汗ばんでいて、そのまま、お互いの手がくっついてしまうのかと都合のいい妄想をした。彼自身も汗ばんだ掌に気づいたのか、一度手を振りほどこうとするけれど、わたしは、わたしたちのその手が離れてしまわないように、きつく握りしめた。一度離れてしまえば、この時間も解けて剥がれ落ちてしまいそうだった。
 あるはずもないけれど、一生宗像くんを好きでいられるのかもしれない、と夢を見ている今だけは、一部分でも、一秒でも長く、彼のからだに触れていたかった。