※IF.もしも上層部の動きを夢主が知ったら

Indra



 人は、嘘をつく。
 自分の心の弱さを、隠すため。
 かけがえのないものを、守るため。
 逃れられない苦しみから、目を逸らすため。
 みな、心に秘密を抱えて生きている。

 あいつが、なにか隠し事をしていることには気付いていた。いや、厳密に言えば隠し事ではない。それがプライベートであれど仕事に関することであれど、人間誰しも言えないこと言いたくないことの一つや二つや三つはあって然るべきものだ。だからあいつがそれを俺に言う義務もなければ必要性もないし、俺がそのことに対してどうこうと言及する権利など殊更に持ち合わせているわけがない。
 それでも、その隠し事があいつを苦しめているものの要因なのだとすれば、少しでも軽くしてやりたいと思うのは極めて自然なことであって、それがたとえ大きなお世話でも余計なことをするなと言われたとしても、俺は俺のしたいようにすればいい。どうせ俺も出世欲などないのだから死ぬこと以外はかすり傷のようなものだ、なんて。開き直ってみても、結局は自分のためだ。
 だから、スマホのロックを解除してアドレス帳を開き、ある人物に電話を掛けた。

「……なあ、一個今すぐ調べてほしいことがあんだけど、大丈夫か?」


 俺は邁進していた。動いてどうする、今ならまだ引き返せる、やめておけ。脳裏の奥の奥で囁く声は全て無視した。暗躍紛いのことは性に合わないなと思う。駆け引きの類も得意ではないし、どちらかといえば嘘をつくことも不得手だ。自分で言ってしまうのは些かおかしな話だけれども、刑事という職種に充てがえばその愚直なまでの素直さというものは武器になると思っている。
 「勝てるかどうかは問題じゃない。たとえ負けると判っていても、心臓が息の根を止めるまで真実に向かってひた走る、それが刑事だ」
 かつてそう言ってくれたあの人は今も息災だろうか。部署の階が違えば役職も違う、年に一度会えば運が良い、そんな相手だ。連絡先など知るわけもないし今更訊くのもなにか違うと思っていたらいつの間にか結構な年月が経っていた気がする。

「刑事部捜査第一課、巡査部長です。警視総監殿にお目通り願いたいのですが」
「巡査部長が何の用だ、持ち場に戻りなさい」

 当然のことながら門前払いだ。わかってはいた。たかだか巡査部長ごときが警視総監にお目通りだなんて頭がおかしいのではないかと思われてすらいるだろう。けれども俺から言わせてみれば頭がおかしいのはあんたら上層部だ。御本人の前に通されるまで今すぐここで俺の知っていること知ったことを口に出してしまおうかと逡巡したけれども、俺の言動は引いては俺の所属する部署に影響を及ぼしかねない。俺だけが処分を受けるのであれば全然構わないけれども、あの人にまで迷惑は掛けられない。ここまで来ておいて今更だとは思うけれども、今はまだ退き時だと判断せざるを得ないようだった。ぐっと奥歯を噛み締めて、もと来た廊下を足音を極力立てないように気配諸共殺して戻る。握りしめた掌に刺さる爪の感触が自分の無力さの証明のようで痛い。

「――は、ダブルスパイ?敵連合に?……正気か?」
『少なくとも正気じゃあないでしょうね、いくらビルボードチャートの十位圏内に入るヒーローだからってまだ二十二歳でしょう、彼』
「功績に年齢は関係ねえよ、そうじゃなくて、それを指示してんのは誰だって話だ」
『恐らくヒーロー公安委員会と警察、それも会長と警視総監レベルの上層だと私は睨んでます』

 大体歴史のターニングポイントは、いつも静かに俺達の真横を掠めていく。誰かがそのことに気づいたときには、既に手遅れになっている。なにかと知らないほうが良いことが蔓延る世界で知るべきことを選び取って引き上げることは容易ではないけれども、浅瀬でのんびりと揺蕩うように生きていきたいわけじゃない。そもそもが自らの生活の安寧だけを望むような自己愛の強い質であったならばこんな職業に就いていない。やらずに後悔するよりやって後悔するほうが良いという言葉があるけれども、俺に言わせてみればやりたいことをやっておいて後悔するのならそんなものやらないほうが良いに決まっている。やらずに満足するのとやって満足するのとでは断然後者を選ぶべきだと信じている。例えば失ってしまったものものに思いを馳せてもそれは仕方のないことだけれども、俺達刑事が守るべきは他人の幸せだ。それでも、誰かを犠牲にした上に成り立つ幸せなんて間違ってる。それを俊典さんの時に思い知ったはずなのに、どうして繰り返そうとしているのかとてもじゃないが理解し難いし理解したくもない。俺の周囲にはどうしてこうも凄惨な立場の人たちが多いのだろう。
 人を救うのがヒーローの役目であるならば、それなら、ヒーローは人ではないのか。上が彼らにやらせていたこと、やらせていることはつまりはそういうことだ。反吐が出る。

『いいですかさん、これは極秘事項も極秘事項、機密レベルは馬鹿になりません。貴方の正義感、私は嫌いじゃありませんけど、法に則って、刑事として真実を追うから、私たちは刑事なんです。私情にかられてしまったら、それはただの暴力です』
「……わかってるっつーの」
『下手な事、しないほうがいいですからね』
「俺は大丈夫だから変な心配すんな。……悪いな、当麻」
『いーえ、別に』
「今度CBC奢るわ」
『まじすか!ゴチでーす』

 先程の電話にて当麻と交わした言葉の諸々を思い出して頭が痛くなってきた。俺も未詳に異動にでもなってしまえば今より自由に動けるのだろうか、と一瞬思ったけれども野々村係長と瀬文さんはともかく当麻とほぼ毎日同じ区画内で働くというのは心労が酷そうだ。ついでに俺の財布も寒くなることが予見される。一応当麻は後輩に当たるのだけれども、あいつは目上を敬うという配慮が著しく欠けている節が各所に散見されるうえ、申し訳程度に敬語を使われてはいるけれども俺への態度は先輩に対するそれとはとても思わない。敵連合やら上層部の板挟みになる前に同僚からのストレスで胃に穴を空けるのは限りなく不毛だ。それだけは避けたい。

「……嘘は真実の影だ。見つけたら、踏んで離れるな」

 嘘には三種類ある。自分を守る嘘、他人を欺く嘘、他人を庇う嘘だ。あいつが俺に隠し事をしている事実を嘘と言うわけでは決してないし敵連合が絡んでいるのであれば容易に話せるような内容ではないことくらいわかっている。あいつは俺を守ろうとしてあえて何も言わずにいる。嘘といっても悪いものばかりじゃないこともわかっている。けれども理解することと納得することはまるで違う。納得なんてできないししてやるものか。経験が足りなくても知識が足りなくても力不足でも役立たずでも、俺だって守りたいんだ。
 例えどんな試練が一秒先の未来へと待っているとしても、俺は止まらないし迷わないし諦めたりなんてしない。なぜなら命ある限り全ては変えられるからだ。命とは希望の光そのものだから、どんな悲劇が起ころうとも、それを乗り越えていける。闇に沈む真実もあれば光射す真実もあると信じている。希望は絶対に消えない。

 次あいつに会ったときには何と言ってやろう。
 おまえが泣いてないか心配だ、なんて言ったら、声でも上げて笑うだろうか。