Grasp all,lose all.



「……ホークス、さむい」

 さんの何も纏わない冷えきった足先が頼りないからといった風に俺に密着してくる。なんとも珍しいことに、この人が俺に対して可愛く甘えているらしい、と内心でひっそりと歓喜しながらも、さんは今なにを俺に求めているのだろうかと考えた。ただ、これまた珍しいことに心が弱くなっているのだろう、ということはなんとなく察せられるのだけれども。いや、もしかしたら勘も嗅覚も良いさんのことだ、俺の纏う黒々とした雰囲気と感情の匂いに中てられているのかもしれない。

「……さん、なんかあったんですか、」
「……や、別に、ごめん」
「謝んないでくださいよ」

 身体を寄せてくるさんの腰を抱いて、拒絶されない程度にそっと彼のうなじへと頭を埋める。なにかと無頓着な気のあるさんは洗髪料への拘りもないのだろう、シャンプーのせいなのかそれとも彼自身が纏う香りそのものなのか、どこか甘い、女の子みたいな匂いがする。警察官という職業柄相応に鍛えてはいるらしいけれども、それでも俺から言わせれば相当に細い、痩せた身体。
 小さくはないけれどもこんなにも儚く思えるからだで、さんはどのくらい大きな暗いものものを抱えているんだろうか。その鮮やかに咲き誇る紫陽花のような綺麗な瞳は、一体なにに怯えているんだろうか。

「こわく、ないですよ」
「……ホークス」

 胸に巣食う誰もが平等に抱く類の恐怖は絶大で、いつか芽生えた場違いな恋心は無遠慮だ。世界が平和にならないから、いつまで経ってもさんの体内に巣食う憂慮も憂鬱も晴れることがない。けれども本当に酷いのは、さんでも世に蔓延る敵でもヒーロー公安委員会でも世界でもなくて、俺だ。本当は、俺ごときが触れて良いからだではないのだ。さんのこの目は、この手は、俺のためだけにあってはならない。声も指先も舌も、視線のひとつでさえも俺が望んで良い代物ではないのだ。
 敵連合に取り入れ、と公安委員会の会長と警察上層部から命令されて以来数ヶ月、日に日に衰弱していくからだとこころは最早手に負えない。どこもかしこも悪意の満ち満ちた場所で、持ち前の能天気はすっかり削ぎ落されてしまっていた。それなのに、さんが俺を選んだという事実に慢心して、さんから寄せられる信用と信頼に甘えきって、ぼろぼろになっているところをさんに悟られまいと振る舞って、これ以上心配をさせないようにと強がって、腐りきった現実と凄惨な真実を話せずにいる。本当に酷いのは俺の方だ。さんは警察官なのに、彼はみずからが所属する組織の上層部がどんなことをしているのかきっと全く知らないのだ。それをわかっているのに機密事項であるからと話すこともできない。これでは敵よりもよっぽど俺のほうが悪者で、謝罪をするべきは俺の方なのかもしれない。
 孤独とは、こういう状態を指すのかもしれない、と。他でもなく誰でもなくさんといるのに、どうしようもなく独りでいるような気になってしまう。こういうことは定期的に、律儀に襲ってくるものだから、付き合いは割と心得た心算でいるけれども、さんはそれをどう捉えているのだろうか。さんもまた把握しているに違いない。自分と恋人との間に割って入る、目には見えない邪魔者を。

「俺、ずっとここにおりますし、ずっと」
「……ん、」
「ね」

 眉尻を下げながら、一瞬でも綻んで安堵したような表情を見せたさんに俺はほっと息をつく。「護りたいよ、」思わずほろりと口唇を零れ出した言葉は、海のように深いこころの奥底に潜む俺の本音だ。平和にならない世界のために、日々その身を削いで戦うひと。そんなさんが俺を選んだ、それこそが俺の誇りだ。
 微かな吐息が右手に感じられて、ただ、永遠にこんなふうにしていられたらいいのに、と叶いもしないことを密かに願った。
 ごめんなさい、好きになってしまって。どんなに望んでも傍には行けないのだと、俺はとうに知っているくせに。

 冬のまだ、冷たい日のことだった。