「中埜さん最近綺麗になりましたよね」
久しぶりに参加した事務所の飲み会で、たまたま隣に座った後輩のサイドキックの男の子がビールジョッキをこちらに回しながら言った。すると更にその隣にいた後輩が、それ俺も思ってた!とこちら側に身体を傾けたので、わたしは目の前に運ばれたビールが自分の頼んだものではないと伝えるタイミングをついに失ってしまったまま「はあ、そうかな、」などと曖昧な返事をかえした。お世辞なのかよくわからないけど、わたしはそれを素直に喜べるポジティブさを持ち合わせていなかったので、前までそんなに酷かったのか、などと考えながら誰のとも分からないビールジョッキを傾ける。
「なんか雰囲気変わりましたよね」
「ええ……なんだろう、」
「今日もこいつ隣に座りたいってうるさくて」
「おい!それバラしちゃだめなやつだから」
「いいじゃんいいじゃん」
その流れを発端として、飲み会は更に盛り上がり始めている。ふとテーブルの端に視線を移すと、退屈そうにロックグラスの氷をかき回す心操くんと目が合った。昨日は割と早く寝てたはずなのに、ちょっと眠そうな目。いや、平生溌剌としているわけではないから普段から割と眠そうだったかも。心操くんもこういう場はあまり得意ではないから、少し疲れたのかもしれない。あいかわらず整った顔だなあ、なんてぼうっと見つめていたら、困ったように視線を逸らされた。ほんと俺の顔好きね、と言いながら口の端をゆるりと上げる心操くんの顔を思い出して、少しだけ、頬が緩む。
「おーい、中埜さーん」
「…………ん?あ、はい」
「あれ、もう酔ってます?もしかしてお酒弱いとか?」
「あ、いや、ぼーっとしてただけ」
「じゃあもう一杯飲みましょ、ビールでいいですか?」
「……芋の水割りで」
「え、まじすか?意外ー」
それは先程心操くんが頼んでいたものと同じものだった。家でたまに開けているそれをわたしも少しもらったことがあって、案外いける、と思ったのだ。注文した飲み物やおつまみはすぐに運ばれてきて、改めて乾杯しましょう、という後輩の音頭に合わせてグラスを傾けた。喉に流し込んだそれは、なんだか、前に飲んだそれとは違う気がした。種類が違うのだろうか、あとで心操くんに聞いてみよう。
「中埜さんって彼氏いるんですか?」
がやがやとした空間の中で、その声はぼんやりとわたしの耳まで届いた。ぼんやりしていたのは後輩の声ではなく、おそらくわたしの頭の方だろう。前飲んだときはこんな風にならなかったのになあ、変なの。お通しをつまみながら何も答えないわたしに、じゃあ好きな人は?と後輩が追い討ちをかける。うん、いるよ、すごくかっこいいの。頭の中でそう思っただけなのかも、口に出していたのかもよく分からなかった。ただ、壁にぶつかりそうになった頭をそっと支えた手のひらと、送ってくる、と言った低い声の心地よさだけは、なんとなく意識の奥底で感じたのだった。
◇
腕と腰の間から前に投げ出された足がゆらゆらと揺れた。時折頬にあたる髪の毛がくすぐったい。んん、と訝しげな声が耳元で聞こえて、彼女が目を覚ましたのだと気づいた。
「……いい匂い」
「起きて一言目がそれ?」
「あれ、みんなは?」
「みんなって……隣にいた奴のこと?」
「んん……?みんなはみんなだよ」
こんなしょうもないことで苛ついてる自分を、めんどくさい人間だと思う。自分で思うくらいだから、彼女はもっと思ってんだろうな、なんて考えながら、彼女の膝裏を支える手に力を入れた。ぐん、と俺の肩に頭を凭れる彼女は、随分と酔っ払っているようだ。普段は焼酎なんて飲まない癖に、水みたいにするする飲んでたらこうなるのは当たり前だ。なんだかいつもより楽しそうだったのが少し癪ではあるけれど、事務所内で密かに人気があった彼女を狙っていた奴らには牽制できたので良かったのかもしれない。
「うー……」
「なに?気持ち悪い?」
「あたまいたいー」
「あんなに飲むからでしょ」
「ん……でもあんまおいしくなかった、」
「はい?」
「心操くんと一緒のときはおいしかったのになあ、」
「…………」
俺が少し不機嫌なのを知ってから知らずか、彼女は俺の機嫌をとる言葉選びが得意だ。けどそれはおそらく無意識で、そういうところが、一緒にいて心地よい所以だと思う。背中越しに伝わる彼女の体温はやけに高くて、言動も含めまだ酔っ払っているのだと容易に想像できた。
「あれはアンタ用に超薄めてんの」
「ええ……そっかあ」
「何、不満?」
「ううん、うれしい」
「ふは、それはよかった」
「心操くん、」
「ん?」
「こっち向いて」
彼女にしては、やけに甘い声だった。ほんと俺の顔好きね。そう言って振り向くと、まだアルコールで赤いままの、ふにゃりとした笑顔と目が合う。俺はこの、家にいるときにしか見せない、隙のある顔に弱いのだ。自分の顔が熱くなったのが分かって、逃げるように前を向く。
「その顔、俺以外に見せるの禁止」
「……」
「いや、なんか言って、逆に恥ずかしいから」
「……」
「っておい、寝てんのかよ」
すぅ、と聞こえる無防備な呼吸音に、深いため息をついた。べつにいいけど。いいんだけど。滅多に言わない甘ったるい台詞は夜の生ぬるい空気に溶けていく。それは少々空しいような気もしたけれど、やけにあったかくて、幸せだった。好きだよ、独り言のようにぽつりと呟いた言葉も、一人で恥ずかしくなって赤くなった耳も、彼女は一生知らなくていい。