笑っていろ、という言葉がまるで呪いのように脳裏にべったりと貼り付いている。
「――ッ、……」
ハッと気づくと、どうやら少し眠っていたようだった。起き上がって窓外の景色に目を遣れば遠くに並ぶ街並みよりもあからさまに疲労を溜めこんだみずからの顔がはっきりと見えて、思わず苦笑してしまう。咳払いで誤魔化して、窓ガラスに映った自らの輪郭をそっとなぞるとひんやりとして冷たかった。この白けた面を他人に晒すわけにはいかないと控えめに口角を釣り上げてみるとなんとか見れた顔になったけれども、なんだか蝋人形のように見える。感情がない。
学校は暫く休学せざるを得ないと言われた時点で、既に覚悟は決まっていたと思う。たとえ外傷が綺麗に治っても消失した個性が戻ることはないしサーは還ってこない。たったひとりの師がいなくなった世界でも案外普通に息をしているこの身体は薄情だ。呼吸は滞りないし、網膜は光を捉えているし、心臓も鼓動を刻んでいる。けれども胸にぽっかりと空いた穴が埋められないでいるさまが今度は自分自身でもはっきりと見える。痛々しいくらいに。
壊理ちゃんを庇ったことになんら後悔はなかった。それがヒーローとして最善であったかと問われれば首を縦に振ることはできないけれども、銃弾が放たれた瞬間に理解した"泣けない"壊理ちゃんの姿にまたいつの日かのを重ねてしまって、不誠実な俺は俺が一番納得し得る方法を選んだ。その結果が個性を消失することであると理解した上で庇った。この時の俺は後先の事象よりもただ、目の前の小さな女の子を守りたかった。神に祈りを捧げるような趣味は持ち合わせてはいないけれども、もし仮にその顛末がこれだというのであればこの結果は不誠実な俺に対する断罪だ。
きっと俺は、俺の努力は無力であったとしても無駄ではないと思いたかったのだ。たとえ個性を消失したって、積み重ねた努力や情熱は決して消えてなくなったりしない、と。そう思いたかっただけなのだ。結局のところ、無力なことに変わりはなかったけれども。
「――……ミリオ!」
ガタン、と乱雑に病室のドアが開かれる。珍しく声を荒らげ肩で呼吸をしている沈痛な面持ちのを見て、俺の両親と同様に現状の説明は受けたのであろうことは察せられた。
ここで緑谷くんに向けたような"いつもの笑顔"を向けることは容易い。今の俺が俺自身を保つために必要なことだ。こんなときばかり上手に立ちまわって、卑しい手際の良さに辟易してしまう。けれども、ある意味俺の個性よりも遥かに長い年月を以って俺を知っているには指摘されることこそないけれども見抜かれてしまっているに違いない。は俺と違って聡明なひとだ。
「……、……、」
なにかを言おうと口を開いて、けれど言いたいことが纏まっていないのか閉じて、そして結局、拳を握ったはなにも言うことなくつかつかとベッドの脇まで寄って、俺の手を取った。その手がいつもより温かく感じるのは、俺の手が冷え切っているからだろうか。
「ミリオ、」
「……、俺はさ、誰よりも立派なヒーローになってる、ってよ」
それだけで、それが誰から言われたものなのか容易に想像がついたらしかった。ぐっと言葉を呑んだの両手は俺のそれよりずっとずっと華奢で細い。このてのひらにいつだって助けられてきたことを今になって改めて思い知る。
「……そっか」
師を失くして個性を失くして、全てを失った気になって、それでも続く呼吸を不思議に思いながら、こんなふうにして生きているところをサーに見られたくないと背中を丸めて小さくなりながら、可哀相な自分を甘やかしている俺の手を包もうとしているが、すべての感情を飲み込んで、澄んだ目をしてきれいに笑う。みずからへの愛情が、自身の優しさが、彼女の口角を無理に釣り上げていることは分かっていた。
今にも泣き出してしまいそうだというのに、繕うように笑顔をつくるものだから殆ど無意識のうちに抱き寄せていた。ありとあらゆるものものを誤魔化すように、ありとあらゆるものものを欺くようになだらかな曲線を描くの背中をてのひらでそっと撫でれば、ちいさく鼻を啜る僅かな音が耳朶を擽ってなんだかひどく儘ならない気持ちになってしまった。現実だとか建前だとか不安だとか理想だとか、健康的な生活を送るために等しく体内に含んでいるそれらの分配を計算してばかりの狡猾さを捨てて、大丈夫だと吐き出しさえすれば俺が抱えている身勝手な憂鬱は零に回帰するのだろうけれども、それでの抱える憂慮の一端が解消するとは思えない。
「……ね、ミリオ知ってる?前途にはね、希望しか見えないんだよ」
けれども、その声に、その息遣いの逐一に薄情な身体が熱を持つ。だから、慰めも賛辞もおためごかしももういらない。が俺の存在を認めることと、矮小な俺の抱く憂鬱が解消されてゆくのは全く別の問題だけれども、この膨大な愛を前に全ての事象は意味を失くして掻き消える。目頭が熱い。
俺の頭を抱く手を撫でるように動かして、陽日がまたちいさく鼻を啜った。