きみにぼくの幸福のすべてをあげよう



 うとうとうと。外の気温はだいぶ下がってきたけれど、よく暖房の効いた部屋と窓から漏れる昼の太陽はぽかぽかとあたたかくて、思わず眠たくなってしまう。おおきな革張りのソファに座りながら微睡んでいたら、がしゃがしゃとすこしだけ騒々しい食器を洗う音が聞こえてきた。
 わたしがやるからいいよ、と言っても、俺がやるから、とかたくなに言い張って、以降こうして仕事がおやすみの日には環くんが家事を手伝ってくれている。最初は不慣れゆえに何枚かお皿を割ったりだとか、お風呂場を泡まみれにしたりだとか大変なこともあったけれど、どうやら最近はだいぶ慣れてきたみたいで、キッチンが水浸しになることも泡まみれになることもなくなった。かっこよくてかわいくてつよくて仕事もできて、おまけに家事もできるようになってしまうなんて、一体どこまで完璧な旦那さまになってしまうんだろう環くんは、まったく。

さん?」
「……んん〜?」
「こら、寝るなら毛布持ってくるかベッド行きな」
「ねないよ」
「今にも寝そうだけど」

 洗い物を終えたらしい環くんがよいしょ、とわたしの隣に腰掛けた。ソファが沈んでちいさくスプリングが軋んだと同時に、右隣の環くんにそうっと体重を掛けてみる。すこしびっくりしたあとに目を細めてやわらかく笑う環くんの大きな手は、洗い物をしたせいかひんやりと冷たかった。

「そういうとこ、いつまで経っても子どもみたいだ」
「またそういうこと言う。こどもじゃないよ」
「はいはい、分かってるから」

 つけっぱなしのテレビからは、再放送のバラエティ番組がちいさめの音量で流れている。それがいい感じに子守唄みたいでどうにも睡魔を誘うものだから、むにゃむにゃと目を擦って環くんにぴとりとひっついた。冷たい手のひらはやさしくわたしの背中を撫でて抱き締めてくれる。ああ、すきだなぁ。こうやってふたりでのほほんとくっついてる時間が一番すき。
 本当に眠ってしまいそうになる重たいまぶたに、ちゅ、とくちびるの感触が触れた。くすぐったいよと笑っても、環くんも目を細めて笑うばかりでやめてくれない。見上げた至近距離の綺麗な二重まぶたが、じいっとわたしを見つめる。

「ねぇ、見すぎ〜」
「いいだろ、もう少ししたらこうやってゆっくり出来なくなるんだ」
「……ふふ、そうだねぇ」

 たっぷり優しい声でそう言って、環くんはゆっくりとわたしのおなかを撫でた。
 だいぶ大きくなってきた下腹部の中にもうひとりのいのちが入っているだなんて、いまだに不思議な気分だ。元々そんな感じの予兆はあったけれど、日に日に過保護になっていく環くんの日課が、こうしてわたしのおなかを触ること、それから、まだ見ぬ我が子に話しかけることである。

「すでに顔がでれでれですよぅ、パパ」
「え?パパ?俺が?」
「ひょえ〜、にやにやしてる」

 ほんとうに?引き結んだつもりの唇が、隠しきれない喜びでもにょもにょと動いている。やっぱり環くんは相当な親ばかになりそうだ。こんなに可愛い顔を、もう少ししたら、わたしだけじゃなくて、もうひとりにも見せるようになるのかな。ちょっぴりさみしくなる気もするけれど、それ以上に、このうえないくらいしあわせに溢れている。

「なあ、さん」
「ん?なあに?」
「子どもが生まれても、たまにはふたりで出掛けよう」
「ほんとに?うれしい」
「当たり前だろ。もちろん、三人でも」
「うん。ふふ、たのしみだねぇ」

 ゆるゆるとおなかを撫でていた環くんが、ふあ、とちいさくあくびをした。それが移ったみたいにわたしもあくびをする。環くんが寝室から持ってきたブランケットにふたりしてくるまって、こてん、と胸元に頭をくっつけるように寄りかかって目を閉じた。

「ね、たまきくん」
「ん?」
「赤ちゃんが生まれても、たまにはわたしのことも構ってね」
「あー……、それはさんもだと、思う」
「ええ?」
「あんまり構ってもらえないと、俺の方が、子どもに嫉妬しそうだ」
「ふふ、なにそれ」

 ふたりでくすくすと笑っていたら、ふいに環くんがブランケットの中でわたしの左手を取った。そうっと薬指をなぞる感触にどきどきする。

さん」

 呼ばれて振り返った瞬間、ふわ、と音を立てずにキスをしたあとぎゅうっと抱きしめられた。はは、とほっぺたをゆるゆると弛ませて笑う環くんの表情に心臓がきゅう、と撓る。
 ああ、こんなにしあわせでいいのかなぁ。なんだか罰が当たっちゃいそう。ふにゃふにゃ笑う環くんにつられてわたしも笑えば、もう一度優しくくちびるが重なった。