狙ってしまえ左胸



 君の心臓が欲しいとか、そういうことではなくて。

「……寒いね」

 十一月、そろそろ冬支度が必要になってくる頃。制服のセーラーの上に着込んだカーディガンの袖を引っぱった。そうして春になった頃には安物のカーディガンの袖はだらしなくびろびろに伸びてしまって、お母さんに怒られるのだ。けれども、もう今年はそういうこともないのだろう。ああ、なんてぼんやりとした三年間だったのか。つらつらと流れる思考は、秋空の雲と同じように漂っている。暖房を炊いているおかげで室内にいるとそこそこに暖かいものだから窓から光が射せば外も暖かいと錯覚してしまいがちで、今もベランダに出てきたことを早々に後悔しているところだ。

「スカートそんなに短くしてるからだと思うんだよね」
「うるさいよ、学ランってほんとずるいよね」
「下になに着ててもいいから?」
「というか、まず足が覆われていること自体うらやましい」

 はは、と耐えきれずに眉を下げて笑った顔が好きだ。いつだって教室の中心にいて常に笑顔を絶やさないような男が、ふとしたときにやわらかく破顔する様になんだか無性に惹かれた。そのことに気がついて、もう三回目の冬になる。なんて一途な乙女なんだろう、と思って、そんなみずからの思考に思わず眉を顰めた。乙女だなんて、似合わない。

「あともう少しなんだよなあ」
「なにが」
「学校。年明けたら、ほぼ自由登校だろ?」
「……そうだね」

 三年生は年明けから自由登校と決まっている。忘れていた、失念していた。会えなくなるまで、あと二ヶ月。声変わりした低い声、アイスブルーの双眸、さらさらと流れるような金髪を首の後でくくって、入学当時よりずっと伸びた背丈、「」とわたしを呼ぶ音。

「どうしたんだよ、寂しい?」
「……寂しい、のかな」
「適当だなあ」
「分かんないもん」

 嘘、分かっている。彼が隣にいなくなること。
 こまめに連絡を取り合うような関係ではなかった。なにかのついでみたいに取り敢えずと交換した連絡先も、三年間同じクラスだったというのに一度として使われることはなかった。電話帳に残されたその名前をわたしはどうするつもりなのだろう。残さないことを選んでしまえばこの三年間の思い出も彼の存在もすべて透過して記憶からすり抜けていってしまいそうな気がして、消すのか、そのままにしておくのか、それをもう、三ヶ月程決めかねている。

「自由登校になったら、もうそのまま卒業って感じなんだろうね」
「……まあ、あっけないもんだよね」
「繋がろうと思えば繋がれるけど、タイミング逃せばそのままさよならでしょ」

 証などないから、第二ボタンなのかもしれない。歴代の乙女が欲しがったそれは、アルバムに並べられた写真なんかよりもずっとずっと、そこにお互いが居たしるしになるだろう。世界にひとつだけ、彼の第二ボタン、彼の心臓。ちらりと横目に見たそれは、今は全く特別には思えないけれども、すぐそこに近づく春を思えばなにやら輝いて見える。人間誰しも現金なものだ、この鈍い金色をなによりも代えがたいものに感じるなんて。

「ねえ、」
「ん?」
「最後にさ、ひとつ頼み事聞いてよ」
「なんだい?」
「卒業するとき、通形の第二ボタンちょうだい」

 彼が頷くかは分からないけれども、言うことくらいは許されてもいいだろう。なにせ、わたしの三年間がそれに詰まっているのだから。
 ぱちり、とひとつ瞬いて、通形が笑う。わたしの大好きな顔をして。