この傷はあげない



「……お前さァ」
「なに?」

 半分程開いた扉に寄りかかって口を開いた俺に返事をしながらも、こちらを一瞥する様子すらないに思わずため息を吐いた。
 水の張っていない水槽に手を差し入れてが触れているものは人体だ。こいつが個性【プラスティネーション】を使うのは専らみずからの趣味に於いてのみ適用される。死体処理に有用性のある個性をけれど、こいつは若頭から命令されたとしてもあまり使う気にはならないらしかった。けれども、そもそもがこいつは組長派の人間で、若頭にとって利用価値があるからここに置かれているに過ぎないことを知ったのは組に入って割りと初期の段階であったように記憶している。
 遺体としか正面切って向き合うことのできない"個性"を、本人は気に入っていると言いつつもそれを行使する姿を見ているとどこか深淵を覗くような心地にさせられる。『深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ』とは、一体誰の言葉だったろうか。

「お前、そんなことばっかしてて大丈夫なわけ」
「なにトウヤくん、僕のこと心配してくれてんの」
「バカ、そんなんじゃねえよ」

 心配なんてしていない。そんなぬるま湯のような生易しいものではない。
 こいつがどんな胸懐でこんな馬鹿げた行為を繰り返しているのか動機を知る術は俺にはないけれども、あくまで趣味の範囲内として行っているというのであれば、それに対してやいやいと気軽に口出しをするべきではないことくらいは俺にだってわかっている。ただ、強いて言えば少しばかり気懸かりなことがある、程度のものだ。

「……あいつは、このこと知ってるわけ」
「あいつって?」
「わかってんだろ、紡木だよ」
「……ああ、綾のこと」

 紡木綾とは腰にも届く長さの赤い髪を携えた、よりも前から組にいるらしい女の名前だ。とは言っても、俺らや他の構成員のような組の仕事を任せられることはなく、専ら家事専門に行っている。同様に組長派らしい彼女と話す機会も理由も特にないものだから詳しい年齢は知らないけれども、なんだかんだと彼女を姉のようであり母のようにも慕うの話だと恐らく歳は若頭と程近いであろうとのことだった。
 死穢八斎會には年齢の割りに童顔な者が多い。今俺の目の前にいるもそのひとりであった。出会った当初、てっきり十五、六の学生かと思っていたのだけれども成人間近だと聞いたときはあからさまに瞠目したのを覚えている。

「綾は知ってると思うよ。構成員の部屋の掃除とか、僕も手伝うときはあるけど大体綾の仕事だし」
「でも、"これ"の意味は知らないんだろ」

 がこうして人間を殺してはプラスティネーション加工を施し本人曰くの作品に仕上げている動機を知るものは、外部は元より組にだって誰ひとりとして存在し得ない。本人が話そうとしていないのだから当たり前だ。
 言外になぜ教えてやらないんだと含めると、漸くエンバーミング処理が一段落ついたのか死体からゆっくりと手を離し、こちらに目を遣るの表情は至極晴れやかで穏やかだった。

「そんなことはね、綾が知る必要はどこにもないんだよ。しずかちゃんにも、クロにも、勿論トウヤくんにもね」
「信用してねんだな」
「おかしなこと言うね、トウヤくん。僕はちゃんと信用も尊重もしてるよ。最初から裏切られるつもりでかかれば、人を信用することくらい簡単なことさ」
「……素直じゃねェな」
「なんのことやら、さっぱり」

 そうして白々しく肩を竦めるに思わずため息を吐く。がこうしてみずからの得体の知れなさを露呈することがどういう意味を持つかだなんてとっくに判りきっている。こいつが心臓の裏に隠している祈りも透け見えた。大抵のことであれば素直にぺろりと舌に乗せて白状するがこうして口を噤むのは大体が自分の中でも消化しきれていないことがあるときだというのは知っている。そして、俺たちに余計な重荷を背負わせないようにしているのだということも。は分かって貰う努力をなにひとつとしてしようとはせず、俺らに分かる努力をなにひとつとしてさせない状態で、どうせ理解など出来ないであろうと勝手に見切りをつけている。世間一般的に言うサイコパスの心情を察することができるようになりたいなどと思っているわけでは決してないけれども、出来ないだろうと侮られるのは些か腹が立つものだ。なにかと知らないほうが良いことが蔓延る世界で知るべきことを選び取って引き上げることは決して容易いことではないけれども、浅瀬でのんびりと揺蕩うように生きていたいわけじゃない。UFOの存在なんてどうだっていいし、神様だって俺にはなんの関係もない。

「……なあ。深淵を覗くとき、ってあれ、あるだろ」
「うん。 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェだね。『善悪の彼岸』」

 僅かに腹の底で燻る苛立ちを鎮めるように転換した話題に対して言い淀むことなく紡がれた名前と著書名に、正直俺は著書名なんて知らなかったけれどもゆっくりと頷いた。ニーチェのフルネームも著書名も、興味なんて露程もないし普段の生活の中でおおよそ必要とも思えない。学はないと言いつつも披露される、こいつのこういった知識は何処から来ているものなのか。

「ただ、それって原文通りじゃないね。"Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein."……『おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。』」
「ドイツ語なんて知らねえよ」
「だろうね。で、この言葉の前にはもうひとつ有名なセリフがあってさ、なんだと思う?」

 知らねえよ、と再度言ってはみたけれども、実際俺の頭は既に答えを想定していた。善悪の彼岸。彼岸とは仏語で生死輪廻する現世を此岸とし、煩悩を解脱した涅槃の境地のことだ。つまりは善悪の境界線を超えた領域へ伝統的な道徳性を破壊的な批判を以て排し進むという意味であって、客観的に正義と言われるものは定義不可能とし、この批判で支持されるものは感覚主義やモラリズムであり近代的個人の危険な状態と衝突することを恐れない積極的な接近を自ら見做すものである。

「"Wer mit Ungeheuern kampft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird."『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。』……ねえトウヤくん、わかるでしょう。現代社会に於いて、この怪物は僕たちなんだ」

 自らを怪物と喩えて心底愉快そうに笑うの足元におびただしく並べられた水槽の向こうで稼働するエアコンの音がいやに喧しい。そのせいかどうかはわからないけれども、の笑い声なんてこれっぽっちも聞こえなかった。