楽園と聖域



 ガチャリとドアノブの回される音が耳に届いた。次いで扉が開き、暗闇が支配していた部屋の中に光が差し込む。少女がハッと身を起こし扉の方向に視線を遣ると、逆光の中透き通るような茶色の髪が揺れるのを見た。

「や、壊理ちゃん」

 遊びに来たよ、と尖った八重歯を覗かせ笑うその人物から身を守るように、少女はからだを縮こませた。そんな素振りなど気にも留めないといったふうに人物――はつかつかと手のつけられていない玩具が散らばった部屋の中を進み少女――壊理が寝具に使うには些か大きすぎるであろうベッドへと座り込む。の体重で僅かにスプリングが軋みマットレスが沈んだ。

「この間はしずかちゃんにしこたま怒られたからね、今回はこっそり来たんだ」

 秘密だよ、と一本立てた人差し指を口元に寄せる。その稚気溢れる表情を見ても壊理の身体は表情筋と同様に強張ったまま緩むことはなく、はつれなさに無言で肩を竦めた。どうやら、随分と警戒をされているらしい。
 実の親を"消失"させ捨てられたらしい壊理を組長が引き取って来て、彼女の世話及び個性の検証は治崎に一任された。そういった"実験"は治崎の得意としていたところだからだ。も治崎同様に実験に長けた部分はあったけれども、の場合はどちらかといえば化学や医療の薬品製作や人体構造の知識に秀でていて、個性の調査に適任とは言えなかった。適任かそうでないかで言えば、人を人と思わぬ治崎の倫理観を鑑みると彼が世話係に就いたことも決して適任とは言い難かったけれども、組長にそこまで考慮しろとは誰も言えなかったのも一因であったように思う。
 結果として壊理は超人社会の理を壊す啓蒙の道具として、凡そ人道的とは思えない扱いを受けてきた。みずからの個性を把捉することも抵抗することも叶わず身を切られる日々の中で、自分が何者であるかという疑念すら抱けずにいたのだから、そんな彼女に他人を信用しろと言うのも些か酷であったろう。

「……怖いのは個性とか、ナイフとか、銃とかじゃなくて……、それを扱う人間なんだ」

 一向に警戒心が解ける様子のない壊理をじっと見つめ、ややあって口を開いたの言葉に壊理はそっとの表情を窺った。先程までの貼り付けたような笑みはなかったけれども、少なくとも壊理の瞳に映るその目は"あの人"のようにひとではないものを見るような冷たいものではなかったと思う。

「厳密に言えば、扱う人間の心というかさ。知ってる?ボールペンとか鉛筆とか、小学生が持ってて当たり前のものでも人間の身体を貫通させることは可能だし、刺しどころが悪ければ殺すことだってできるんだよ。道具がなくても人間、器官を塞げば窒息死させられるし、子どもだって大人を電車のホームに突き飛ばすぐらいの力はあるだろうから、ほら、やっぱり殺せちゃう。人を殺したり傷つける手段がありふれた世界で、それでも殺人や傷害が『罪』として認知されるぐらい『普通じゃないこと』なのは、多くの人間がそれを『悪いこと』として意識しているからだ。たとえそれが外来宗教から発生した思想でも、多人数が意識しているから常識として捉えられているだけだとしても、たとえ認識のあり方が不確かだとしてもそれが事実なんだ。だから僕は、人を傷つけるかもしれない個性を恐ろしいと思っている君を、壊理ちゃんを怖いと思うことはないよ。むしろ真に恐ろしいものがあるとすれば、それは理不尽な悪意や無邪気の方だ」

 それらの言葉はきっと五歳程の子どもには理解の叶わないものだった。けれども、少なくとも向き合う姿勢がにあることは理解できたのだろう、先程までは怯えしか滲んでいなかった壊理の瞳に、僅かに光が差したのをは見た。
 懐柔しようと思って言ったわけではない。同情して言ったわけでもない。けれども、どうしても、壊理と自分を重ねてしまう。こんなに小さいのに親に置き去りにされた壊理、同じくらいの年齢で親に捨てられた自分。可哀想な子どもとして生きていかなければならない、そして"可哀想"の意味なんてどうでもよくなって、ただの変わり者として見てくるたくさんの目。
 逃げちゃだめだ、立ち向かって行け。もう少しで壊れてしまいそうなのに、それでも逃げることを許してくれない。周りが理解してくれるのを待つなんて、そんなものは解決策ではない。感覚が麻痺するのをただ待っているだけ、本当の自分とさよならするだけ。
 人は感情を失うことができる。なにも感じないことを感じて、これが幸福だと認識する。やっと見つけた楽園に安堵して、この楽園の住人になろうとする。誰も間違いを指摘してくれないから、なにも知らないまま成長していく。そのままなにも知らない大人になって、老いていく。なにも知らないから、寂しくはないし悲しくもない。笑顔もなければ涙も出ない。人間の造りをした塊が、この世に存在する意味はあるのだろうか。
 自分がなんのために生まれてきたのか、明確な答えに辿り着く人はどのくらいいるのだろうか。答えに辿り着いたところで、その先に確固たる幸福が用意されているようにはとても思えない。だからみんな答えを探している。その先に待つ何かに思いを託して。
 昔、組長がに言った言葉がある。が「自分はどうして生まれてきたのかわからない」と言ったとき、組長は珍しく声を荒げた。

『生まれてきた意味なんか誰も知らねえ。周りがなんと言おうが、答えは存在しねえんだ。誰かのために生まれてきたわけじゃねえ。生まれたらこっちのもんってことだ、自分の好きなように生きればいい。無駄にしてたら、もったいねえだろ』

 生まれた意味はわからないけれども、生きている意味ならわかる。たとえば、風呂上がりに冷蔵庫で冷やした水羊羹を食べるために生きている。たとえば、新作映画のDVDがレンタルで出たとしても地上波で放送されるまで我慢してテレビで見るために生きている。たとえば、みんなに誕生日を祝ってもらうために生きている。たとえば、仲間におはようと言うために生きている。
 こんなふうに挙げればキリがないくらいになるまでにはある程度の時間が必要で、壊理にはまだまだその時間が足りない。これからもっと生きて生きて生きて、のように大きくなって漸く、答えの端に触れるようになる。

「ねえ壊理ちゃん、僕さ、未来が見えるんだ」

 未来が見える、という些か現実味の欠けた単語に壊理が僅かに反応を示した。怪訝そうに寄せられた眉を見てふっと息を溢す。
 見える、と言ったら語弊があるだろうか。それらに触れたり操作したりすることはできない。ただ、見えるのだ。そのひとの皮膚から透けて見える本質、目の奥に潜んだ感情、そのつま先が向いている未来のまぼろし。これは個性や超能力の類ではない。まやかしのちからだとこれを疑うつもりもない。手口はどちらかというと手品に似ている。けれどもこれを口にするとおそらく懐疑の目に晒されるだろうから、このちからは決してひとには明かさない。たった今、ただひとりを除いては。

「決して遠くない未来、壊理ちゃんを救い出してくれるヒーローが現れるよ、必ず」

 だって見えるからね、と戯けたように片目を瞑って見せると、壊理の血色の悪い小さな唇が震えて、まるっこい瞳がうるりと揺れた。
 こんな絶望しか存在のしないような場所に於いても、せめて、救われたいと願う心だけは持っていたいと思わないか。そんなちいさな願い事くらい神様なら叶えてくれるって信じてみたくないか。世界を生きたんだから、それくらいのご褒美はもらっても構わないだろうと思うのだ。
 からだばかりが大きくなっていく成長過程でヒーローになれない現実を嘆いた日もあるけれども、もはや嘆くことはない。不安定な存在である彼女に差し伸べられる手が自分のものではないことくらいはとうにわかっている。なぜなら自分は主人公ではないからだ。じきに本物のヒーローが彼女を救ってくれることだろう。
 生まれたことに罪はないし、生きることにも罪はない。たとえそれが当人の望んだかたちとはすこし違ったものだとしても、壊理の生きている意味を壊理が見つけるそのときまで、見守ってやりたいと思うのだ。
 このちっぽけな心臓が働きを終える、最後の最期の一瞬まで。