まばたきの隙間にアンドロメダを



「えっ、環くんお酒飲んだの?」

 なんで?
 土曜日の深夜、日付が変わるすこし手前。玄関の前で困ったように笑うミリオの肩にぐったりとぶら下がっている環くんを見て、薄手の寝巻きにカーディガンを羽織っただけの姿のわたしはぽかんとしながら首を傾げた。

 口腔摂取物に影響を受ける個性の性質ゆえなのか元々の体質なのか、はたまたご両親の遺伝なのか。原因はわからないけれども、環くんはお酒に弱い。他人に対してこれを言うのはすこし表現が悪い気もするけれども、それはもう、下戸と言っても差し支えないくらいに弱い。日本酒なんかは以てのほか、アルコール3パーセントの缶チューハイだとしても、一口であっという間に陥落だ。アルコールが回るとすぐに寝てしまうから、幸い悪酔いはしない質だけど、環くん本人も自分がアルコールに弱いのを自覚しているし、たとえ摂取したのがほんの少しの量だとしても大抵は二日酔いに苦しむことになるし、そもそも別段飲酒を好んでいるわけではないから、事務所や同窓会なんかでの飲み会は専ら烏龍茶を頼むようにしていた。
 反してわたしは酒豪だとかざるだとか、もはやワクだとか言われる程度にはお酒に強い。子供舌でもないし、チューハイもワインも日本酒もビールも好きだ。お母さんもお父さんも弟もアルコールには頗る強いから、きっと遺伝だと思う。以前に居酒屋で同窓会を催したとき、一度飲み比べの勝負をけしかけられたことがある。結果としてわたしが圧勝だったのだけれども、あまりにもわたしが顔色を一切変えずにばかばかとジョッキや一升瓶を空けるものだから、「個性の性質的にもアルコール分解能が高いんじゃないか」と当時のクラスメイトに呆れたように言われたのを覚えている。
 まあ、わたしの話は置いておいて。

「一応弁解しておくけど、俺は勧めてないよ。環が自分で飲みたいって言ったんだ」
「そりゃそうだよ」

 弱いのがわかっているのに勧めて無理に飲ませたのだとか言われたら肩パンをかますところだった。どうやら、今日の集まりは女子会ならぬ男子会だったようで。男のひとたちだけで飲み会とか、ストッパー役がちゃんといないと大変そうだなあ。
 それにしても珍しいな、とミリオに支えられている真っ赤な顔を眺めた。顔を近づけてみると、薄らとアルコールが匂う。自分から飲みたいと言ったらしいこともそうだけど、先述したとおり環くんは飲酒自体めったにしないから、こうして潰れている姿も早々お目にかかれるものではない。

「……んん、これたぶん明日は二日酔いだから、そのまま寝かせちゃおうか。運んでもらってもいい?」
「いいとも」

 いくら環くんが比較的細身でわたしの筋力が平均よりそこそこあるとはいえ、成人男性を引きずって寝室まで運ぶ力はさすがにない。特に、意識のない人間はバランスが取れないから往々にして重いのだ。
 三和土にも入らず立ちっぱなしだったミリオをまずは玄関に入れて靴を脱いでもらい、環くんが履いてる靴はわたしが脱がせて、寝室の扉を開けておく。特に複雑な部屋の構造はしていないし、片手で数えられる程度ではあるけれども既に何度かミリオも訪れたことがあるから、案内の必要はない。

「ありがとうね。お茶、淹れようか?」
「いや、いいよ。すぐ帰る」

 寝室のベッドにごろりと転がされた(わりと文字通りだった)環くんに布団を掛けながらミリオに訊くと、苦く笑って首を振った。今更遠慮なんてしなくてもいいのに、と思ったけれども、終電なくなるから、と言われてしまえば無理に引き止めることはできない。

 今日は、いつもより星がはっきり見えるみたいだった。
 殆ど素面に見えても結構飲んだのだろう、玄関から外に出た途端に空を仰いで「涼しい」とぼやいたミリオに、気をつけてね、と後ろ姿が夜闇に溶けるまで見送って、閉じたドアを施錠する。

「……あれ、ごめんね、起こしちゃった?」

 酔いで体温が高くなっているうえに基礎体温の高いわたしが同じベッドにいると暑苦しいだろうから、一応、今日は別の部屋で寝たほうがいいのかなあ、と思いつつせめて枕だけでも取ってこようと寝室に入ると、先程まで眠っていた環くんがのそりと身体を起こしていた。サイドボードにある豆電球を点けると、オレンジ色の淡い光がぼんやりと部屋の壁に影を落とす。ミリオとの会話やドアの開閉の音で起こしてしまったのだろうか、と問いかけても、未だ意識は微睡んだままでいるのか返答はない。目を瞑ったまま俯いて、身体は今にも倒れそうにぐらぐらと前後に揺れている。

「環くん?大丈夫?」
「……、んん、」

 そっと肩に手を置いて顔を覗き込むと、重たそうな頭と瞼をむりやり上げるようにして目を開いたものの、ものすごく眠そうだ。いつもより二重が深い。

「……、ちゃん」

 あっ、寝ぼけてる。
 瞬間的にそう思った。
 環くんはわたしのことをさんと呼ぶ。苗字で呼ばれるようになったのは中学に入ってからだけれども、小学生のときは下の名前にちゃん付けだった。なにかに遠慮していたのか、それとも思春期特有の気恥ずかしさというやつなのか、特に問いただそうと思ったことがなかったから、今でもその理由は知らない。けれども、それはまるでタイムスリップでもしたかのような感覚だった。
 ぼんやりと焦点の合わない目がじっとこちらを見つめる。眠たげな瞳の奥に僅かに灯る熱に気づいて、ぞわりと鳥肌が立つのがわかった。

「……えっと、お水、持ってくるね」
「いらない」

 これは、あれだ、だめなやつだ。
 くるりと身を翻して部屋を出ようとすると、どこにそんな余力があったのか、先程までのゆったりぼんやりした様子からは想像もできない機敏さで腕を掴まれた。ぐいと引っ張られたから、転びそうになって思わずたたらを踏むとベッドの縁に脚がぶつかる。後ろに倒れ込む前に身体を受け止めた環くんは、身体を起こしつつ些か乱暴な手付きでわたしの肩を押した。重心を失った身体はいともたやすくベッドへと倒れる。ぎしっ、とベッドのスプリングがはちきれんばかりの音を立てて、わたしははっと目を見開いた。

「た、たまきくん」
ちゃん、」

 いつの間にかわたしに馬乗りになるような体勢になっている環くんの目は据わっている。そのくせ熱の帯びた視線ばかりがじわりじわりと刺さるのだから堪ったものではない。どう見ても悪酔いしている。な、なんだこの酔っぱらい。心臓がばくばくとうるさい。

「ね、環くん眠いんでしょ、寝ていいよ、というか、寝たほうがい――」

 言い切る前に唇を塞がれた。ぶわりとアルコールの匂いが強くなる。ひとのはなしはさいごまできこうね!!
 抗議しようと口を開いた隙をついて環くんの熱い舌が僅かな歯の間からぬるりと器用に入り込んで、口内を容赦なく荒らしてわたしの舌を絡めとる。舌と同じぐらい熱いてのひらが頬に触れて、そのまま抱きしめるみたいに後頭部へ回った。角度を変えながら深く、酸素を奪い取って呼吸を咎めるように続けられるキスにくぐもった声が漏れて、静かな部屋に響く音に耳を塞ぎたくて、酸素が足りなくて、息がしたいと胸を押しても逃がしてくれない。それどころか、服の裾をたくし上げ脇腹を這う指にびくりと体が跳ねた。

「ん、ぅ」
「……、ちゃん」

 濡れた音を立てて唇が離れる。はぁ。熱く、湿った吐息が自分の口から漏れた。その生々しさに、途端、お腹のずっとしたで燻っていた熱源が一気にぐわりと脳天まで突き上げてきて、かっ、と急激に顔が熱を持つ。
 ずるい、ずるい、ずるい、ずるい。ふたりして酔っ払っているならまだしも、わたしは素面だ。飲んで酔った次の日には決まって記憶がなくなっている環くんのことだから、これはぜったい、覚えていないだろう。こんなことを、しておいて、明日の朝にはあっけらかんと挨拶をしてくるに違いない。ぼろり、と生理的なものとは別の涙が目のふちを伝って落ちる。
 いちばん悔しいのは、ここまでされているのに環くんのことが好きで、好きで、好きで、好きで、発情期の雄猫のような顔をしてしまっているような気がして、そんな醜態を見られたくなくて、キスひとつで舞いあがってしまう卑しさを悟られたくなくて、どうしようもなくなってしまっているわたし自身の浅ましさだ。

「忘れてたら、ゆるさないんだからね……」

 理性を飛ばして頭をふわふわさせている酔っぱらいは、なにを言われてもぼんやりとした顔で首を傾げるだけだ。それが心底憎らしい。それでも、環くんのことがどうしようもなく愛おしいと思ってしまうのだから、わたしも大概重症だ。

 明日の朝、環くんが起きたら飲酒の理由を問い詰めて聞き出してやろう。どんなに誤魔化されようと、見逃してなんてやるものか。
 心中にてひっそりと決意して、わたしは覆い被さる環くんの背に手を伸ばした。