※IF.もしもがプロヒーローだったら

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 彼が個性を使うときの、赤に彩られた瞳を見るのが好きだった。

さんは、攻撃力がない自分の個性どう思います?」
「……なんだよいきなし」

 警察に敵を引き渡している最中、伸ばしていた金属製の特殊警棒を縮めて腰に収めているさんに問うてみれば、もはやポーズとなっているいつもの無愛想に怪訝な表情を乗算させ、不機嫌そうにきゅっと眉を顰めた。呼応するようにぴりりと空気が張り詰めたから、悪い意味じゃないですよ、と慌てて手を顔の前で振りながらフォローする。
 強盗を行った敵が市街を逃げ回っているとの通報を受け、偶々他の案件でチームアップを組んでいた俺とさんが出動する運びとなったのはつい数十分前の話だ。飛んだ俺が上空から剛翼で牽制しつつ誘導し、先回りして待ち構えるさんに仕留めてもらうという作戦は予想よりも遥かに容易く実行することができて、現場に向かう間の数分で立てた算段にしてはなかなかに勝手の良いものだったと思う。逆上した敵がさんに殴り掛かることも折り込み済み、巨躯が繰り出す拳が届く前に懐に入り込み特殊警棒を叩き込んでいく手腕は実に鮮やかで、思わず感嘆の意を込めて拍手をしたら思い切り睨まれてしまったけれども許してほしい。

「俺もまあパワー押しには割と無力なんでアレですけど、さんは尚更でしょ?」
「……別に、攻撃力だけが全部じゃねえし、敵の体格とか個性の強さとか、当たらなければ攻撃されてないのと変わんねえから」

 言っていることは至極真っ当で当たり前のことだ。それでも、その“当たらない”、“攻撃されない”というのがどれほど難しいことなのか。いや、理解はしているのだろう、けれども確かにさんの個性の前では、肉体改造系の個性を持つ敵の物理攻撃はほぼ無効であると言ってもいい。なにせさんには敵の動きや次に起こす行動が辿る軌跡まで、すべて“見えている”からだ。俺が推測するに“スタープラチナ・ザ・ワールド”もしくは“メイド・イン・ヘブン”、少なくとも“ザ・ワールド”ではないさんの個性はけれども、周囲からすれば時止めの個性と大差がない。

「いやあ、俺も割とチート個性って言われますけど、さんも大概ですよね」
「そんなん、俺もおまえも努力してるからだろうが」

 オールマイトのようにパワータイプの個性を持っているわけでもエンデヴァーのように攻撃力に特化しているわけでもなく、どちらかといえば防御力の方にパラメータを振り切った個性を持つさんがヒーローをできているのは、ひとえにさん自身の並々ならぬ努力の賜物だ。筋トレやランニングなど体力向上も含めた身体面の鍛錬は当然のように毎日行っているし、個性の行使に目と脳を酷使するからとエネルギー摂取に余念もない。敵によって国民に被害が齎されることがあってはならないと強く持たれた正義感もある。正直に俺の見解を述べるのであればそれはヒーローというよりどちらかといえば警察官向きの性質であろうけれども、本人が良しとして好きでやっていることであるならば俺がどうこうと口を出せることではない。
 だからこそ、そんなさんの口からついて出た言葉に固まった。

「……え、」
「“職業としてのヒーロー”になんの疑問もない程俺は盲目じゃない。人を守りたいのは確かだけど現場に立たない上の言うことばっか聞く道理もない。だから、速すぎる男だなんだって持ち上げられてるおまえだってちゃんと努力してんのはわかってる」

 こちらに敬礼する警官らに軽く会釈を返しながらさんが言う。それからこちらに一瞥を寄越す、その青紫の瞳に滲む感情の色がひどく誠実で、思わず息を飲んだ。
 個性を使っているときのさんの瞳は、平常時の、梅雨時期に咲く鮮やかな紫陽花のような色を携えた青紫色とは相反するような柿目をしている。本人がその変化に気づいているのかどうか俺が知るすべはないけれども、まるで燃え盛る焔のような、あるいは黄昏時に沈む夕焼けのような、鮮烈に輝く緋色を、遠くからこっそりと見るのが好きだった。

「俺は自分の目で見たもんしか信じねえから」

 言葉の意味をうまく咀嚼しきれずに、俺はゆっくりと傍らを見遣った。辺りは既に薄暗い。街灯の無機質な明かりが灰色のコンクリートにひたひたと冷たく染み込んでいる。その薄暗い中でさんの頬のあたりの輪郭が街灯の光を受けて浮かび上がっていた。ここはこんなに静かだったのだろうか。まるで深い海の底のようだ。静寂を意識する。だから、と言ったさんの言葉の繋がりを理解しかねていた。俺の視線を受けて、さんの目元がすこし、ほんのすこしだけ、ふっとやわらぐ。なんだかよくわからないけれども、さんが俺を慰めようとしている、ということだけはわかった。吸い込んだ息が妙に冷たい。無意識に緊張していた自分を知って動揺して、今更に自分が妙なことを聞いてしまったことに思い至った。これでは、まるでなにかを期待しているみたいではないか。そう思って殊更に動揺する。期待、いったいなにに?俺の目はさんが浮かべる淡い苦笑いのような表情に惹きつけられていた。やさしさに見惚れてしまう。

「心配すんな。俺は大丈夫だし、おまえも大丈夫だ」

 さんが俺を真っ直ぐに見つめる真摯な目がほんの一瞬穏やかに細められやさしい色を帯びて、俺は息を飲んだ。変化は本当に一瞬のことで、すぐにさんはきゅっと口許を引き結んだけれども、その視線は変わらず俺に注がれている。呆然とした俺は、定められた視線に縫い留められて動けない。大きくはっきりとしたさんの双眸は時として思いがけず本人も意図していないほどの力強さを露わにする。なにかを待つように、あるいは俺の心中を読もうとするかのような眼差しに知らず知らずのうちに鼓動が速くなって、俺がひそかに抱いた期待と、今聞いたばかりの言葉が絡み合って脳内をぐるぐると回る。含みを持たせるような言葉の意味を必死で考えている自分がいた。不意に、都合の良い考えが頭上に浮かんで焦ってしまう。まさか、と頭を振ってその考えを一蹴したけれども、顔に集まる熱までは消せない。誰が見てもあからさまに狼狽えている俺にさんがふっと僅かに眉尻を下げて、どきりと背筋に緊張が走る。さんは俺から目を逸らすように視線を下げ、特殊警棒を収納したポーチから携帯端末を取り出した。ピピッ、と高めの電子音が響いてはっと我に返る。動揺と狼狽がありありと表情に出ていたのだろう、顔を上げたさんは俺に視線を戻して虚を突かれたように一瞬だけ目を丸くした。そうしてまた、淡く苦笑い。細くしなやかに筋肉がついた武骨な手が伸びて俺の肩を叩く。掌の重み。目尻の赤みが、すこし、照れているようにも見えた。

「おつかれさん」

 いよいよもって頬が熱くなって、俺はなんだかひどく泣きそうになってしまって顔を伏せた。