「ほんとうに大丈夫ですか?」
「……ん、」
毎日でなくとも、何年か続けてきた習慣のようなもの。いつものように寄り添った鳩子さんの体温がいつもよりほんのすこしだけ高い気がした。熱があるかと確認をすると、鳩子さんは決まりが悪そうに脚を組み替える。長めの前髪を指で避けて額に掌をぴったりと押しつけると、眉間に皺を寄せて少しひそめた唸るような声で、やめろ、と言う。あった。微熱だ、四十三度とすこし。
あるテレビ局の番組にてヒーロー特集を組むから、と俺と鳩子さんを含めた幾人かのヒーローたちがブッキングされてトークを繰り広げた後、今日はそろって午前様と相成った。災害救助に赴くことが多いからかそれなりに国民からの支持を得ている人気ヒーローだというのに、平素愛想が良いわけでもないから人とカメラに囲まれて気疲れしたのだろう、どこかぐったりと疲れ切った様子の鳩子さんはロケバスの一番うしろ、右側の隅に座っている。窓に頭を預けて、閉め切ったカーテンの隙間からやかましい街を覗くのだ。いつもいつもそうするものだから、いつしかそこには鳩子さん以外の人間は座らなくなった。そうなったのは何年前のことだろう。ずいぶん前のことだったような気がして、記憶があやふやになってしまうくらいには一緒にいるんだな、という実感だけ、眠気に支配されかかった思考回路にぴりりと電流を走らせる。幸せだった。
鳩子さんがそこに座るものだから、いつからか俺の指定席もロケバスの一番うしろ、鳩子さんの隣になってしまった。赤いブレーキランプやビルの明かりが落ちる色素の薄い顔色を愛おしく思って、けれどなにをするわけでもなく、ただそこにいる。鳩子さんの体温の高い手を握れば暑苦しいと言われながらペイと振り払われてしまう確率の方が高いから(つまりキスをするなんてなおのこと不可能だ)、大人しく、できるだけちかくに寄り添った。右腕に体温を感じながら過ごす時間が好きだ。
鳩子さぁん、と彼の名前を呼ぶと「情けない声出すなや」と疎ましそうな声色で叱られた。高めの体温が眠気のせいではないと知ってから、俺は気が気でない。楽屋でいつも以上に口数が少なかったのも、スタジオ入りをして仕事スイッチの入っているトークでさえなんだかキレがなかったのも、この体調不良のせいだと思えば頷ける。けれども鳩子さんは共演者にもスタッフにもそのことを知られたくないと見えて、俺が静かに問い質せば、一本二本と眉間に刻まれた皺を増やすばかりだった。
「いつから調子悪かったんですか?」
「うるさい」
「鳩子さん、言わんとわからんこともありますよ」
「うるさい」
すこしばかり暗雲立ちこめるこの雰囲気に、すぐ前に座っていた共演者であったオールマイトが憂慮を滲ませた表情で振り返る。心配ないですよと暗に示すように無言で笑いかけると彼はなにも言わず眉を下げて向き直った。鳩子さんを昔からよく知るオールマイトの気遣いならばあるいは鳩子さんを上手に休ませてあげることもできたかもしれない。こんなときに自分の力不足をありありと実感してしまうとどこか悲しいものがあるけれども、俺が知らない鳩子さんの過日に対してすこしの不満と不安を感じてしまうことは長い付き合いの中で幾度となく経験してきたことだし、こればっかりはどう頑張ったとしても努力でどうこうできる問題でもない。心の中でひとつ、ごめんなさいと呟く。それでも鳩子さんに向かうのは、いつだって俺でなければならないのだ。
この年にもなると、もう青すぎる子どもなわけではないのだからと激しい感情を思いっきりに相手にぶつけるのには多少なりとも躊躇いを感じてしまう。構って、だとか会いたい、だとか、そんな恥ずかしいくらいの甘えの言葉をまっすぐに伝えるにしても変にどこか頑なになってしまって、必要のない意識が鳩子さんを縛っていることは明白だった。
「ちゃんと休みましょ、ね?明日休みですか?」
「……午後から取材」
「何時から?」
「三時」
「それじゃあお昼まで寝ましょ、俺、起こしたげるんで」
「え、なに、泊まんの」
鳩子さんは窓からようやく頭を離した。こちらを見て目を丸くする。
「だめですか?」
「……いや」
言い淀む鳩子さんの様子に、自然と笑みがこぼれた。「じゃあ泊めてください」いつもより僅かに高い体温の手に掌を重ねた。振り払わない代わりに鳩子さんは目を伏せて、平素よりももっと舌ったらずに「はよ寝るからな」と返す。いいよいいよ、我慢のできない性分と言われがちな俺だって、今夜くらいはなんだって我慢しましょう。
ご飯はなにがいいかとか、入浴剤を買って帰ろうかとか、そういった他愛もない話をたくさんした。鳩子さんは俺がなにを聞いても、うるさい、ん、なんでもいい、の三パターンの切り返ししか用いなかったけれども、ロケバスが止まるまで手を振り払うことはしなかった。それどころかくるりと反した掌でもって俺の手を握って、おまえの手しゃっこいな、とぽつり言う。お互いなかなか気持ちを上手くは伝えられないけれども、素直にそう感じられるだけきっと鳩子さんも俺と変わりなくいられているな、と思いひとりで俯きながらひっそりと口角を上げた。久しぶりにひどくやわらかな気持ちに浸りながら、再び窓に寄せた頭をそれとなく俺の肩に移しても鳩子さんは拒絶することはなく、なにも言わずに街を眺めていた。依然としてすこし高い熱だけが鳩子さんの頭で燻って、俺はネオンにきらめく横顔を覗く。右肩が灼けるようだった。