帰宅ラッシュが終わり、黄昏時が過ぎて夜の訪れる少し手前。先程までは夕焼けが車内を赤く染めていたのに今ではすっかり陽も暮れて、不規則な揺れが視界と身体へ絶え間なく振動を与えてくる。手持ち無沙汰を解消するために手にした携帯も、特に大した情報が入っているわけでも与えてくれるわけでもなかった。ただ揺れに任せて過ぎていく時間は退屈で、僅かにため息を吐く。とはいえ、本のひとつでも持っていたとしても漠然と時間が過ぎてしまうことに変わりはないなと轟は再びため息を吐いた。電車の揺れとは別に視界の左端で大きく上下する頭が、また危うげに落ちる。思わず手を伸ばそうとするけれども、それより先に無意識に体勢を立て直したが微かに目を開けた。
「……いま、どこ」
「降りる駅になったら起こすぞ」
うん、とも、ううん、ともつかない声を最後に再び目を閉じたの頭頂部を見下ろすような形で眺める。
。同じ高校、同じ学科、同じヒーロー志望。ついでに言えば小学校から一緒だった。緑谷と爆豪のような幼馴染と言う程の長い付き合いではないけれども、十五歳になったばかりの学生にとっては人生の殆ど半分で、物心がついてからのほぼ全てだ。轟の家庭事情を知っても尚、付かず離れず、常に穏やかな温度を保ち続けている同じ年頃の男女を、轟は自分たちの他に知らない。
幸いと言うべきか、の個性は轟の半冷半燃と相性が良かった。雄英を受験すると知った折にと共に個性の訓練を行ったのは未だ記憶に新しい。てっきりサポートや後方支援向きの個性だとばかり思っていたけれども、どうにか第一志望のヒーロー科へ合格を果たしたらしかった。生憎と轟は推薦入試であったので、が如何にして実技試験でポイントを稼いだのかは知らないままである。
職場体験や校外活動等、特別なことをしない限りスケジュールは同じになり、出される課題も必要な出席日数も当然同じになる。雄英ともあれば授業で出される課題もほぼ毎日、それに加えて戦闘訓練等の実習が含まれるヒーロー科に在籍していれば、帰宅して即就寝したとて疲労は蓄積していくものだ。課題が立て込んだ、と朝一番でひどい顔を見せたと思えば全ての座学授業を突っ伏し続けたに登校した意味があるのかと昼食の時間に問えば、「出席日数」の四文字を恨みがましく告げられた。いくら出席をしていたとしても授業の平常点は期待できないだろうな、とは思ったけれども言わないでおいたのは優しさなどではなく面倒だったからで、がテストではそれなりの点数を取ることをわかっているからだ。飯田や緑谷と同等、とまでは言わずとも比較的真面目な轟にとっては耳に痛いわけでもなく、どちらかと言えば縁のない言葉である。そもそもが頻りに睡魔に襲われるのは不真面目なわけではなく個性の副作用の面が大きい。訓練を積めば個性行使の幅は広がるけれども、副作用の緩和はさして望めるものではないらしかった。そのため授業のノートをできるだけ丁寧な字で取ることも、下手すれば寝こけているの分のノートまで記入するのも、小学生からずるずると関係を続けてしまっている今、世話を焼いているという感覚すらも残ってはいない。不定期にからお返し代わりにと菓子折を貰ったり昼飯を奢って貰ったりもするけれども、義理立てする必要のない関係は存外に居心地がよかった。
ゆらゆらと揺れる頭が視界に入る。完全に眠りに落ち切らないのか、倒れそうになるところを僅かな意識で繋ぎ留めているのがありありと分かる。そうして触れている肩がまた揺れた。
寄っかかってくれればいいのに、いや、いっそ頭を乗せてくれてもいい。
そこまで考えてはっとする。数こそ少ないけれども、車内には他の乗客もいる。時間帯から考えて同じ雄英の生徒、ひいては同じ学年の生徒もいるだろう、同じクラスの奴らがいそうにないのだけは幸いか。
（いや、ない、な……）
思わず心中でかぶりを振った。誤解を生んでやりにくくなるのは自分だけではない、にも迷惑がかかる。ヒーローになるための過程にすぎないと言えども、コミュニティは大事だ。高校という狭い世界の中で息苦しい思いをせずに生きていくための障害となるものを、わざわざ作り出す必要性は全くない。
わかっては、いる。わかってはいるのに、轟の手はそれと気づかれない程度の力での右腕を引いていた。不安定に揺れていた頭が弱い力に任せてゆっくり傾く。わざわざ肩に乗るよう座る位置をずらして高さを調節しているあたり、自覚してやっているのだから救いようがない。先ほどまで中途半端に触れていた体温が一気に近くなる、肩に乗るの髪から香り立つ、顎や頬、そして首筋に触れるその髪の毛一本一本が柔らかい。ふわり、だとかさらり、だとかそんな形容詞が思い浮かべば自然と平素は無愛想気味である表情筋が弛んでしまっているのが自分でもわかって、慌てて口元を引き結んだ。
伏せられた睫毛が前髪の隙間から見える。どんな顔をしているのだろうと好奇心から覗き込み、一瞬にして動機が変わった。無防備な唇にそのまま触れれば、さすがに違和感を覚えたのか、が小さく唸って身じろぎをして、どきりと心臓が跳ねる。
今起きられてしまうのは、非常に困る。
この距離も、わざわざこちらに引き寄せた身体も、どうしようもなくじわじわと火照る頬も、きっと赤いであろう顔も。
好きだと告げる以外、正当な言い訳が見つからない。