Eyelet



 すり、と余計な肉を極力削ぎ落としたかのように細く骨張ったさんの指が俺の耳を滑る。特になにか目的があるわけでもなく、また擽る意図はないのだろうけれども、あまり人に触らせることのない部位を触られるのは正直こそばゆい。それでもあまりべたべたと人に触れることも触れられることも好まないさんがなにかしらの興味関心を持って俺の耳を弄っていることは明白で、それを拒否するのはどこかもったいないと思ってしまうから肩が竦みそうになるのをぐっと堪えた。

「さっきからなんですか、もう」

 どうにか耐え忍ぼうとは思った、思ったけれども限界だった。さんが言うのであればともかく、自分で言うのも些かおかしな話だけれども俺がさんにこういったセリフを吐くのは極めて珍しい。かれこれ5分はこうしていたのではないだろうか、理由を話すでもなくずっと黙りこくったままで耳に触れるさんの表情は至って真顔だけれども、瞳の奥には隠しきれていない好奇心が潜んでいる。

「……ピアス、開けてたんだなって」
「え?ああ、まあ、はい」

 どうやら妙にさんの興味を惹いていたのは俺の耳そのものではなく、俺の耳朶に飾られたピアスだったようだ。特に華美というわけでもない、スクエアを象ったごくごくシンプルで無機質なピアス。なんの変哲もないたかだかピアスひとつのなにがそこまでさんの気を引いているのだろうか。

「なんか、今までピアスとか、そんな気にしてなかったけど」
「まあ、興味なさそうですもんね、さんおしゃれに頓着ないし」

 家にいるときは大抵ユニクロあたりで買ったような部屋着兼寝間着の黒タンクトップに白のパーカーを着ているさんは、外に出掛ける際の服装も極めてシンプルだ。基本的には着回しのできるものしか持っていないし、そもそもが夏服と冬服しか手持ちがない。かっこいいのだからもっとちゃんと流行を捉えた服装なんかもしてみればいいのにと何度か口を出したこともあるけれども、おしゃれをすることへの頓着や執着どころか春服秋服の概念すらもないらしかった。そんなさんがピアスやらネックレスやらのアクセサリーに興味関心があるとはとても思えないし、ましてや造詣があるとも思えない。それでも自覚はしているだけマシと言うべきだろうか。

「おまえがこういうのしてんの、えろいな」
「は!?」

 さんの口から到底出てきそうもない単語に思わず叫び声が漏れ出た。俺の反応にこてりと首を傾げ疑問符を頭上に浮かべているさんは恐らく、自分が放った言葉がいかに衝撃的で破壊力を伴っているものであったか自覚がない。そういうところが、本当にずるい、と思ってしまう。

「いいなあ、俺も開けっかな……ああでも俊典さんになんて言われっか……」

 俺の気持ちなんていざしらず。未だ俺の耳に指を添えたままぶつぶつとなにやら呟きだしたさんの一言目に、ピン、と俺の頭上で豆電球が光る。名案が浮かんだ証だ。

「じゃあ、俺に穴、開けさせてくださいよ」

 さんの手をがっと掴んで衝動的に思ったことをそのまま口に出すと、さんはこてりと先程とは反対側に首を倒した。

「ピアスって素人でも開けられんの?店とか行くんじゃなくて?」
「いやまあ、そりゃ店とかもありますけど、大体の人は自分で開けたり友達に開けてもらったりしてますって」
「ふうん」

 そういうもんなのか、なんて素直に頷いているさんは本当にこういった方面に対しての知識はゼロらしかった。てっきり「親に貰った身体に穴を開けるなんて云々」とかなんとかよくあるテンプレート的に、興味がなかったことも含めてピアスの類は忌避してきたのだろうと思っていたけれども、どこか乗り気な雰囲気を見た限りそうではないようだ。さんの愚直なまでの素直さはパーソナルスペースが狭い相手に対してのみであると理解はしているけれどもいつか詐欺にでも遭いそうで心配になってしまうのは仕方がないことだと思う。
 ところで今更ですけど痛いのとか大丈夫ですか、と訊くと、仕事のときに銃で撃たれたりとか結構してるから平気だべ、といけしゃあしゃあに言い放つものだから思わず呆れてしまった。俺の知る限りでは銃創が残っているのを見たことはないから随分と前のことだったのだろうけれども、それは大丈夫じゃないと思う。というかそんなに何度も撃たれているのか。明らかに感覚がバカになっている。気をつけてほしい。

「別にいいよ、やってくれんなら」
「えっ、いいんですか?」
「なに、やってくれんだろ?」

 珍しいと言ってしまうと失礼になるかもしれないけれども、今日はいつになくらしくもなく素直というかなんというか。なんだか調子が狂ってしまう。さんの耳の処女穴ゲットだぜ、と某ゲームキャラのようなセリフが脳裏に浮かんだけれども呑み込んだ。これを言ったら確実に叩き出されることになるとわかっているからだ。

「ええと、じゃあ次までにピアッサー買っておくんで、あ、本体のピアスどうします?さんならどういうのがいいですかね」

 シンプルなシルバーでもさんには充分すぎる程によく似合うことだろう。ストーンものは色によるかもしれない。さんの髪や瞳の色に合わせるか、逆に被らないようにするか、いや、それとも……、と考えだす俺に対して、さんはまたこてりと首を傾げた。

「お揃いとかじゃだめなわけ?」
「……えっ、」
「おまえのと、同じのがいい」

 また俺の耳朶に手を伸ばして、するりと耳の裏側を中指で撫でられる。思わずびしりと硬直して動かない俺に構うことなく、きゅ、とスクエアのピアスを親指で軽く押さえるようにして、そうして、同じのがいい、なんて。ふっと目を細めてひどく穏やかに、満足げに笑うものだから。
 ん゛っっ、と喉の奥から変な声が出た。息が詰まる。首から上が火に顔を突っ込んだかのように熱い。みっともないくらい真っ赤っけに染まっているであろう顔も耳も見られたくなくて、比喩ではなく物理的に頭を抱えて蹲った。普段は笑顔なんて滅多に浮かべることはなくそれどころかポーズのように不機嫌を貼り付けていることの方がよっぽど多いというのに、こんなときばかりそんなふうに笑うなんて、ずるい。卑怯だ、こんなの。

「……さん、ほんと、そういうとこですよ」
「は?なにが」

 このひとは普段一緒に部屋で過ごしているときも外に出掛けたときも性行為のときでさえもまったく思い通りにはなってくれないくせに、時折こうしてひどい手口で俺の脆い心臓を木っ端微塵に打ち砕こうとするからおっかない。
 だから、そう、でも、なんというか。さんといることでどうしようもないくらいに撓るこの心臓の鼓動こそが恋の証明で愛の裏付けだというのならば、それはそれで死ぬまで続いたって悪くない、と思えてしまうのだから、恋の病というものは相当に重症で、愛の病魔というものは相当に獰猛だ。
 どうしたってさんには敵わない、と、思い知ってしまう。救いがたい密度で。