※微8UPPERSパロ
※夢主名前しか出ません


モーニング・デタント



 窃野は例のエンジン音で目を覚ました。
 毎夜毎夜に些細な火種一つ。下腹部で燻り続けるなにかを引火させて、瞬く間に爆発した力は人を傷つけるパワーに変わる。視線がぶつかればどこからともなくゴングが鳴り、非生産的なゲームが始まる。いつもどおりのそんな夜。ひとつ大きな仕事を終えたあとだった、体力の消耗が激しかったからかもしれないけれども、今夜の窃野は五分もかからずにアスファルトへ倒れた。つまらねえと暴言一つ、おまけに吐きかけられそうになった唾はなんとかしてかわして、それからの記憶はない。なんとも格好のつかないゲームだったことだけは覚えているが、格好つけたい相手も毎夜毎夜に変わるのだ。昨夜窃野に向かってつまらない男ねと笑った、不健康に痩せた女のことを思い出す。

 くすんだ青色のワーゲンバスは、ちょうど幼い時分に買い与えられた玩具と似ている。だから宝生と再会し、初めてこのワーゲンバスを見たときにはっとしたのだ。はっとして宝生を見たけれども、要領はいいが記憶力にはあまり自信のなさそうな彼のことだ、自分が施設を出る際に年下の少年へ押しつけた置き土産のことなど、覚えているとは思えない。すこしだけがっかりするような気持ちで、窃野はあのクラブの一員になった。
 どこかの暗がりで眠る窃野を迎えに来るのは、いつからかわからないくらいに前から、ずっと宝生の役目だった。
 誰かが母親は天蓋で父親が入中、長男が宝生だと例えた。けれどもあまり腕の立たない、少々頼りないところが多々ある天蓋は窃野にとってはどこか末っ子のようだったし、やいやいとやかましく説教を吐く入中は母親のようだった。(経歴上「母親」の定義があやふやである窃野の中にいる入中の存在はしかし、世間一般の言う「母親」に限りなく近いものであった。)そして寡黙な宝生は窃野の中の「父親」という穴にきれいにはまる。
 窃野は父親に甘えるように、何度呆れた顔をされてもこうしてアスファルトへ横たわった。けれども本人に甘えているという自覚はひとつだってない。本人をよそに周りは宝生と窃野を父親と息子のようだといって、宝生はその度はは、と曖昧に笑う。随分と手のかかる息子だな、困ったもんだ。

「おはよう、親不孝」
「親なんて居らんわボケカス、……あれ」
「なにかご不満でも?」
「いや、」

 ワーゲンバスの扉を力任せに開いたのは、宝生より幾分か小柄な影だった。音本だ。彼は窃野の傍らに停めた車から煙草をふかしながら降り立った。
 窃野は、はて宝生はどうしたのかと思案を巡らす。数秒のうちに昨夜の出来事を思い出すことができた。宝生は今、治崎と入中の手によってベッドの中に押し込められているはずだ。彼は珍しく風邪をひいた。八月の上旬。おおよそ頑丈と評判の彼も、結局は夏風邪をひくような人種ということ。比較的薄っぺらい窃野の中の辞書から「類は友を呼ぶ」なんて言葉が飛び出た。

「はやく乗ってくれないか、朝飯ができているんだ」

 煙草の灰を足元に落として音本が言う。
 クラブへ戻る途中、車内はシンとしていて、タイヤがアスファルトを転がる音がいやに大きかった。
 平生からあまり会話を交わすふたりではない。それは窃野も音本も薄々勘付いていることだ、よく似ているからであろう。幼いころからなんとなく、互いに、他の五人とは違う関係でいたからかもしれない。
 窃野は何事にも牙をむいていて、それは音本に対しても同じであったけれどもなにか、なにか他と違うふうに彼に接していたように思う。これも窃野にだって理由はわからない。

「君は、ずっとこのままでいいのか」

 五分ほど走ってから新たな煙草をくわえた音本は、ずっと続くアスファルトをまっすぐに見て言う。車内禁煙とやかましいはいない。窃野は音本を見た。

「どういうことだよそれ」
に負けて、宝生に世話されて、その辺のチンピラにも負けて」

 音本は窃野を見ない。窃野の眉間で皺が増えていって、淡々と話す音本に声を荒げそうになったとき、

「駄目だ」

 彼は驚くほど静かに言った。声を荒げることはなく銃声に訴えるような男だが、そのときはその声が銃声のように鳴った。窃野の心臓をひととき止めたように思えて、窃野はやはり、彼をまじまじと見る。表情一つ変わらない。音本はもう一度「駄目だ」と言って、それから「それでは、なににも勝てない」と続けた。

「やっぱ勝てねえのかな」
「珍しく弱気だな」
「違う、違うけど」
「なにが」
「思い当たる節があって」

 窃野は、が捨てていった言葉について思い返していた。なんでだよ、と噛みついた自分になんでもクソもあるかっての、と背を向けたの言葉。ぜったい負けないと思う。窃野が燻り、宝生の迎えを待つ間は。
 なんとなく掴めたかも。
 そう思ったとき、音本は左にハンドルを切った。猥雑な一本道を暫く走れば、宝生が、が、他の面々があたたかい朝食を前にして、一等手のかかる息子を待っているだろう。

「そうか」

 音本はそれだけ言ってアクセルを踏む。窃野は彼の煙草を取り上げて深く深く吸った。嗅ぎ慣れた煙草のにおいにニコチンが恋しくなったのだ。音本が物を言わずに窃野を睨む。「ありがとうな」精一杯笑ってやると、彼は呆れたふりをしてちいさくちいさく、ため息をついた。