きみの心臓を食べたい



 俺は屡々、ミリオのことを「太陽のようだ」と形容する。それはミリオの、当時転校生であった俺にも気兼ねなく話し掛けてくれたようなところであったり、明るく前を向いて周りをも笑顔にするところであったり、つまりは彼の人柄や言動をひっ括めてそう言っているのだけれども、俺がそう口にするたび、ミリオは頻りに「俺が頑張れるのは、お前がいてくれるからなんだぜ」と返してくる。無償の信頼というものは得てして心地がよく、温かいものだ。けれども、ネガティブ思考と過小評価の末に形成された俺の性格を矯正するのは容易ではない。人の価値観はそう簡単には変わらない。
 俺とミリオは幼馴染だけれども、四六時中一緒にいるというわけではない。他のクラスメイトと比べれば確かに一緒にいる時間というものは桁違いであるだろう、けれどもお互いに黒歴史を熟知している仲であっても、さすがに吐露できないものはあるというものだ。

「――環くん?大丈夫?」
「……ッ、」

 そう、例えば、彼女――さんへの想いだとか。
 はっと我に返ったところで、思ったよりも近い距離にさんの顔があったものだから、思わず後ずさりしそうになって椅子がガタリと床と擦れて音を立てた。羞恥によって、じわりと首の後ろが熱を持つ。赤みを帯びている事実を悟られないように、ぺたりとてのひらを首筋に当てた。

「環くん大丈夫?ぼーっとしてたけど…具合悪いの?」
「……あ、いや、……大丈夫、」
「そう?」

 やや怪訝げに首を傾げたさん――さんはミリオの幼馴染みだ。そして俺のすきなひと、でもある。"個性"は『光合成』。光合成により変換されたエネルギーは細胞の活性化などを促し、怪我の治療などに使うことができる、らしい。治癒に伴う副作用もないおかげか、俺たちヒーロー科の三年生は、どちらかといえばリカバリーガールよりもさんにお世話になる節が多い。文字通り太陽のような人だ。

「次の授業、マイク先生の英語だからボーッとしてたら当てられちゃうよ?」
「……ああ、体調は、悪くないんだ、少し考え事を……していただけで」
「そっか」

 ふわりと目元を弛ませるさんを見て、ああ、このひとのことが好きだ、と漠然と思うことは数知れず。けれども、それを口に出せるわけもなく。
 自分でも気色悪いほどの純情な初恋を貫いて凡そ十年。見込みがないと確信しているわけではない。どちらかといえば人見知りな方である彼女に好かれている自覚もないわけではない。自惚れでもなんでもない、けれどもそれはきっとミリオも同じであろうし、言うなれば家族愛や親愛に程近いものであると、ある種の諦念のようなものを抱いている。

「ん、じゃあ環くんがもっと元気になれるようにおまじない掛けてあげる」
「……おまじない?」

 おまじない。彼女はそんなものまで使えるのだろうか。
 首を捻る俺の手に、ふんわりと何かが被さった。

「大丈夫、だいじょうぶ」

 何か、はさんのてのひらであった。白磁のようにすべらかで、個性の影響ですこし皮膚の固い、けれどやわらかな手。俺が好きな彼女の一部。個性を使っていなくてもあたたかく、まるでヒーリング効果でもあるようなそれが、俺の手を包み込むように握って、慈しむような優しさを携えた表情で撫ぜている。それは、宛ら聖母のような。

「――…ッ、」

 ぶわわ、と顔が急速に熱を持った。胸の内からなにかが込み上げてくる感覚、血が倍速で巡るように心臓が鼓動を叩いて、指先が震えるのがわかる。全身の穴という穴から汗が吹き出るような、脳がぐらぐらと煮出っているような感覚に見舞われて、眩暈がした。

「なあんにも心配しなくて大丈夫だよ、環くんはすごいんだから」

 その言葉に、その姿に、彼女と出会った頃の、幼少期の姿が重なって、ふいに涙が出そうになってしまった。いつだって、自分を卑下する俺の手をしなやかな両手で握って「環くんはわたしよりもずっとずっとすごいんだから」と笑いかけてくれたさん。彼女には励ましているという自覚はなかったに違いない、それでも、その鼓舞に幾度となく救われたことは事実で。

「……、すきだ」

 思えばその頃から、既に彼女に惚れていたのかもしれない。
 自分でも気色悪いほどの純情な初恋を貫いて凡そ十年、初めてこの言葉を、感情を、ぽろりと溢すように口にする。さんはほんのすこし瞠目したあと、うん、とたおやかな微笑みを携えてうなずいた。ほわりと頬が赤く色づくのを視認する。余った方の手を、俺の手を包み込んださんの手の甲の上にそっと重ねた。小さく、でも確かに鼓動を感じ合う。生きて、そして通い合っているんだと、下瞼が熱くなって、鼻先がじんとした。ゆっくりと細い息を吐いて、吸って、浅い呼吸を繰り返す。ああ、どうしようもなく、このひとのことがすきだ。目で、指先で、皮膚の表面で、心臓で、愛しさに火が灯る。

「……ありがとう、さん」

 俺は屡々、ミリオのことを「太陽のようだ」と形容する。俺とは違う、輝かしく眩い世界の人間であると。けれども、彼女と、さんと一緒ならば、或いは太陽さえも喰らう俺でも太陽になれるだろうか。
 そっと目を閉じて、深く息を吸って、微かな体温を両の手に感じながら、どうか俺たちの未来がこれからも永くゆるやかに続きますように、と願う。