「……えー、と」
「…………」
「……、あ、あなたは一体、」
「……あんたが買ったんだろう、俺を」
おかしいおかしい。なんでこんなことになってるんだろう。
たしか私が買ったのは巷で有名だからと言われたアンドロイド携帯であって、決して目の前にいる人間ではないはずなんだけど。今朝我が家に届いた、やたらでかい段ボールを開けたら人が入ってました…って、これなんてホラー?あれ、今日ってエイプリルフールとかじゃないよね?
ちらりと壁掛けの電子カレンダーに目をやった。当然今日はエイプリルフールなんかではなく、カレンダーはしっかり1月を指している。立春も手前だというのに爆弾低気圧のせいで降雪量が凄まじく、今日も電車が停まってしまい学校に遅刻したのだった。4月まではまだ大幅に時間がある。
というかこの、段ボールから出てきたお兄さん(恐らく同い年か年上)は誰なんだろう。
「……ええと、お兄さんは一体」
さっきと同じ質問をすると、お兄さんの綺麗なお顔の眉間に軽く皺が寄った。え、怒ってる?
「だから、買ったんだろう、あんたが、俺を」
倒置法?
「……え、えええと、あのですね、私は携帯を買ったんであって人間を買ったのではないはずなんですけど、」
「……はぁ、」
人身売買に手を出したつもりはない、遠回しにそう言うと至極めんどくさそうにため息をつかれてしまった。おいちょっと待て、いくらなんでも失礼じゃないかそれは。誰だって今の状況に戸惑うのは当たり前だと思うんだけど。
お兄さんは一度逸らした視線を再び私に戻すと、人差し指を一本立てて見せた。
「あんた、名前は」
「……唯則、です」
「いいか唯則、あんたは契約して俺を買った。それはもうどうしようもない、変えることのできない事実だ。俺は携帯で、あんたは俺の持ち主だ」
「…………」
私が持ち主だと言われましても。というかこのひとすごく偉そうなんだけどなんなんだろう。
話が突飛すぎてついていけない。契約というのは携帯のことなのだろうけど、この誰が見ても明らかに人型であるお兄さんと契約というのは如何様なものか。なんだか如何わしい臭いがする。
「とりあえず、データベースの登録でもするか」
硬直したままの私を余所に、メガネのズレを直しながらふっと息を吐いてそう言うと、お兄さんは急に私の肩をがしりと掴んで顔を引き寄せた。
「え……、え?」
じっと目を合わせて顔を近づけてくるお兄さんに思わず身体が強張る。もうちょっとで唇が触れそうなぐらい近くて。じわじわと頬が熱を持つ。彼のまっすぐすぎる緑色がかった黒の瞳に私が映っていて、視線を逸らすことができない。別に疚しいことなんてなにもないのに、とても恥ずかしくなった。
「顔認証完了。電話帳だけバックアップしてた分は読み込んだからもう使えるぞ」
その間数秒。コンマと言うほどじゃないけど十分早かった筈のその時間は、しかし私にはとても長く感じられた。なんだろう、なんだか不思議な気分だ。
どきどきと何故か高く波打つ鼓動を抑えながらふと逸らされた視線の先を追うと、私の足元にひとつの紙が落ちている。小さな、B5よりも二回りくらい小さな冊子。
「……ぎ、ぎの、ざ?」
取り上げてみると、どうやらそれは取扱説明書のようだった。『G IN OZ A』とブロック体で書かれた表紙。どこぞの地名のような名前だ。ぎのざって地名、確か沖縄あたりにあったような気がする。これが彼の名前なのだろうか。所謂、型番もしくは品番という類いの。
ちらりとお兄さんに視線をやる。冷静になってからよく見ると、なかなかに美形というか、所謂イケメンという類いに入るのであろう容姿。しかし私には手に余ると言うべきか。ちくちくと劣等感に苛まれそうな感覚を軽く首を振ることで隅に追いやる。
再びお兄さんに目を戻すと、涼やかに細められた瞳から放たれる強い視線が、思っていたよりも近い距離で不規則に瞬きをしながら私を見つめていた。