カランコエの純情



 通形ミリオは目前の幼馴染に気づかれない程度に小さくため息をついた。

「あのね、昨日環くんと水族館に行ったんだけど、思ってたよりも人が多くて、ほら、連休だったでしょう?だからはぐれないように、って環くんが手を繋いでくれてね……」

 幼馴染みであると環が交際を始めてからというもの、彼女が自分の部屋を訪ねてくることはめっきり減った。曲がりなりにも恋人がいるのであれば当然と言えよう、けれども年齢とイコールの年数で家族ぐるみの交流をしていたにとってはそうでもないらしく。来訪頻度の減衰が気を遣った結果ではなくただの偶然だと知ったのは交際が始まってから割りと初期の段階であった。
 三連休の最終日、珍しく寮の自室を訪ねてきたの話はかれこれ10分は続いている。いや、この際訪ねてきた時間が夜の9時であること、完全に部屋着で俺の部屋まで来たことには目を瞑ることにしよう。個性の影響で元来暑がり傾向にある彼女の部屋着がスウェットパーカー系でよかった、これでノースリーブにショートパンツなんかだったら今頃正座で説教を始めていたに違いない。そんな事よりも重要なのは話の長さでも時間帯でも彼女の格好でもなく、その内容だ。

「手を繋ぐことなんて今までにもあったのに、おかしいよね……、もうすっごく緊張しちゃってね、でも環くんも緊張してたみたいで、手汗がすごくてちょっと笑っちゃった、」

 およそ十年の幼馴染み期間を経てふたりは交際に至ったわけだけれども、友人関係が長いうえにお互いそれまでに付き合った相手もいないわけで、そうなれば当然互いが初めての交際相手ということになる。
 環がを大事にしたいと思っているのは容易に察せられたし理解もできる。今もこうして進展報告を聞いていて、それは初で微笑ましいとは思うけれども、手を繋ぐという行為にどれだけ緊迫させられているのかと僅かに呆れる気持ちもないわけではない。些か亀の歩み過ぎないかとも思う。これならば昨今の中学生の方がもっと進んだ交際をしている。
 昔から頻りに環の手を包んで激励していたの様子は未だ記憶に鮮明だけれども、どうやら交際の有無によって気持ちも大きく変わるらしかった。まあ、気持ちは分からないでもない。

「環くんってミリオの隣にいるとすごい華奢に見えるじゃない?でもやっぱり、ちゃんと鍛えてるんだなってわかってね……ほら、今までは触ること、いっぱいあったけど、付き合ってから繋いだことってなかったから……」

 どうやら照れているらしく、ほわりと薄く色づく頬にてのひらを添えながらふにゃりと蕩けそうに柔らかな表情で話すは贔屓目なしに可憐だ。けれども、の個性だと頬に手を添えても冷やす効果はないんじゃないかと思った。思っただけで言わないのは、野暮になるからだ。

「それからね、ペンギンさんとか白熊さんとか見て回ったんだけど、イワシの群れがね、鱗に水面から入る光が反射してきらきらしてるのがすごく綺麗で、ベンチがあったからそこに座ってずっと見てたら一時間も経ってたの。あんなにボーッとしてたことなかったから、ふたりしてびっくりしちゃった」

 環は言わずもがな、も決して口数の多い方ではない。必要性があるときはきちんと話すし愛想もいいけれども、どちらかというと寡黙にカテゴライズされるであろうし、みずから進んで井戸端会議に興じるような性格でもない。だからこそふたりの波長が合っているのだろう、類は友を呼ぶとはよく言ったもので、まあ所謂似た者同士なのだ。

「あとお土産コーナーでね、お揃いでストラップ買ったんだよ、ほら」

 チャリンと音を立ててが俺の目の前に差し出したスマートフォンには、鈴のついたダイオウイカのストラップがついていた。イルカとかペンギンとかクラゲとか他にも可愛いと形容されることの多い海の生物はたくさんあったろうに、なんでダイオウイカなんていうマイナーなものを選ぶのだろうか、と逡巡し、恐らく環のヒーローコスチュームをモチーフとして考慮したものだろうと思い至り、俺はアサリではないけれどもなんだか砂を吐きそうな気分になってしまった。の話を聞くことに異論はないし当人たちが幸せであればそれでいいとも思うのだけれども、そう割りきってはいても如何せん幼馴染の惚気を聞かされるのは中々メンタルにくるものがある。

「……まあ、よかったよ、が幸せそうで」

 それは確かに心の底から思っていることだったけれども、口に出してしまうと途端に薄っぺらなものに聞こえてしまった。しくじったかな、と内心冷や汗を流したものの、どうやら素直な彼女は正面から素直に受け取ってくれたらしい。うん、わたし今とっても幸せだよ、と見るからに色とりどりの花を散らして歓喜を露わにするがあまりに可愛くて、とりあえず机に置いていた携帯電話で撮っておいた。きょとんと首を傾げたになんでもないとでも言うように首を振る。写真はきっちり保存しておいた。後で環に送りつけてやろうと思案したところで、が座布団から腰を上げた。

「そろそろ時間だから、戻るね」
「うん」

 話、きいてくれてありがとう、おやすみなさい、と最後に言い残しては部屋を出ていった。ひらひらと振っていたてのひらをぴたりと止めて、椅子の背に凭れながら深く息を吐く。
 が俺を家族同然の立ち位置で接してくれていることはわかっている、好かれていることに悪い気はしない、俺も彼女を妹のような距離感で接してしまっていることも否定はしない。けれどもやはり、彼氏がいるのに幼馴染とはいえ他の男の部屋に警戒心皆無で入るのはあまりよくないだろうなということは流石にわかる。近々、そのあたりも話をつけないといけないかもしれない。
 これは環にも相談するべき事案だろうか、と考えたところで部屋のドアがノックされた。

「……、ミリオ、今大丈夫か」

 こそ、とこちらを伺うようにドアから顔を覗かせた環の表情が平素より幾分もやわらかく、恐らく浮かれているのだろうとわかって、思わず噴き出してしまった。
 肩を震わせて笑う俺に、きょとんと訝しげに首を傾げる環と、カーディガンのポケットから揺れているダイオウイカのストラップに、先程のの様子が重なって余計におかしくなってしまう。環には悪いけれども、きっと、暫く笑いは止まらないだろう。
 やはり、このふたりはどこまでも似た者同士であるらしい。