sharp keen eyes.



「おまえ、ほんと器用な」

 今日は偶々俺もさんも珍しく午前様と相成ったものだから、適当なところで昼を食べてからいつものように彼の部屋へとお邪魔して、普段は自宅で一人で済ませている日課の羽繕いをすることにしたのだけれども、基本的に家に仕事を持ち込むことはなくテレビっ子というわけでもないさんには極めて暇な時間だったのだろう。自分には無いものであるからか珍しく興味を示したらしいさんは部屋中に散らばっているまだ手入れを施していない羽根のひとつを手に取った。

「これ、抜けても戻るんだろ?」
「まあ、そうですね」

 へえ、と手にした羽根を光に透かしてみたり毛質を確かめるように指で撫でたりしている姿はどこか好奇心旺盛な子どものようで微笑ましい。“ちゃんとした”お付き合いというものを始めてから最近漸く表情が随分と豊かになってきて、出会ってから優に五年は経っているというのに知らなかった顔を見ることも多くなってきた。
 出会った当初はもっと警戒心が強くて、目を合わせれば疎ましそうな顔をされ、多少は慣れたかと思い好きだと告げれば胡乱げな目で見られ、身体を抱けばぼろぼろと大量の涙を溢しながら唇を噛み締めて、正直あまりよろしくない思い出ばかりで、当初はありとあらゆるものものに必死だったから少しでも自分の知らない表情を引き出そうと躍起になっていて、それまでのすべてが苦い記憶だったとは言えないけれども、今となっては彼にさせたくはない表情ばかりだ。

「なんか、なんだろうこれ、知ってるにおいな感じすんだけど」
「ちょ、におい嗅ぐのはやめてもらえます?」

 どうやら今度はにおいが気になったようで、眉を寄せながら羽根に鼻をつけてすんすんと嗅覚を働かせている姿はまるで犬のようだ。羽根とは言えども自分の一部だ、体臭を嗅がれているようでむず痒い。そういえばこの人、臭気判定士の資格持ってたっけ、と思い出して脳裏を一瞬警察犬が過る。シェパードだとかドーベルマンだとか、きっと仕事をしているときのさんにはこれ以上ないくらいに似合うとは思うのだけれども。

「……あっ、わかった、麦茶のティーバッグだわ」
「ふ、麦茶って」

 記憶の匂いと符合したのか、閃いたようにぱっと表情を明るくさせるさんはトイプードルのようで素直に愛らしくて、思わず眉を下げて笑ってしまう。
 このままずっとさんの姿を網膜に焼き付けておきたい気持ちも十二分にあるけれども、それではいつまで経っても作業が終わらないこともわかっているから、ほんのすこし名残惜しさを抱えながら手元に集中した。
 本来ならば鳥は尾羽の付け根あたりに尾脂腺という脂を分泌する箇所があって、そこから出した脂を羽根に塗布することで羽繕いをするけれども、俺には尾脂腺がないから特注のワックスを使用している。俺の場合ハトなどとは違って粉綿羽が発達していないから、脂での手入れは文字通り念入りにしなければならない。商売道具であるから尚更だ。きちんと手入れを施していればそれなりの撥水性を持っているから突然の雨の日には傘代わりにできたりなんて利便性もある。実際、外でさんと会った時に狐の嫁入りに逢ったときは傘を持たないさんを匿うように翼で覆い、雨脚が通り過ぎるのを待ったことがあって、なんだか不思議な心地だったのを覚えている。
 俺が黙々と作業を進めていれば察しの良いさんもわざと邪魔をするようなことはなく、まだ一枚の羽根を手に持ってはいるようだったけれども先程のように弄るようなこともなくただ眺めているだけのようだった。背中を向けているから目で見える情報こそないものの、意識して個性を発動させていなくともそれなりに感知することはできる。

 そうして、あと数枚で羽根の手入れも終わるだろうというところまで来たとき。
 ふわ、と、指とも鼻先とも違うやわらかさと温度が触れる。
 その感触がなんなのか、一瞬、理解が遅れた。そして、思い出して、というか思い至って、ばっと勢いよく振り返ると布団にごろりと寝転がったさんと目が合って、さんの身体が大げさにびくりと震えた。手に持ったままの羽根で口元を隠すようにした状態のまま硬直する姿に、俺の導き出した回答は間違いではなかったことを知る。かっ、と急速に顔が熱を持った。

「えっ、な、なに、」

 ぱちぱちと瞬きしながらくるりと目を丸くするさんは、きっと気付いていない、というか、きっと、失念している。
 俺の剛翼ひとつひとつには神経が通っていて、大気中の振動を感知するだけじゃなく、触れたものの感覚だって拾ってしまうのだということを。
 だから、そう、たとえば、指だとか鼻先だとか、唇だとか。

「……〜〜まったく、本当に、」
「っうわ、ちょ、なんだよ!」

 無防備にも布団へ寝転がったままのさんに覆いかぶさって、身体の輪郭をなぞるようにするりと腰を撫でると俺の下半身を見て漸く状況を理解したのか顔を真っ赤にしたさんが瞳に驚愕を滲ませて俺を見る。追い打ちとばかりにさんの膝の間に割り入れた膝にぐりと力を込めて下半身を刺激してやれば彼の上半身が大げさに震えた。
 説明をしようにも、先ずはじりじりと太陽熱に肌を焼かれるような熱さでもってぐらりと揺れそうになる頭をどうにかしてしまわなければ、冷静な判断などできそうにもない。熱中症にでもなってしまった気分だ。たぶん、今の俺はさんと同じくらいに首から上が真っ赤に染まってしまっていることだろう。それを理解はしているけれども燻る熱を発散するすべがない。こうなったら最後まで付き合ってもらわなければ。どれもこれも、すべてはさんが可愛すぎるのがいけない。

 ネタばらしは後にしてしまおう。たとえ理性を持たない餓えた獣のようだと揶揄されても構わない。今はただ、なにも考えずに貪り尽くしてしまいたかった。からだと、こころと、彼を構成するすべてのものものを。