変な人だね、と言うと君も大概だろうと返された。心中一緒にしないでよと思いつつあーそうですか、とぞんざいに返して、湯気の立ち上るコーヒーカップに口をつけたらびりっと舌が痺れて思わず顔を顰めた。たぶん、火傷した。まったく、ひどい厄日だ。
音本真先生は変な人だ。ゆとりゆとりとからかわれ現代社会の激しい荒波に翻弄される僕とは到底比べ物にならない程に変な人だ。お天気キャスターマニア。最近は世間を騒がす爆弾低気圧男、治崎廻が好き。彼が身近な存在だと知ってからは、なんだかますますハマッてしまったように見える。神格化さえしているのだ。それから、他人とあまり会話をしたがらない。死体を解剖するし(まあそれが彼の職業なわけだけれども)、なにより自分は死体としか会話をしないと豪語する(けれどもこれは彼の人格に問題がある)。そんな彼を揶揄する意味でも僕は先生と呼ぶことが多いのだけれども、そのことに気づいていながらも諌める素振りすら見受けられないのは先生が優しいからだとか柔和だからだとか温厚だからだとかいう極めて平和的な理由なんかでは勿論なくて、基本的に他人への興味関心が極端に希薄なのだ。
「僕は嘘をつかないから、死体に似てるって言ったよね」
「それを言ったのは私じゃない」
「でもそれってほんとでしょ、先生ってやっぱり変な人だね」
音本先生はくるりと椅子を回して容易く僕に背を向ける。ほんのすこしだけよれた白衣に、いかにも高価そうな銀縁眼鏡。外見的特徴をなぞればまるで小説から飛び出したかのような出で立ちは理想とされる監察医の姿そのものだ。けれども彼の後ろで、治崎廻の写真の数々が視界にちらつく。やはり彼は変な人だ。
原題を「Morgue: A Life in Death」。「死体は嘘をつかない」と訳された有名な本だ。著者のヴィンセント・ディ・マイオはメリーランド州検死局やテキサス州ダラス郡検死局を経てテキサス州サンアントニオのベクサー郡検死局長を25年務め、退職後は法医学コンサルタントとして全米で注目を集めるさまざまな事件の裁判で専門家として助言や証言を行ってきた。特に銃創の権威として広く知られ複数の専門書の著書を上梓している。当該の書は、そんなドクター・ディ・マイオが実績あるノンフィクション作家ロン・フランセルとの共著で世に送りだした初の一般向け書籍であり凡そ45年に及ぶ検死医・法医学者としての経験の中から特に印象深い事件について語っているものだ。
それらすべてが実話であり現実の出来事であるが故に、フィクションのようにすっきりとオチのつくケースばかりではない。ドクター・ディ・マイオが解き明かした謎や達した結論が現実の裁判結果に必ずしも反映されていないことは本書を読んでもわかることであるし、司法取引によって法医学的に見て潔白と思われる人物が結局刑罰を受けることになったケースや、世論など法医学以外のさまざまな要素によって陪審の評決に影響が出たケースなどが本書には取り上げられており、そこにはアメリカの司法制度の問題、さらには客観的・科学的な証拠以外のさまざまな社会的要因やイメージが裁判結果に影響を与えるという厄介な問題が浮き彫りになってもいる。
けれども(いや、だからこそ)世論や遺族感情を一切斟酌せず、あくまで医学的な事実とのみ向き合って結論を出すという姿勢をドクター・ディ・マイオは貫いている。それこそが死者への敬意であり死者のために正当な裁きを下すことであるというのが彼の法医学者としての矜持なのだ。
「だからさ先生、たとえばの話だけど、僕がもし殉職したとして」
背を向けた音本先生は僕の言葉に、ぐるりと素早くこちらを振り返った。
「いきなり何を言い出すんだ君は」
PCレンズ、光を反射して青く光るそれの向こうで彼の目が僅かに剣呑な光を灯して僕を映している。
サア、と強い風の音に気が付いて窓に視線を遣れば雨が降っていた。先程まで晴れていたはずなのに、と窓ガラスに叩きつける雨をぼんやりと見つめる。
「僕は死体ですか?」
「まったく脈絡がないんだが」
「僕は死体に似ているのに、本当に死体になったら、それはもう僕ではないんですか」
意味がわからない、と眉間に皺を寄せた先生は頭を振って熱いコーヒーを啜る。
なにもわからなくたっていい。
きっと先生の目は、生きた人間よりも遥かに多く、誰かも判別のつかないような遺体を映している。音本先生が僕の目を見て言葉を交わしてくれるのは、僕が死体に近しいからに他ならない。幾千もの死体を見つめてきた彼の目に生きた人間として爪痕を残すことができるのは、僕が死体に近しいからに他ならない。そんな僕でさえいつかは死んでしまって、或いはもしその身体が彼の手で暴かれることになるのであれば、それはもう僕ではなくて、というひとりの人間ではなくて、ただの物言わぬ仕事相手に成り下がるのだろうか。
頭のなかだけで小難しいことをつらつらと考えるのは、嘘を吐くことと同じくらいに不得手だった。余計なことを言ってしまった、と後悔した矢先、「ただ」音本先生は僕から視線を外したまま白い指先でぐしゃりと頭を掻きまわす。「ただ?」聞き返すついでにすこしぬるくなったコーヒーを啜るけれども、コーヒーの味なんて殆どわからなかった。空気に触れる舌がひりひりと痛む。
「君は私が生きている限り死んではならんよ」
音本先生が、治崎廻コーナーのカーテンを降ろした。