砂上の楼閣



「せんぱーい!」
「……げっ」

 前方から自分を呼ぶ声に、思わずそんな声が出た。いや、まあ、無理もない。
 俺の姿を捉えた途端に、満面の笑みを携え駆け寄ってきた小柄な女生徒。普通ならかなり微笑ましいのだが、俺はそんな様子に厭そうな顔を隠しもせずため息をつく他なかった。

「……、なんか用か」
「用事がなきゃ話しちゃいけないんですか?」

 首を傾げて上目遣い。これが普通の女子との会話ならときめくセリフな筈なのに、この女生徒……が言うとなんとも残念な気分になる。
 この際だからはっきり言おう、俺はこいつが苦手だ。

「せんぱいは今日も色男ですねぇ」
「お前は相変わらず気色悪いな」

 皮肉や嫌味にもならない直球の言葉を投げ掛けても、は笑顔で黙殺するからダメージを与えることなんてできない。そうわかったのは先週だったか。かれこれ二ヶ月、俺はこいつに付きまとわれている。さながら地縛霊の如く。
 地縛霊との相違点をあげるとしたら、は正真正銘生きているんだということ、あるひとつのものに縛られるようなことはないということ、そしてなにがあっても決して成仏なんぞしてくれないだろうということだ。くそ、めんどくさいな。

「せんぱい、体調でも悪いんですか?眉間に皺寄ってますよ」
「……誰のせいだと」

 ああいやだ。本当ならこんな奴さっさと追い払ってしまいたいのにそれができない自分がいやだ。なにが一番厄介かって、こんなストーカー体質なわりに交友関係が異常に広くてみんながみんなを応援しているのだということが。
 この間廊下で折木とすれ違ったときなんて、「早く素直になったらどうですか先輩」とかほざきやがった。俺は素直に生きてるつもりだし、そもそもなんで折木までもがを応援しているんだ。意味がわからん。

「……せんぱい?」

 いつぞやに見た一年……伊原、だったか。あいつより少し高いであろう身長、それでも俺に比べればはるかに低いは下から顔を覗き込んでくる。容姿は悪くないのに、どうしてこう……うまくいかないのだろうか。折木に言われたセリフが脳裏をよぎり、僅かに顔をしかめるとはますます心配そうに眉を下げた。

「……、大丈夫ですか?」

 さっきまで煩わしくて頭痛がするほどだったのに、急にしおらしくなった様子にため息をつきたくなった。いつもこれなら、俺だって……、

「…………、……?」
「……せんぱい?」

 “俺だって”? ……ってなんだ。
 もやもやとした気持ち悪さが胸を支配して、僅かに眉を寄せる。なんだ、これ。

「や、やっぱりどこか悪いんですか?保健室、行きます?」

 黙りこくった俺を見て心配そうに声をかけてくるが、思考の海に呑まれているせいで返事も儘ならない。
 もし――がいつもこれなら、こんなに俺が疲れさせられることもなかったし、ストレスのない生活を送ることだってできたし、なによりこんな複雑な思いをせずにすんだのに。

「(……って、そう思ったのか?)」

 ああそうかもしれないさ、実際そうなるだろうとも思うよ。だけど……それとこれとはまったく違う、別の問題だ。
 例えば、が俺じゃない彼氏をつくったとする。その彼氏を仮に紹介されたとして、俺は心から祝福できるだろうか?――答えは否だ。

「……、」
「ふぁいっ!?」

 驚いているのが表情にありありと出ている。ずいぶんと間抜けな返事だ。

「(……いや、違うな)」

 本当に間抜けなのは、俺だ。こんな簡単なことにも気づけなかっただなんて、鈍感もいいとこだろ。
 気になるのは相手が嫌いだからだと思い込み、俺はさんざんこいつを突き放し傷つけてきてしまった。気づくのが遅すぎてもう手遅れかもしれないが…………今からでも、まだ間に合うだろうか。

「…………、認めたくないものだな」
「えっ!?シャ、シ●ア!?」

 どうやら俺のセリフに酷く動転しているらしいの体を、真っ正面からぎゅっと捕える。恐らく初めてであろう俺からの接触に、が動揺しないわけもなく。当然ながら身を捩って脱出をはかろうとする。

「逃げんなよ」
「いやあの、逃げんなと言われましてもですねせんぱい、さすがに神聖なる学舎の廊下でこんな堂々をハグされているのを誰かに目撃でもされたら不純異性交遊ということで生活指導部の先生に怒られるのではないでしょうかっ」

 相当混乱している。さっさとカタをつけたほうがよさそうだ、と判断し俺は抱きしめた腕はそのままにの耳に口を寄せた。

「なあ、
「……っ、はい」

 ぴく、と僅かに肩を跳ねさせたに思わずふっと笑みを漏らすと、息がかかったのだろう、くすぐったそうに肩を竦めて身を捩った。

「お前のことが好きだ。……って、俺が言ったらお前、どうする?」
「…………えっ、」

 驚いたふうに、けれど歓喜に溢れたようなの表情が酷くいとおしく思えて、ますます腕に優しく力を込めた。泣きそうな笑みを携えて俺の背に腕を回すにぽつりと呟いた俺の声は、きっと届いたに違いない。


「なにがあったって離してやんないから、覚悟しとけよ」