ビー玉



 さんとは少し前に現場で知り合った。とても綺麗な顔をした人がいるなあなんて見ていたら、「おかしいですか?おれの顔」と言われてしまったのが最初だった。「いやっ、ごめんなさい!あああの、綺麗ですね!?」と大声で返してしまって、さんにも周りにいた人にも笑われてしまったのは今でも忘れられないくらい恥ずかしかった。

「ごめん、待った?」
「あ、さん……ぜ、ぜんぜん!」
「……うん、来たばっかりっぽいね」
「はは……」

 スマートに迎えられたらよかったんだけど、全然かっこつかなかった……。駅前の待ち合わせ場所で、僕は肩で息をしながらうなだれる。さんにはあの一見以来仲良くしてもらっていて、こうして2人で飲みに行くのももう何度目かになる。

「ごめん……仕事が押して」
「そっか、忙しいんだ?」
「うん……今あの爆破事件追っててさ」
「……そうなんだ」
「はー、今日どこ行こっか」

 さんはスマートな人だ。今日は黒い細身のパンツに丈の長いベージュのトレンチコートで、小走りで来たのに小粒の汗ひとつもかいていない。さらさら流れる色素の薄い髪の奥に見える瞳はなんだかとても不思議な雰囲気を放っていた。そっと目を細めたさんは「そうだなあ」と一瞬僕から視線を外した。

「緑谷くんの部屋行ってみたいな」
「ん?どこ………………えっ」
「仕事の話とかしたくて、……だめかな?」
「いっいやだめってことないんだけど……今すごい汚いし……」
「はは、いいよそんなの おれの部屋だってひどいもんだし」
「エエエ……じゃ、じゃあ行く……?」
「うん、ありがと」

 確かにさんと会うときはいつも居酒屋とかで、仕事の話はできなかった。珍しいなあこんなこと言うの。あー、ほんと部屋もう少し片付けておけばよかった……ここのところ忙しくて考えていられなかったからな……。でもいまさらそんなことを考えていても仕方なくて、とりあえず着いたらちょこっとだけ片付けようと思いながら、僕の部屋へ向かうことにした。


「ど、ドウゾー……」

 部屋のドアを開けるとさんは「お邪魔します」と言って一歩踏み入れた。それから「緑谷くんのにおいがする」なんて言うからなんだか恥ずかしかった。申し訳ないけれど玄関先で「ちょ、ちょっと待ってて」とさんに告げて、少しだけ部屋を片付ける。よ、よかった思ったほどひどくなかった……。なんとか人を入れることのできる状態にしてさんを呼んだ。

「ごめん、入って」
「別によかったのに そのままで」
「まさか!」
「はは、お邪魔します」

 途中コンビニで買ったお酒をテーブルに置いて、ひとまず最初にビールを取り出した。プルタブを倒して軽くお互いの缶をぶつけた。テレビをつけるとバラエティ番組が始まる前の短いニュース番組が流れていた。さんは仕事の話がしたいなんて言っていたけれど、なんだろう。あれ以来現場で会ったことはなかったと思うし……。

「そういえば、仕事の話って?」
「ああ、うん…… 今度、おれもあの爆破事件関わることになったんだ」
「えっ」
「だからさっき緑谷くんも追ってるって聞いてびっくりした」
「そ、それは僕もびっくりです……」
「あとまだ 外じゃ言いにくいことがあって」
「うん?」

 さんが缶をテーブルに置いた。あの不思議な2つの瞳が、僕のことをまっすぐに見ている。確かにまばたきをしているのに、なぜだかつくりものみたいだった。

「おれ 緑谷くんのこと好きだよ」
「……? うん、僕もさんのこと好きだよ」
「……ふふ、ばかだなあ」

 さんの左の口角がつり上がる。さんの爪がカチカチとプルタブをはじく音の中、テレビからは始まったばかりのバラエティ番組のBGMと笑い声が流れてきていた。

「好きって、そういうことだよ」
「? そういう?」
「キスとか、それ以上のことしたいってこと」
「えっ、………………えっ!?」
「ははは、ほんっと想像通りの反応」
「え、だって、えっ……ええーーー……」
「考えられない?おれとキスするなんてこと」

 そんなことを言われたら視線は勝手にさんの唇に向いてしまう。前から、さんの唇がとても魅力的だということは、思っていたことだった。はっとして顔を背けると、さんは笑った。

「……き、気持ちよさそうですね」

 何を言ってるんだ僕は!!!!!!正直すぎる……アホすぎる……「あああああごめんなさい」と言って頭を抱えていると、いつの間にかさんは僕のすぐ隣に来ていた。綺麗な白い手が、床についた僕の手に重なる。心臓が痛いくらいに跳ねあがった。

「試してみる?」
「へっ」

 うすく伏せられたさんの目もとに長い睫毛の影が見える。ゆっくりと顔が近づいてきて、拒もうと思えば簡単に押し返すこともできたのに、そしてそれをわかっていたのに、できなかった。ぼくは、さんと、キスをしてしまった。少し長い間唇がくっついて、小さな音をたてて離れていく。頭が真っ白になった。いや嘘ついた、ピンク色だった。

「どう?」
「え……」
「気持ちよさそうって。」
「え、ああ……き、気持ちよかったです……」
「ふふ」

 満足げに笑う彼の唇が半月を描く。ああかみさま、ぼくは、この唇と、キスをしてしまったんですね……。放心していると、さんが「それってさ」と口を開いた。

「いいってこと?」
「え?」
「言ったろ、おれは緑谷くんとそういう関係になりたいって」
「…………」
「キスしてくれたから、いいのかと思った」
「え、えーと……」
「緑谷くんがおれを裏切らないなら、おれも緑谷くんのことは守ってあげる」
「ん……?」
「まあそのうちわかるかな」

 さんは不思議で なんだかつかみどころのない人だ。こんなとんでもないことさをれて、言っていることの意味もいまいちわからない。それでも僕はたしかに惹かれている。床についた手をすり抜けさせてさんの手に重ねて、ゆるく握った。

「……よ、よくわかんないけど」
「うん」
「離したくは、ないです」

 ゆっくりと描かれたさんの笑顔は、ひどく、ひどく、綺麗だった。