manana



 教師と生徒の禁断の恋ってやつが流行っているのは、月曜日の午後9時に放送しているドラマのせい。月9、そうそれ。クールで飄々とした先生にとある生徒が惹かれていってアタックして、幼馴染みがそれを阻止して、っていう少女漫画にありがちで夢見がちなラブストーリー。ドラマの次にやっているバラエティーが見たくて、いつもは最後の五分程度を見ているだけだったけれど、今日は偶然暇だったから途中からでも見てみているのだった。わーすごい、というなんともつまらない感想しか沸かないけれど。

「あんまり好きじゃないや」
「なに?コーヒー?つかもうそれカフェオレじゃん、牛乳どんだけ入れたんだよ」
「くちうるさい人は嫌われる。メモ」
「おい」

 リモコンを握りしめたままぽつりと呟くと、隣で赤ペンを握った姑みたいな男がわたしのマグカップを覗いて言った。ほっといてほしい。あなたはブラックが好きなのはわかっている、だからわたしはきちんとブラックで出してあげたのに、人のカップを見てぐちぐち言うなんてヤダヤダ。そもそも、この人が学校では缶ビールを飲んでいるのは知っているのだ。学校でビール飲むような不良教師のくせして家ではコーヒーって、普通逆でしょ。こんな不摂生そうな男ですらそうなんだから、先生ってみんな、普段の生活からこんなに口うるさいものなんだろうか。

「わたし何点だった?今回ちょっと自信ある」
「お前のクラス請け負ってないからわかんねえって何回言わせんの」
「すみません」
「大体今回のテスト作ったのも俺じゃないからな」

 あーそういえばそうだった。画面の向こう側で繰り広げられるドラマはいよいよ終盤にさしかかって、いかにも恋愛ドラマですよという感じのきらびやかで可愛らしいBGMが流れている。テレビに視線を向けながらも、実際のところ全然頭には入ってこない。先生への気持ちを抑えようとする生徒。わたし、もう先生好きなのやめます。そうなの?やめたいって言ってやめられるようなものだったのか恋って。脳内で突っ込みを入れながらぼんやり見つめていると、採点していた隣の男も音声を聞いていたようで、「何だこのドラマ」と眉間に皺を寄せて思い切り顔を顰めた。

「みんなが言ってる月9」
「あー、先生と生徒のやつ。こういうのマジでやめてほしい。教頭とかに言われるんだよな、俺のはコミュニケーションだから。生徒と交流できない教師とかヤバいだろ、中峰とかさあ、すぐ鍵失くすし」
「中峰先生ヤバいの?ヤバいか。ヤバいね」
「ヤバい三段活用すんな。よく怒られねえよなあいつ。好かれてんだよなー職員室内でも」
「安田と違って生徒に手出してないからでしょバカ」
「安田って呼ぶな、あと口悪いぞ」

 中峰先生は物理の先生で、いつも白衣を着ていて、あんまり先生とも生徒とも交流をしているのを見たことがない。前に授業の質問をしに行ったことがあるけれど、物腰柔らかで生徒に対してもものすごく丁寧に接してくれるいい先生だ。よく鍵を行方不明にさせては廊下で鍵をばら撒いている。

「でも中峰先生、好きだな」
「…………」
「教え方が好み」

 あと、隣でむっつり黙り込んだこの男の話をこっそり教えてくれるし。

「あっそ……」
「……あっうわ苦」
「それ俺の!お前そっち!色違うんだからわかるだろ!」
「何事も経験かなって……」
「それは今適用されないからな」

 ぶつぶつ言いながら採点を再開する姿を横目で見やる。口のなかが苦い。色が違うだけのマグカップの真っ黒な中身を一口飲んで、じんわり広がるなんとも言えない味に眉根を寄せると、何してんの、と怪訝そうに見られた。
 この人は生徒にモテる。女子高生が大好きで、貧乳が好きで、堀さんの胸がどうだとか綾崎さんのことをかわいいだとか言うちゃらんぽらんのくせして、授業の教え方は普通にうまかったり相談に乗ったときのアドバイスが的確だったりするから一部の生徒からはものすごく慕われている。あんまりにも優しいから、女生徒が本気にしちゃうって聞いたこともある。まあ彼の愛され具合は中身だけじゃなくて、見た目も影響しているのだとは思うけれど。
 けれど、自分が女生徒に人気があることを自覚しているのが厄介で、あしらい方がうまいんだか下手なんだか、変に期待させては傷つけている。人気なのもわかるけど、この人すぐ拗ねるからなあ。

「おお、ちゅうした」
「先生と?」
「ううん、幼馴染みと女の子」
「は?二股じゃん」

 画面を見れば、ドラマは急展開になっていた。二股じゃないよって言ったら、そうなの?ってわたしと同じように画面を見つめる。画面では、幼馴染みが意識してもらいたくて女の子にキスをして、俺が好きなのはお前だ、と告げていた。あいつのとこなんか行くなよ、だって。ヒュー、やるね。

「俄然この幼馴染み推せる」
「いやこの女の子も拒否るべきだろ。好きなんだろ先生が」
「おや。さっきまで反対してたのに」
「俺はこういう流されるのが嫌なだけ」

 さてはさっきの中峰先生の話を根に持ってるな。

「あ、ドラマ終わった……」
「俺も終わった」
「って、え!今日休みなの?特番?うそ、じゃあなんで待ってたの!」

 ドラマのあとあるはずのバラエティーは、特番のせいで休みだと表記されていた。番組表見ろよ、と言って先生は採点されたテストを自室に持っていって、ついでにコーヒーを淹れにキッチンへ行った。わたしが作ったやつが残っているはずだったけれど、わたしもあと少しだけ飲みたい気分になって、肩を落としながらキッチンへ向かった。

「わたしも飲みたい」
「カフェオレ?」
「残ってる?」
「残ー、……ちょっとだけしかない」
「あ、ちょうどいい」

 ぴたりとくっつくように右隣へ並ぶと、珍しくメガネをかけていた先生がちらりと一瞥するようにしてわたしを見下ろした。なになに。目を合わせると、照れたようにふいっと逸らされて、「カップは?」と訊ねてくる。

「あ、持ってくる」
「あー、うん……」
「え、なに?」
「いや……」

 なにかを言いたげにしているのは気がかりだったけれど、目をうようよと泳がせて言い淀む姿にこれは長いかもと予感しさっさとカップを取りに行く。そして、少しだけ落ち込んでいるような、そんな空気が彼の背中にあったから、頭を背中に叩きつけるように後ろから抱き付いた。

「カップ!危ねえ!痛え!」
「ごめんなさーい」
「絶対内申下げてやる」
「大人げないなあ、そんなに中峰先生に嫉妬してんの?」

 離れてまた右隣へ行って、キッチンのワークトップにマグカップを置いた。コーヒーは先生のカップに少し遠慮したように注がれていて、わたしの分が予想より多めに残されていたことに嬉しくなってしまう。かわいいひとだ。そんなことを考えていたせいか、抱き締められるまで動きを確認できず、びっくりしながらも黙って抱きしめられる。おいおい先生よ、大胆だね君は。

「俺やだな、幼馴染みポジ」
「あ、そっち。なんで?かっこいいじゃん幼なじみ」
「絶対当て馬だろ、振られたくない傷付きたくない」
「じゃあ言ってよさっきの」
「さっきの?」
「行くなよって」

 ぎゅうぎゅうと少し痛いくらいに抱きしめたまま恨み言のようにうだうだ言うので、背中に腕を回してぎゅうと力強く抱きしめ返したら、そこで逡巡するように少しだけ黙った。おっ、揺れてる揺れてる。別に言わなくても振りはしない、だって中峰先生のことは嫌いじゃないけど、わたしが好きなのはこの口うるさい人だから仕方ない。この人を注意する教頭先生は正解だ、実際危ういように見える安田先生がこうやって生徒に手を出してるんだから。
 そして先生はようやく決心したように、そこで抱きしめる腕を解いて、照れたように目を逸らした。

「……あいつより俺の方がお前のこと好きだよ」

 いつもはあんなに、あんなに余裕そうなのに、こういうときばっかり。そんなに顔を真っ赤にしておでこにキスされたらもう文句なんて言えないに決まっているから、無言のまま思いっきり抱きしめておいた。