俺と過ごす咸翳響の休日は、とてもだらしないということを先に記しておきます。
今日は特別な日やで。うきうきと目を輝かせた彼がそういうものだから、6月17日、めずらしいこともあるものだと思いました。
目を覚ましたとき、くるくるとおおきな青い目がこちらを見ていることに気がついて、そしてそこに映りこんだ俺の顔があまりにだらしなくて笑ってしまったのです。響おはようと声をかけると、青い目の彼もまたおはよと返しました。
泊まりに来た時は陽が昇るまで、ともすると陽が沈みきるまで俺のベッドのなかでぬくぬくと丸まっている響がその日にかぎっては俺より早起きでした。そのうえ俺が目を覚ましたとわかった途端に綱吉、はよ起きて、なんて俺を急かすのです。
びっくりしました。夢も見ないほどにひどく深い眠りに落ちていたものだから、最初は響がなにをいっているのかわからないくらいに。このひと、どうかしたのかなあって。んー、とおざなりに返事をすると、なにぼやぼやしとんの、なんて怒られました。
どうしたのかと尋ねると響は料理、と答えます。俺はてっきりデートに誘われたのだと思って愚かにも浮足立っていたので、すこしがっかりしました。しかしまあ響とならどこでなにをしてもいいと、俺のジゴロの部分は機嫌よく鼻歌を歌いました。とんだばかやろうです。
「響なにつくんの?」
「料理」
「いや、うん」
「ごちそう」
「はい」
「はよ着替えて」
「はい」
姉さん女房に顎で使われるダメ亭主のような気分になりました。はよ、はよ、と急かす響に睨まれながらだらだらスウェットを脱ぎ、クローゼットを開けました。お気に入りのジーンズとシャツを身につけて、床に脱ぎ散らかしてあった響の衣類といっしょくたに俺のスウェットも洗面所の洗濯機へ。はやく起きたなら洗濯機くらい回しておいてくれてもいいのにと思いますけれども、先述したとおり俺と過ごす休日における咸翳響というひとは、仕事に対するストイックさとか自分への厳しさとか、そういうものがふわふわに埋もれてしまうくらいにだらしないのです。おまけに俺はそんな響にとんでもなく甘いのですから、まっそりゃしょうがない、となるわけです。
洗面所から出てきた僕を、きっちりエプロンまでつけたがキッチンで待ち受けていました。目を覚まして十分ほどだというのに何十回耳にしたかわからない響の「おはよ」がまた鳴らないうちに、と俺は尋ねます。
「急にどうしたわけ?」
「特別な日やねん」
「俺たち記念日?」
調子に乗るなとひっぱたかれました。俺の大げさなリアクションには目もくれず(響ヒドイ、でもそこが好き)、響は膨らんだレジ袋からケーキミックスを取り出しました。彼は俺がぐーすか眠りこけているあいだにスーパーへ行ってきたようです。大きなその箱ひとつを出してもまだまだ膨らんだままの半透明の袋からは、よさそうなお肉やらよさそうなワインやらがのぞいていました。
勝手知ったる俺のキッチン、棚から大きなボウルをひとつ出して乱暴に破いたケーキミックスを入れて、流れるように空箱と袋をゴミ箱へ投げ入れて、それから響はようやく俺を見て、たまごと牛乳と言いました。なんだかもう、俺にはなにも言えません。御所望のたまごと牛乳を渡してあげました。出動のときと同じくらいに真剣な横顔をみていたら後ろから構ってちゃんをする気にもなれず、ぐるぐると混ぜられていく液体を見つめました。
響は特別な日と言ったけれども、俺に思い当たる節はありません。
俺と彼とでは生まれた場所も、育った町も、出会うまでに経験した出来事も当たり前に違いますから、二人重ならない部分が多くあることも承知済みです。触れないこともやさしさでしょう。俺は黙ってオーブンレンジの予熱を設定し、肉やワインといった「ごちそう」を、レジ袋から冷蔵庫へ移しはじめました。
「綱吉」
「なあに」
「誕生日やねん」
「おめでたいね」
「おん」
天板に乗せた型へ生地を流し込みながら響は融けるように笑いました。最近ますます増えた笑い皺は、幸せの証です。
誰の誕生日、とは聞きませんでした。聞けませんでした。俺の知らない響の大切な人です、なんと情けないことに小さじ一くらいの嫉妬を混ぜ込んでしまったのです。もしもその人が響が俺を愛するよりも愛したひとだったときのことは、考えたくもありませんでしたから。
予熱ありがとうと一声、彼は天板をオーブンレンジへ入れました。スイッチを押したばかりだからまだまだ温まっていないだろうに。そういう適当なところが好きだったり愛おしかったりします。
俺が冷蔵庫へ移したものの中には生クリームやいちごもありました。スポンジが焼きあがったら彼の天才的芸術センスでデコレーションをするのでしょう。それから日が沈みかけたらよろよろと夕食の支度をして、誰のためだかわからないごちそうを二人で平らげて、ミッドナイト、あとはまあなにが起こるか運次第。
「綱吉」
「なあに」
「すきやで」
オーブンレンジの蓋を閉じた響が脈絡なく、しかしとびきり愛おしく笑います。むらっとしました。響曰く特別な日、なんてかこつけてわーっと猫のように可愛がっても、なにやらいやらしいことをしても、今日限り罪ではないかもしれません。朝飯にしようや、なあ、しばらく食うてへんもんなあ!彼は俺の手を引き、くっと軽く背伸びをしてキスをくれました。
子どもをあやす要領でぽーんとベッドへ放ると、期待通りきゃっきゃと年不相応に喜びます。シャツのボタンに手をかけた俺が着替えた意味なかったなあとぼやくと、響はせやんなあと笑います。彼にキスを返した途端にオーブンレンジのスポンジ、水につけてもいないボウル、冷蔵庫に入れ損ねたワインのことを思い出しましたが、この際なんだか一切合財どうでもいいような気がしました。昼間っからなにしてんだろと俺が笑うと、すっかりやる気の響がかまへんやろなんていうものだから、6月17日、めずらしいこともあるものだと思いました。