弔いの花



「……いたいし、」

 迂闊だった。まさか高校生にもなって転んで膝を擦りむくなんて。いつもは人で溢れている屋上庭園も、幸い今は人がいなかったからこの失態を見られずに済んだけど、人がいなくたってこれはかなり恥ずかしい。仕方ないからハンカチでも巻こうとベンチに座り、思わず赤くなっているであろう顔を手で覆ってため息をついた。

「……なにしてんだ?、」
「のわあっ!?」

 ハンカチをきゅっと締めたところで、不意に後ろから掛けられた声にびくりと肩が跳ねる。ばっと振り向くとそこには星月学園の生徒会長様、不知火がいらっしゃった。

「……不知火会長……なぜここに?」

 出来るだけにっこりと笑顔で質問をしたつもりだけど、多分口元は引きつっている。勿論そんなことは微塵も気にしない生徒会長様は怪訝そうに私を見た。

「なんでもなにも、ここは屋上庭園だぞ?俺が来ておかしいってことはなんもないだろ」
「ソウデスネー。………………あーそうだ私用事を思い出したので戻りますね会いたくはありませんがまた明日さようなら」
「まあ待て」

 私の本能はこの人と関わるべきではないと判断したらしい。棒読みで捲し立て逃げようと腰を浮かしかけたところで、肩に置かれた手に力が込められた。無理矢理座り直らされた私はぎっと会長を睨む。なぜ引き止めるんだ、私は早く帰りたい。

「お前、膝ケガしてんだろ。見せてみろ」
「……なんのことでしょうか?」
「バカかお前は。ハンカチなんか巻いて、それでもバレないとでも思ったのか」

 思ってませんともそんなこと。ただここから早く逃げ出したくて嘘をついただけなのに、なんでバカとまで言われなくちゃいけないんだ。

「別になんともないんで本当ほっといてくれませんかいい加減うざいです」
「なあ俺そんな言われるほどなんかしたっけか」

 お前、俺に対しては当たりひでえよな全面的に。と私を指差す会長の指を無言ではたき落とす。
 なんのことはない。私はこの不知火会長が嫌いだということ、ただそれだけ。態度が冷たろうがキツかろうが、そんなの今更変えられることじゃないし変えるつもりなんて微塵もない。

「貴方に看られるくらいなら私は水嶋先生候補に看てもらいます」
「……はぁ、」

 前髪をくしゃりとやってため息をひとつ。それから私の右足をぐっと掴んできた。その手のひやりとした感覚に思わず上ずった声が出る。

「なっ、なにすんですかっ離してください!」
「いいからちょっと大人しくしてろって」
「そんなこと言われたって……つっ」

 遠慮なしに触られた患部が痛んだ。「ああほら、やっぱ血ィ出てんじゃねーかよ」なんて呟く会長から目を逸らす。
 ハンカチを巻いて圧迫した傷口は10分近く経った今でも痛々しく血を流していて、じわじわと紅が滲んでいる。さすがにハンカチ一枚だけじゃ止めるのは無理だったみたいだ。

「……お前、これまさか詠」
「“変えた”代償ではありませんのでご心配なく。ていうかほっといてください。私は本当に平気ですから」

 何故この人が、私が天文科なのに“詠める”ことを知っているかなんてどうでもいい。どうせ星月先生と陽日先生は知っているんだ、知る方法なんていくらでもある。
 そんなことよりも、会長が触れている部分からじわりじわりと熱くなっていく気がして、それを認めたくなんてなくて、思わず「本当、なんなんですか」と喧嘩腰の言葉が出てきてしまう。

「いつもいつも私に会うたびに絡んできて。あなたはこの学園の生徒会長なんですよ?こんなことにかまけてる時間なんて無いはずです。青空副会長はさぞご立腹でしょうね」
「ちゃんと後々終わらせるから仕事のことは問題ない。颯斗は、まあ…なんだかんだいって許してくれるからな、限度はあるけど」
「じゃあさっさと生徒会室でもなんでも行けばいいじゃないですか。私は今1人になりたいんです」
「お前みたいな奴をほっとけるわけないだろ。夜久もそうだが、お前らはなんでも自分で解決しようとする。もっと俺らを頼っ」
「――私は!」

 会長の声を遮る。さっきまで冷静に対応していた私が急に声を張り上げたからか、会長は驚いた顔でこっちを見た。だけど顔を見られたくないから、逸らす。
 今の私はきっと酷い顔をしてる。黒い感情がどろどろに渦巻いて私の心を呑み込んでいってしまう。
 今まで自制心と自尊心から言わなかった言葉が、今はするすると口から漏れていく。

「私はあの子とは違う……!叶わない夢なんて見ない!あの子にはあの子を守ってくれる騎士がいるでしょう、いざという時には身体を張ってでも助けてくれるような、騎士たちが!」

 初めて夜久さんに会った時、自覚のない人だ、と思った。思春期まっさかりの男子の中に、女子一人。その状況に危機感を覚えるのが彼女自身ではなく周りの幼馴染みだと知ったときには、何とも言えない気持ちになったのを覚えてる。守ってもらうのが女子の特権である、と言わんばかりの彼女の態度に(実際は超がつくほどの天然で、そんな女王様気質ではなかったのだけど)苛立ちを覚えたこともまた事実で。
 なんで苛立ったのかは未だによく分からない。多分、生理的に受け付けない類なんじゃないかと思う。

「でも、私はいつだって自分で自分を守ってきた!他人になんて、頼れるわけないじゃない!この学園で私に寄ってくる男子なんて、ハナっから信用なんてしてない!どうせみんな下心しかなくて、本心ではあの子のほうがいいって、好感が持てるって思ってるくせに、騎士がいるからってその代わりみたいに私に寄ってたかって!!」

 この学園にたった二人しかいない女子に、男子が交流を謀ろうとするのは仕方のないことだと思う。誰だって、華は欲しいから。

「それで、私が気難しい性格だって知った途端に手のひら返して嘲って行くの!同じ女子なのにこんなに違うのかよ、冗談じゃねえってね!!」

 人それぞれなんだから、多少ガードが固くたって仕方ないことだと思う。女子が極端に少ないこの学園でならなおのこと。
 なにもかもうまくいく訳じゃない。それでも、一度っきりの人生だ。多少無茶をしてでも、自分の決めた方法で楽しく過ごしたかった。なのに、この仕打ちだ。

「私だって、できるもんならもっと素直になりたいわよ!もっと、自分の気持ちをストレートに伝えたりしたいのに、なのに、周りがそれをさせないんじゃない!!」

 一番最初に男子から言われたのは「冷酷人間」だった。私に勝手な人間像を作り出して、想像と違ったから切り捨てるなんて、あまりにも非情で無情で、薄情だ。
 なんでそんなに、人を傷つけることに無責任で無感情でいられるんだろう。
 自分の言動に責任を持てないのなら、初めから私に話しかけてなんてくれなければよかったのに。

「……私は、……私、……もう、いや……。堪えられない、こんなの……」

 ほたほたと静かに頬っぺたを伝う涙に、情けないと思いつつもそれを止める方法なんて私は知らなかった。両手で顔を覆う。ああ、よりによって一番見られたくない人に見られてしまった。
 今まで感情を爆発させたことなんて一度もなかったが故に、自分でも驚いている。こんなにも、今までいろいろ溜め込んでいたのかと思うと、過去の自分に申し訳なく思った。

「…………っ!」
「気付けなくて、ごめんな」

 ふわりと全体を包む温かさ。いつの間にか、なぜか会長に抱き締められていた。一定のリズムで背中を優しく叩く感覚に、涙が余計に溢れだした気がする。

「――…いつも、1人だったの。それでいいと思ってた。1人は孤独だけど、自由だ、って自分に言い聞かせ続けてきたから」
「……ああ、」

 でも、本当はいつだって誰かと仲良くしたかった。
 気兼ねなくなんでも話せるような、心の許せるような友達が欲しかった。
 いつだって明るくてみんなの中心にいられる彼女が、羨ましいとずっと思ってた。

「あの子はね、綺麗すぎるの。仲良くなりたいって、思わなかった訳じゃないけど、私には釣り合わない」
「……そんなことはないさ。夜久は、お前と話したがっていたぞ」
「でも、私……、あの子まで守れるほど、強くなんてない」
「守らなくたっていいさ。夜久には七海たちがいるし、お前には俺がいる」
「……会長、……?」

 未だに涙で濡れている目元を拭きもせず、ただ呆然と会長の顔を見上げる。
 夜久さんに七海や東月がいるのはわかる。けれど、私には、会長がいる?意味が、わからない。

「なあ、。お前は気づかなかったろうがな。俺はずっと、初めて会った時からずっと、お前の事が好きだ」
「……、え?ちょ、な……、……え?」
「大丈夫か」
「これが大丈夫に見えますか?」

 憎まれ口を叩く余裕があるんなら、大丈夫だな。そう言って軽く笑う会長に、なぜかとても切ない気持ちになった。一度開いた口を、閉じる。何を言うべきかわからない、言葉が見つからない。

「……私は、会長のことが嫌いです」
「ああ、知ってる」
「……なのに、こんな、私なんかで、いいんですか?」
「お前“で”いいんじゃない。お前じゃなきゃ、だめなんだよ」

 ぎゅう、と先程より強い力で、けれど優しく抱き締められる。温かい。縋るように会長の制服を握る。皺が寄ってしまうことをわかっていながらも、誰かに――会長に、頼らずにはいられなかった。

「……私、そんなこと言われたら、好きになっちゃいますよ?」
「そしたら両想いってことで万々歳だな」

 飄々と私の問いに返す会長の表情は柔らかい。
 心の中で自分にも問いかける。私が、この人を好きになっていいんだろうか。

「……私が、会長を好きになれるかは、わかりません」
「……ああ、」
「もしかしたら、他に好きな人が出来るかもしれません」
「上等だろ。掻っ攫ってやるさ。そのためなら、」

 私と一緒に居れるなら、そのためなら“詠む”ことすらも厭わないと笑う会長。ありがたいと思う。そうまでして私を想ってくれていることが。でも。

「でも、会長。会長がケガしたり傷ついたりなんかしたら、意味ないんですからね?だから、会長に害をなす未来なんて、私が変えてみせます」

 だから、そう言って私も笑う。
想い想われるがために、すれ違いもするだろう。互いの気持ちをきちんと理解できるかなんて、まだわからない。
 でも、会長と、不知火と一緒なら、なんでもできるし、何処へでも行ける気がした。
 この人となら、その価値があると思った。
 まだまだ、“先”を楽しむことはできそうだ。