暗闇の中で手探りにスイッチを触れば、ぱちりと軽い音を立てた後に一瞬の逡巡を残すようにして蛍光灯が点いた。ちかちかと点滅する蛍光灯を見上げて、わざわざスイッチを使わなければ点かない旧式の電気を使っていることに、以前チカくんが不平を零していたことを思い出す。
くるりと部屋全体を見回してもいつもと変わらない風景。キャスター付きのパイプ椅子と並べられた片袖机。瓶詰めの柿ピーに水槽のミジンコとシーモンキー。壁に貼られたポスターらは流石に再現の仕様がなかったために申し訳程度にホロを使ってはいるけれど、およそ5年は前になるのだろうか、まだ自分が警視庁地下21.5階にいた頃の景色と重ね合わせても、相違点がほぼ見つからない程度には完璧に模倣されている。
この部屋を征陸さんが最初に見たときは、なんとも懐かしげに目元を緩めていた。そして同時にやりすぎだろうとも言われたが、その時は確か黙って苦笑を返すことしかできなかった。征陸さんはシビュラが制定される前の警察の在り方を知っている、けれど未詳の存在までは知らないはずだ。だからそれが皮肉でないこともわかっている。
ぎしりと僅かに音を軋ませてソファに身を投げる。背凭れにめいっぱいもたれ掛かって低い天井を見上げれば、打ちっぱなしのコンクリートが見えた。相変わらずモールス信号のように点滅する蛍光灯に、やはりそろそろ交換の時期だろうかとぼんやり考える。その残像を消さないようにそっと目を閉じ片腕を乗せた。
こんなふうにみっともなく過去にしがみついているのは忘れないため。忘れないようにしているのは忘れたくないからにほかならなかった。そしてきっと、忘れようと思っても忘れられることではないのだろう。
今でも鮮明に思い出すことができる。
紗綾がいて瀬文さんがいて野々村係長がいて。刑事という仕事がいかに危険であるか、スペックホルダーたちと戦うことがいかに壮絶であるかを知りながらもなお、このまま4人で必ず真実を追い求めるのだと誓った日がある。左手の力を海野先生に封印したもらった時、紗綾は瀬文さんを自分の光だと言った。私にとっての光は、他でもない彼女であり、また彼だったのだ。
警視庁屋上アンテナ上でセカイと対峙したあの日、体内で先人類達に抵抗され苦しむ紗綾を救ったのはやっぱり瀬文さんだった。来世で紗綾に待つよう約束し、放たれた銃弾が彼女を撃ち抜いたところで、情けないことに私の意識はそこで途絶えている。ブラックアウトの直前に八咫烏が嗤っていたような気もするけれど、少なくとも一番最期に見たものは額を銃弾で撃ち抜かれる紗綾の姿だったのだ。
目を覚ましたとき、そこに広がっていた景色は警視庁屋上アンテナの上でもミショウのオフィスでも渋谷のスクランブル交差点でもなく真っ白で無機質な天井だった。ここは病院だろうかと首を捻り身を起こそうとした私の目に飛び込んだのは、ホログラムで投影された心電図と、なにかの数値とカラーコードのようなものだった。
21世紀ではあり得ない技術。
ここは地獄かと思った。