アンチワールズエンドマーチ



「コーギーちゃんには悪いけど、しばらくは来ない方がいいよ。最近物騒だから」

 狐疑常義、というらしい赤毛の少女に(当人はさして気にも留めてはいないのだろうけれども)ぞんざいに言い放ったの横で俺は気づかれないようにひっそりと溜め息を吐いた。愚直に見えて存外天邪鬼なこいつは、本当に守りたいと思ったものでさえもこうして容易に手放そうとしている。いや、守りたいと思っているからこそ自らを取り巻く環境の危険に彼女が晒されることのないようにしているのだろう。ここ最近は特にひりひりと張りつめた緊張感が漂っている組の現状を鑑みればなるほど確かに、遠ざけてしまうことが一番確実に安全を確保できる方法であるように思えた。なりに、構成員でこそないけれども殆ど身内のような存在である彼女の身を案じているのだ。とはいえ、その心遣いが相手に伝わることのない言葉選びをわざとしているのだから難儀としか言いようがない。溜め息も出るというものだ。

「お前、ほんと素直じゃねえよな」
「トウヤくん、そういうの無粋って言うんだよ」

 狐疑の姿が見えなくなるまで長屋門から後ろ姿を見送って漸く潜戸を閉じたは、俺が舌に乗せた言葉に対し俺を一瞥することもなく即座にそれだけを吐き出した。それ以上突っ込むなと言いたいらしい。可愛くねえな、と思わずぼやくと「もうかわいいとか言われる歳じゃないから」と返ってきた。平素端々でこどものような扱いを受ける程には饒舌に稚気であるくせして、こういうときばかり沈着になるのだから全くもって、本当に素直じゃない。

「んだよ、今日機嫌悪くね?」
「べつに、悪くないし」

 玄関に向かうの背中を追いながら言葉を投げ掛けてみたけれども返事はつれなかった。平素へらへらと顔面に貼り付けている気の抜けるような笑顔はぺらりと剥がれている。こういうことは滅多にあるわけではなくて、だからというかなんというか、一度機嫌を損ねたは正直に言ってまるで手に負えない。わあわあと喚き散らすことこそないけれども、途端に口を開かなくなって、僕はきみのせいでいま気分が落ち込んでいるんだよ、と当人ひとりの耳元で囁くような実に巧妙な空気を醸し出す。女なんてものは皆似たようなつくりになっていて、不平不満を留めておくだけの余白を体内に持たずぎゃあぎゃあと散々に喚いて暴れて泣いて人を責めることを正義だと思っているものだとばかり思っていたけれども、ことに関してはそうではないらしい。そういう単純なつくりであったならどんなに良かったことか、と思わないと言えば真っ赤な嘘になるけれども、女性関係に於いて些か苦い思い出のある俺にとってはたとえ把促が叶わなくともこいつの性質の方が幾分かマシであるように思えた。

「そういやお前、また若頭に部屋の壊されたんだってな」
「……気に入らないなら放っておいてくれりゃいいんだよ。いちいち突っかかってきてさ、めんどくさいったらありゃしない」

 潔癖故かその気色悪さからか、曰くの『作品』の存在を若頭は疎ましく思っている。現に若頭の個性で破壊された『作品』は、もはや両手の数を優に越えている。からしてみれば堪ったものではないのだろう、ぐっと眉間に皺を寄せながらそう吐き捨てて、ガラリと引き戸を開け土間で靴を脱ぎ自分専用のスリッパに履き替えたは、ずんずんと廊下を進み掛け軸の前に置いてある花瓶を脇に避け、絡繰仕掛けになっている敷き板を迷いなく押した。どうやら地下に向かうらしい。

「トウヤくん、結さんと空満くんのとこ戻らなくていいわけ」
「四六時中一緒なわけじゃねえから」

 結さんと空満くん、もとい宝生と多部は俺とほぼ同時期に若頭に拾われたこともあって共に行動することが多い。加えて皆似たり寄ったりな境遇であるから確かに信用も信頼もしてはいるのだけれども、なにかにつけ仲間内で固まりたがる学生でもあるまいし、別にお友達ごっこがしたくてここにいるわけではない。そもそもが俺達は一度は社会に捨てられ、俺に至っては自らの命を擲とうとした身だ。今更再起したところでなにかしらの有益を得られるわけがないのだけれども、こんな自らに生きる価値を見出だせなくなったゴミを再利用しようとしてくれている人間がいるというのだから今となっては這ってでも生きねばならない。若しくは少しでも若頭の御役に立てたというのであればもはや死ぬことすらも本望だ。

「つーか、お前はなんでそんなに若頭に当たり強いわけ」
「……トウヤくんに言ったって仕方ないことかもしれないけどさ、力が強いってのは、ただそれだけのことで周囲に影響と悪影響を与えるもんなんだよ。そこには責任なんて伴わない。『殺人狂時代』、わかるでしょ」
「……あー、まあ、」

 力が強い。その一言で片付けてしまうにはあまりに杜撰のような気もするけれども、確かに若頭の個性は強力なものだ。チートと言っても差し支えない。
 『一人殺せば殺人者で、百万人殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる』或る映画でチャールズ・チャップリン演じる人物が言った有名な言葉だ。英雄と殺人者は紙一重、ともよく言われるけれども、それは英雄と言われる人の多くが戦争によって業績を残し人々の賞賛を受け力を得ていくからだ。戦争のような混沌とした状況の中で数多の敵を倒した人物は、味方にして見れば確かにヒーローたりえるかもしれないけれども、それは敵からすれば悪魔そのものに思える。そして、敵が強く大きいほど業績は輝いて見えるものだからだ。現実の世界での英雄は屡々決して聖人でも模範的な人物ではないことが多いけれども、当時の世界でどれだけ多くの人の支持を集め賞賛を受けたかで、その後の評価が決まってしまう。つまり英雄という者が善人か悪人かは然したる問題ではなく、どれだけ大きな仕事をして人々の記憶に残ったかが重要なのだ。

「かの台詞は多くの名言集にチャップリンの言葉として引かれてるけど、実際はギリシャの哲学者デジデリウス・エラスムスの言葉だそうだよ。似たような言葉も紹介されてるし、こっちの方がよっぽど含蓄がありそうだ。……そう、確か生物学者だったジャン・ロスタンは『一人の人間を殺すと、殺人者である。幾百万の人間を殺すと、征服者である。すべての人間を殺すと、神である』とか、言ってたかな」

 一般的に英雄と呼ばれる人間は、人々が賞賛するような素晴らしい業績を残している。例えば一般的にアニメの中に於けるヒーロー像とは圧倒的な正義の味方であって、敵を倒したりだとか弱きを助けたりだとかをするイメージなのだろう。けれども現実の世界で英雄が生まれるときは、伝説や物語の中で偶像化され造り出された英雄であることが多い。実際は、偉大な業績を残した人物はそれだけ多くの敵や犠牲を出していることが大半であって、賞賛の数だけ批判の声があると考えて間違いはない。
 歴史家などの意見では、社会情勢が不安定になると多くの人々は救いを求め、或る優れた人物が現れて助けてくれるのを待っているのだという。その結果として奉り上げられた人物が時間をかけて、偶像化、或いは神格化されて英雄となるのだ。それはきっと、子供がヒーローアニメに夢中になるのと同じ感覚なのだろう。

「……トウヤくん、僕ちょっと組長の様子見てくるから先に上戻ってて。たぶん、綾もそろそろ起きる頃だと思うし」

 隠し通路に降り立ったはそこで漸く俺の姿を目に写した。その表情には依然笑顔など浮かべられてはいなかったけれども、先程よりかは幾分か柔らかいものになっている。それなのに、どこか今にも割れそうな薄氷の上に立たされているような心地を覚えてしまう。波長が合う故かなんだかんだと行動を共にする機会こそ多いものの、結局こいつは組長派の人間であるのだと思い知らされた瞬間だった。

「……おう」

 なにか気の効いた言葉などというものを掛けてやれないのはいつものことだ。恐らく俺だけが感じているであろう気まずさから僅かに視線を逸らして、俺は先程降りてきたばかりの地上へと向かう階段に足を乗せ、ぼんやりと思考を巡らせる。
 原題は「ルールズ・オブ・エンゲージメント」。交戦の規則とでも言えばいいのだろうか、海兵隊員が戦闘を行う際に守らなければならない規則、例えば捕虜を殺してはならないだとか、非武装の一般市民を殺してはならないだとか、人道に則したルールのことだ。けれども生命を賭けた戦闘の最中に、そんな規則が守れるだろうか。かといって規則がないとすればそれはなにをしてもいいことになりはしないか。戦争とは、国を守るため国民を守るためという正義の旗印が背後になければ、単なる殺人であり破壊である。戦争には勝たねばならないけれども、だからといって勝つ為にはなにをしてもいいかと問われれば決して良しとは言えない。ただ勝つだけでなく人道的に勝たねばならない。けれども、そんなことは本当に可能なのだろうか。

「人道的な戦争なんて、この腐った世の中には存在しないよ。ここはユートピアなんかじゃなくてディストピアだ」

 俺の背中へ向けてぼそりと吐き捨てられたのその言葉はけれども、心の奥底に深く沈殿し残留するような気がした。