「……さんって酔い潰れたことあります?」
「あ?」
片眉を上げて不思議そうというよりどちらかといえば怪訝そうでかつ不服そうな表情のホークスが脈略もなくそんなことを問うてきたものだから、傾けていたグラスの動きをぴたりと止めた。突然なんだと暗に匂わして目を合わせてみれば、赤く染まった目元と鼻、それから僅かに潤む瞳はやや虚ろで、ああこれは相当に酔ってんな、と察する。ホークスの持つグラスの中身はおよそ半分にまで減っているけれども俺の記憶が正しければそれは確か二杯目ではなかっただろうか。しかもこいつが飲んでいるのはキリンのゼロ生、桐谷健太がCMをしているやつだ。たかだかアルコール3パーセントの発泡酒で酔いがすっかり回ってしまっているらしい。ちなみに俺が飲んでいるのはサッポロの麦とホップ、アルコール度数は5パーセント。嵐のニノがCMをしている新ジャンルのやつだ。ついでに言えばこれで三杯目だ。
「あるわけねえだろ」
「そうですよねえ、さんいくら飲んでも顔色変わりませんもんねえ」
酔っているせいなのかいつもより殊更に間延びした声がだらだらと部屋に響く。そんなホークスを見ながらぐいとグラスを傾けて僅かに残ったビールを胃に流し込むと、俺は卓袱台の上にビール缶たちと一緒に置いていたアイスペールから氷を3個掴んで今しがた飲み干したグラスに入れ、ミネラルウォーターのキャップを捻って注ぐとホークスに差し出す。もう飲むなという無言の圧力だ。
人間もアルコールを摂取しすぎることで肝臓に悪影響を及ぼすけれども、鳥類は人間よりも遥かにアルコールに弱く、例えそれが揮発した蒸気であったとしてもアルコールに準じたものを与えてしまうと下痢や嘔吐といった症状を引き起こしてしまう。俺もこいつも個性そのものは鳥類に酷似した特長を持ち合わせているものの、身体機能や臓物の性質の大部分は人間のそれであって鳥類程アルコールに弱いというわけではなく、俺はアルコール9パーセントの缶ひとつくらいであれば余裕のよっちゃんというやつなのだけれども、反してこいつは酷く酒に弱い。見ればわかるけれども3パーセントをコップ一杯半でよくここまで酔えるものだ。逆に感嘆してしまう。
「俺は自分で許容量わかってっからセーブしてんだっつの。おまえはいい加減弱いの自覚しろ」
「でもでも、さんも一回くらいは記憶なくしたりとか、そういうのなかったんすか」
差し出した氷水のグラスを受け取りはしたものの飲む様子は微塵も見られず、それどころか両手をグラスに添えたまま話を続けようとするホークスに思わず抑えきれない溜息が漏れ出た。アルコール摂取に依るそれとは違う意味で頭が痛い。酔っぱらいは正常な会話が成立しないから面倒だ。刑事という職種上、人と人とのコミュニケーションというものの必要性や重要性は充分に承知しているけれども、給料が出るわけでもない飲みニケーションという名のタダ働きには苦言を呈さずにはいられない。だから職場の飲み会も基本的に参加したくないし、同僚や上司の介抱に気を回すだなんて以ての外、泥酔して理性を手放し家族でもない他人に痴態を晒すような愚行を露呈しようものなら俺はその場で銃身を咥えてみずから引き金を引いて死ぬ。蟀谷や額に銃口を当てて撃つよりも銃身を咥えた方が狙いがずれにくく自害の確実性は遥かに高い、というのはどこからの知識だったろうか。
口の奥には延髄と呼ばれる生体活動を司る脳の機関がある。中脳や橋と共に脳幹を構成しているうちの最も尾側の部分であり、吻側に橋、尾側に脊髄があって、延髄は心臓や呼吸といった生体活動にとって非常に重要な組織であるため、そこを吹き飛ばすと間違いなく死ぬ。ただし後頭部が著しく破損するから遺体の状態は結構悲惨だと聞いたことがある。一方で蟀谷を撃つ場合は大脳のみの傷害が殆どで、不随や記憶障害などは起きても幸か不幸か生き長らえることができてしまう場合も僅かながらあるらしい。頭に矢が刺さっているのに死んでいなかった人、という人間がいたという話もあるわけで、要するに落ち武者だ。
人間は死ぬと覚悟して割り切っていたとしても案外臆病なもので、例えば自殺を決意したような奴でもいざ引き金を引くとなった瞬間に怖気づいてガク引きしたり、無意識に銃口を逸らすことがある。そうするとどうなってしまうかというと、銃弾が逸れて助かってそこで自殺を思い留まればそれに越したことは無い、けれども、死に切れず脳を損傷して判断力が低下し部屋の中をぐるぐると回っていた、などというゾンビ映画紛いの実例もあったわけで、そうなってしまうとたとえ仮に命が助かったとしても社会復帰は絶望的になる。そういうことを防ぐためにも銃身を咥えて撃つのが確実なのだけれども、これもしっかり咥えないと失敗することがあって、例えば映画なんかではわざわざ大口開けて銃身を咥えてまで撃ったのに失敗するだなんていうのは大層間抜けな絵面になってしまうから見栄えのために銃口を蟀谷に当てる方法が取られることが多い。
……まあ、そんなことはどうでも良い。
「ねえよそんなの。てかおまえまじで飲み過ぎだぞ、布団使っていいから水飲んでさっさと寝ろよ」
「……やです、さんのことつぶしたい」
「俺を潰す前に自分が潰れてどうすんだよバカ」
俺がぐるぐると考え事に没入している間にグラスに半分残っていたビールを飲み干したのか、薄らとしか開いていない目は蕩けたように焦点が合っていないし微妙に呂律も回っていない。頭は微睡みの海の岸辺にいて船を漕ぐように前後にゆらゆらと揺れて、もはや半分陥落しかけている。だのにふるふると首を振ってもっと飲むだのなんだのと宣っているのだから往生際が悪いというんだか執着心が強いというんだか。呆れたものだ。
べち、と晒された額に軽く平手を叩き込んで、手にしているグラスを抜き去るとシャツの襟を掴んで引き上げる。些か乱暴かもしれないけれども首は絞まっていないから構わないだろう。ずるずると引き摺ってすぐ近くに敷きっぱなしにしていた布団に文字通り転がすと、うっと僅かに呻き声が聞こえたけれども無視した。
「さんもいっしょにねましょうよ〜〜」
「うるせえな酔っぱらい、片付けすっから先に寝てろ」
「よってないれすもん」
「呂律回ってねえぞ」
べち、と再び額に手刀を落とするとがしりと手首を掴まれた。それはでろでろと溶けるように全身の筋肉が弛緩した酔っぱらいとは思えない程の力で僅かに慄く。
「おい、離せ、って」
そう言いかけた矢先、掴まれた手首を強く引かれた。倒れ込まないようにと慌てて空いていた腕で身体を支える。手首を掴んでいない方の手で引き寄せられた頭、重ねられる唇、ぶわりと鼻孔を強く刺すアルコール臭。は、と至近距離で感じる湿った吐息がひどく熱い。
「……この、クソ酔っぱらい」
「だから、よっとらんっていっとるやないれすか」
酔ってない、だなんてどの口が言ってんだ、瞳は半分眠りかけて舌も回ってないくせに。呆れる暇もなくまたくちづけられて、頭の中で精一杯のひどい悪態をぐちゃぐちゃと吐き出す。甘んじてされるがまま受け入れていると、薄ら唇を開いたところへ挿し入れられた舌に思わず肩がびくりと跳ねて、身体を引こうとしたけれどもいつの間にか手首ではなく肘の上をぐっと掴まれていて離れることができない。俺とこいつのたったふたりしかいない静かな部屋に響く水音でぶわりと急上昇するみずからの体温を自覚して、耳を塞ぎたくても腕は掴まれていて、身体を支えている腕をどうにかするわけにもいかなくて、それどころか服の裾を捲し上げ脇腹をするりと這う熱い指に先程よりも更にびくりと身体が跳ねた。
「っ!まっ……て、おい、」
突然の接触による驚きで、片腕だけでは支えきれずにがくん、と力が抜けた身体は不本意なかたちでホークスの上へと倒れ込んだ。べしゃりと上半身が凭れ掛かるようになってしまって、すぐさま離れようと身体を起こす前に首に腕を回された。
「……だめ、ですか?」
「だめか、って……なんでそういう訊き方、」
「一応訊いとかんと」
どうしてそういうことをわざわざ訊くんだよ、だからおまえは狡いんだって、言ってしまいたい。
問い掛けの意味がわからないほど初心な年でもないし、何度も何度もからだを重ねた間柄で今更恥ずかしがるのもおかしな話だけれども、事の始まりの一歩手前にある照れ混じりな瞬間はいつになっても慣れることはない。それを知って楽しんでるのか、仕方ないなと言わんばかりの顔で微笑んで、するりと頬に触れられる。ぐいと首に回した腕で引き寄せられて先程とは違う軽いキスを受け止めると、視線の先でホークスは情欲を滲ませた男の色を隠すことなく笑った。
「俺はしたいよ、さんは?」
もうこいつ、酔いから醒めかけてんじゃねえのかな。未だふにゃふにゃとどこか緩い空気を纏いつつも、布団に転がしたときよりは幾分もはっきりとした口調、捻りのないただただ真っ直ぐな誘い文句。俺の答えなどとうに決まっているというのに口にするのを僅かに躊躇ってしまう。こんなことわざわざ言わせないでほしいのに、そんなことすらもわかっているはずなのに、それでも俺に直接口に出して言わせたいのだろう。黙って答えを待つこいつは本当に狡猾だ。勘弁してほしい。目を閉じて、頭をそのまま下ろしてホークスの胸に額をこつりと当てた。
「……し、たい」
ああ、くそ、恥ずかしいったらありゃしねえ。そう言い終わらないうちにぐるりと回った視界、押し倒された視線の先で、細められた瞳の奥に潜んでいた熱をからだの表面で燃やすようにひどく色気を滲ませて笑うこいつに、今度は俺が見下ろされる番だ。指を絡めただけでこんなにも心底嬉しそうな顔を見せられてしまうと、それまで頭の隅にどかどかと積み上げていつでも口に出せるようにと用意していた悪態も喉の奥へと引っ込んでしまうのだから、俺も大概アルコールに思考をやられているらしい。
「大丈夫っすよ、やさしくするんで」
何もしないから。先っぽだけ。それらと並ぶくらいに信頼性の頗る低いテンプレートなセリフに思わず溜息が出そうになったのをぐっと飲み込む。どきどきと心臓を早鐘のように叩く鼓動はアルコールのせいで、自分の体内、腹のしたの奥からじわじわとせり上がる熱は生理的なものだとわかってはいる。男の性というやつだ。けれども、今それに抗うことはどう控え目にとびきり甘く評価したとしても不粋で野暮以外の何者でもない。いまさら、拒絶なんてできるわけもない。
だから、是も非もなにも言わずに背中に両腕を伸ばした。ホークスが口角をつり上げてひそやかに笑う。
甘く長く、熱い夜になりそうだ。