The dove typifies peace



 俺は生まれつき異常に目がいい。多分どこかのなんとか族よりも。非常にではなく異常にと称したのは、文字通りこれが異常な能力だからだ。
 そのことに気づいたのは個性が発現するずっと前、まだ幼稚園生だった頃、友達と遊んでいる時だった。

 公園で鬼ごっこをしていた俺達は辺りが暗くなってきたことで時間を気にしはじめた。帰りが遅くなって母親に叱られるのは誰だって嫌だ。その公園に時計はあったけれどもその時は故障中と書かれた紙が貼られていて、俺達は誰も時計を持っておらず、ならば時計を探す競争をしようと誰かが提案した。可愛らしい遊びだったと今でも思う。
 みんなが公園のあちこちに散らばり近くの建物に時計が無いか探し始めて、高い所からならよく見えるだろうと考えた俺はジャングルジムの上に立ち周りを見回した。当該の公園は街外れの山を削った高台にあって、市街地を一望できるスポットとしてちらほらカップルの姿も見られた。街には小学校、中学校、高校があって、高校の校舎の壁につけられた時計がちょうど公園の方を向いていた。他の子達はまだ時計を探している。一番乗りになれるかもしれないと俺は目を凝らす。時間は覚えていないけれども俺には時計の針だけでなく文字盤やそこに付いた汚れまで見えた。
 時計あった、と大声でみんなに呼び掛けると、やはり俺が一番乗りだったらしく、みんなは残念がりながらジャングルジムに上がってきた。
 ないじゃん、ぽつりと誰かが言った、他の子も同じだった。あれだよと俺は指差した。高校の壁にある時計だよと。その瞬間みんなは笑い出した。当然だ、高校は何kmも先にあって肉眼では時計すら見えないのだから。四月に行われた視力検査で最高の判定が出た子ですらその時計は見えなかった。子どもは素直で無邪気で残酷だ。四歳まで半年以上にも満たない年齢では個性の発現などあるはずもなく、俺は嘘つき呼ばわりされ、自分でも見えたのは気のせいなんじゃないかと思い込むことにした。

 先天性であった俺の目は遠くの物を見るだけでなく動体視力にも影響していて、個性と併用すればドッジボールなんかではいつも最後まで残ることができた。更に高校でクレー射撃に出会った俺にはこの目は大いに役立って、おかげで大きな大会にも出られたし今の職業にも就くことができたのだから、一時の悪意に晒されてすり減ったこころは案外容易に解け出した。逮捕時に暴れる被疑者や敵が殴りかかってきたりナイフを振り回したとしても容易く避けられたし、射撃訓練で銃弾の動きまでもがスローモーションで見えた時には感動すら覚えたのだから俺も存外現金だ。

 けれども銃弾が『視える』のと『避けられる』のは全く別の問題だ。たとえ法定以上の速度で走行している車は容易に避けられたとしても銃弾の速度はレベルが違う。身体能力が並みの俺には音速に近い速度で発射された弾を見て弾道を予測して脳が避けろと指令を出しても身体がついていかない。それでも致命傷にならない程度には避けることができる。死なないならそれでいい、死ぬなら仕方ないと常日頃から思っている俺の身体には、今日もまた新たな傷痕が刻まれた。いや、正確には昨日か。

「やあ少年、調子はどうだい?」

 もうとうに少年などと呼ばれる年齢ではないというのに、そんな和訳した英文のような挨拶と共に病室のドアを開けて入ってきたのは世界でも知らない人はそういないであろう、平和の象徴、オールマイトその人であった。ただしテレビで見るような筋骨隆々マッスルフォームではなく、ガイコツと表現しても差し支えのないトゥルーフォーム状態だ。ウサギの耳のようにピンと伸びていた髪はロップイヤーのように垂れ下がり、落ち窪んだ目と頬は妙に痛々しい。この姿の彼を俺は俊典さん、と呼んでいる。

 本来ならば機密事項であるこの人の姿を知っているのは何故か、答えは単純明快、俺の父親が彼と同級生の雄英出身者だからだ。どうやら当時の同窓生の中でもわりかし親密な仲な方であったらしく、定期的に連絡を取り合っていたのだそうだ。初めて会ったのは確か俺がまだ小学生のときではなかったろうか、父親は宮城の人間だというのにわざわざ会いに来たらしく、学校から帰宅した俺がリビングの扉を開けたらトゥルーフォームの彼がいた。人見知りを発揮し余所余所しく挨拶をした俺にマッスルフォームを見せてくれたときの衝撃は今でも忘れられない。
 ていうか、この人正体がバレたらまずいんじゃないか、この姿でうろうろするのって結構迂闊だと思う。

「こんにちは、俊典さん」
「これ、お見舞い」
「あ、どうも」

 差し出されたなんだか高そうなフルーツのバスケットを受け取ろうと俺が伸ばした手をスルーして、俊典さんは棚の上に置いた。

「これ、労災の書類。目を通しておいてってさ。預かってきた」

 俺が俊典さんと知り合いなのを知っているのは警察関係者では塚内さんだけだ。彼が預けたのだろうか、薄い茶封筒を机に置く俊典さんの纏う雰囲気がいつもと違うことには気がついていたけれども、なにがどう違うのか、なにが彼をそうたらしめているのか、俺にはそれがわからなかった。よく同級生や同僚に「お前は他人の感情の機微に鈍感だ」と言われていたのを思い出す。

「……」
「あの」
「あの親子なら無事だよ。君が守った」
「……そ、うですか、よかった」
「よくない。あんなことして、君は自分の命を何だと思ってるんだ」

 静かに、どこか怒りを湛えるような声色で放たれた言葉に思わずびくりと肩が跳ねる。たとえトゥルーフォームでも彼が持つ特有の威圧感というものはそう変わらないらしかった。
 昨日あった大捕物。街中で男の敵が銃を振り回していると通報があり俺達は出動した。個性を行使している様子はなく、人質はいなかったけれどもいつ発砲してもおかしくない状況で、警察が来たことに興奮した敵は近くにいた親子連れに向けて発砲した。たまたま近くに控えていたのが俺でよかった、俺の目はしっかりと弾を捉え、俺の脳は正しい指令を出した。親子を地面に伏せさせる代わりに俺は肩に被弾して、おかげで今は利き手が使えないけれども、親子が助かったのならそれでいいと思っている。SPを志望したことがあったからか自己犠牲には抵抗が無いし、今の技術なら傷跡すら残さず完治させることだって容易にできる。けれども命の大切さを誰よりも理解しているであろう俊典さんは、たぶん、俺のそういうところに怒っている。こんなことを言っては失礼だけれども、親が死んでからもこうして会いに来てくれて、度々俺のストッパー役になってくれる俊典さんには感謝しているのだ。俺がそこそこ重傷じゃなかったら胸ぐらを掴まれるぐらいはされていただろう。

「……すみません。でも、俊典さんのせいじゃ、ないですよ」

 今はただ頭を下げることしかできない。どれだけ有用性があって強い能力を持っていたとしても不器用な俺には上手な使い方がわからないのだから心底情けなかった。普段の自分がこの身体の使い道を誤っていると嘆く気はないけれどもこれで良いのかと自らを省みてしまうことは多々ある。もしかしたら人には何事も向き不向きがあるように、俺には向いていなかったのかもしれない。
 俊典さん……オールマイトは敵を真っ先に取り押さえに行った。俺とオールマイトの位置は対極だったし、いくらヒーローだからといって交渉人にまで気を配るのは難しいということくらい俺にもわかっている。そのせいで自分を責めているのなら、どうかそんな悲しいことはしないで欲しかった。
俯く俺の髪に俊典さんが触れる。

「……生きていてよかった」

 それだけぽつりと溢した俊典さんがくるりと踵を返す。

「あ、待っ……」

 背を向けた俊典さんの腕を思わず掴んでしまった。その細さに改めて驚いていると当然彼は目を丸くして振り返る。そのまま振り払われなくてよかった、とひっそり思った。
 生きていてよかったと言ってくれた時の俊典さんは今までに見たことのない表情をしていた。こんな女々しいことをしているのは、あんな顔を見せられて戸惑っているからだ。
 掴んだままだった手を慌てて離す。いい年して恥ずかしい。

「……あー、えっと、まだ面会時間ありますし、あ、俺この林檎食べたいです。まだ手動かせないんで俊典さんが……あっ、俊典さん林檎剥けますか?」
「……素直に寂しいって言ったらどうだい」
「はい、寂しいです」
「……君というのは、本当に」
「うわ、ちょ」

 素直に言ったのに骨張った大きな手のひらで髪の毛をぐしゃぐしゃにされた。視界を覆った髪を手櫛で整えると、こちらに背を向けて座る俊典さんがいた。シャリシャリという音が聞こえるから林檎を剥いてくれているのだろう。

「俊典さん?」
「少し待っていてくれ」

 少々ぶっきらぼうな言い方だけどもさっきまでの刺々しさはなく、それどころか平素通り相当に穏やかで、思わず安堵の息を吐く。よかった。どうしてこっちを向いてくれないのかは気になるけれども、待っていろと言われたので俺は素直に従うことにした。
 たとえ姿は違っていても、いつも最前線に立つ彼の背中がこんなに近くで見られるのだ、それだけでもよしとしよう。