零時過ぎに降りだした雨はまだ止まない。ひたひたと窓を叩く雨粒に一体いつの記憶が蘇ったのか、直接嗅いでもいないのにゲオスミンのにおいが鼻腔を過った気がした。
曇天が空を覆い隠して部屋は薄暗い。雨音がぼんやりと耳に届くだけの空間で目を瞑ると、まる身体がゆるりと解けて闇に溶け出してしまいそうだと錯覚してしまう。いつか本で読んだ怪物みたいに名前の無い負の感情がしんしんと心臓に降り注いで、不意に年甲斐もなく、どうしようもなく声を上げて泣きたくなってしまうときがたまにある。
昔、自分の個性が怖かった。
両親の遺伝を平等に受け継いで身に宿した個性は、ノーリスクでの治癒が可能であることも由来して有用性が高く強く、けれど少しでも制御を間違えれば容易にひとを殺せてしまうものだった。
3月21日、4歳の誕生日を迎えて初めて個性が発現した日、わたしは自分の個性で死にかけたことを今でも覚えている。“太陽”の働きによる急激な体温上昇で大熱を出したのだ。
一般的に、人間の身体は体温が上昇しても体温調節中枢によって四十二度を越えないようになっている。四十二度を越す体温が長時間続くと、身体を組織している蛋白質が変性して固まってしまい、なおかつ血液の酸素運搬に支障が発生し生命を維持することができなくなるからだ。
勿論それはごく一般の、個性によって人間の限界が未知の領域へと足を踏み入れた超常社会となる前までの話になるけれども、個性が発現したばかりでコントロールの方法も儘ならない中、自分の意思に反して上昇していく体温に夜も眠れず、およそ一週間もの間、始終全身火だるまにされ続けたような心持だったことを、今でも屡々夢に見る。文字通り地獄のような日々を忘れることができない。
いつだったか、ある程度個性の制御ができるようになったとき、偶然『裁かるゝジャンヌ』という映画を観たことがあった。わたしはジャンヌ・ダルクと違って磔になどされていなかったけれども、業火の炎で刑に処された彼女も、或いは同じくらいに苦しかったのだろうか。
そう思ったら、唐突に個性を使うことが怖くなった。正確には、あんなにも苦しい思いをする恐ろしい力を、外界に向かって行使することが怖くなった。お父さんから“クロロフィル”の性質も同時に受け継いでいると自覚する前の出来事だったから、余計にそう思ったのかもしれない。「わたしの個性は、ひとを傷つける力である」のだと。
「ね、ミリオは、こわくないの?わたしの“個性”」
ある日に、そうミリオに問い掛けたことがある。
自分の個性が怖くて、だれかを傷つけてしまうかもしれないことが怖くて、自分と向き合う覚悟も他人と触れ合う覚悟もできずに、人見知りを拗らせていた時期。元来個性発現の前から人見知りのきらいはあったけれども、自分の個性が怖いと覆うようになってから、それは殊更顕著になっていた。
確か、ミリオがうっかり“透過”してしまって橋から落ちて川で溺れ、ヒーローに助けてもらった後のことだったと思う。俺もヒーローになりたい、と意気込む当時まだ幼かったミリオに問うにはあまりにも杜撰であからさまに水を差すような類のものであったことは自覚していた。それでも訊かずにはいられなかったのは、無意識のうちに精査しようとしていたのかもしれない。
わたしは自分の個性が誰かを傷つけるかもしれないものだと理解したとき、漠然と恐怖した。それは誰かを傷つけたことでひとに嫌われてしまうことを恐れたのか、自信を喪失してしまう可能性を遠ざけたかったのか、それともみずからの自尊心に傷を負うことが嫌だったのか、今となっては当時の考えなどよくわからない。子どもは得てして目には見えないものにさえ恐怖を覚えるからだ。そう、例えば、おばけだとか孤独だとか。
だから、わたしの個性を怖いと思うようなひとが、わたしのことを怖いと思うようなひとが、傍にいることは耐えられないと思ったのかもしれない。
「こわい?なんで?」
「だって、すごく熱いし、ミリオのことも、怪我させちゃうかもしれない」
わたしは、こわいよ。
俯きながらちいさく呟くわたしに、ミリオはきょとんとして口を開いた。
「じゃあ、大丈夫だ」
あっけらかんと吐き出された言葉に、今度はこちらがきょとんとする番だった。
「だって、は自分の“個性”が危ないかもしれないって、わかってるんだろう?じゃあ、危なくなるような使い方はしないはずだよね」
それに、とミリオは躊躇いもなくわたしの手を浚ってぎゅっと握る。
「こんなにあったかくてやさしいんだ。こわくなんてないよ、全然」
へらりと笑ってそう言ったミリオの表情に、手を包む両手のやさしさに、わたしはなにも言えなくなってしまった。正しくは、出そうとしたありとあらゆる言葉たちはみんな喉元に詰まってしまった。代わりにもならない、ただ引き攣れた嗚咽だけが口の端から漏れる。ぶわあっと信じられないはやさで涙がこみ上げた。両目からぼたぼたと零れる涙は輪郭をなぞって顎から離れ、わたしの手を包むミリオの手の甲にぱたりと落ちる。
ミリオが狼狽することも困惑することもなく、ほんのすこし眉を下げた微笑みのまま手を握り続けるものだから、わたしは情けない泣き顔を晒しながら左脳の隅でひっそりと反省した。
思えば、物心がついてから初めて会ったときも、ミリオはわたしの手を引いてくれた。にっぱりと邪気も悪意もなく差し出された掌の向こうに見えたミリオの顔はただただ輝いて見えた。恐る恐ると差し出したわたしの手を握って走り出した、光を受けてミリオの金髪が白銀に透ける、眩しすぎてちかちかと星が散るようなその情景はいつかテレビで見たような正義のヒーローそのものの姿に見えた。そんな彼を疑うなんて、とんでもないことだ。
ミリオは屡々、わたしのことを光だと言う。それは、太陽の申し子と形容されるわたしの個性を指して言っているのか、わたし自身の性格や性質を指して言っているのか、理由は定かではない。
けれども、少なくともわたしの中では今も昔も、誰でもなく他でもないミリオこそがわたしの光で、ヒーローだった。
窓ガラスを叩く雨音は未だ止まない。それでも、記憶のなかに灯る温かさで、鬱屈とした気持ちも先程まで心臓に降り注いでいた寂寞も孤独もすべて霧散するように空気にゆるりと溶けてゆく。
雨が光を掻き消そうと、この記憶の輝きは誰にも邪魔されない。
まだひたむきに、濡れながらも明日へと駆け抜けていける。