小さなひとことが言えない、というのはどうにもこうにも儘ならないものだ。自分の本性は女々しいものだったのだと薄々わかってはいたけれどもよもやここまでだったとは。誤魔化し続けてついにここまで来てしまった。なんだって二人で経験して、これ以上にすることなんてないと笑えるくらい身体も重ねたのに肝心なそれはお互いに言い澱んだまま前に進めていなかった。本当なら、もっともっと早くに言うべきだったのだ。
「おい」
「ん?」
「もう離せ」
「だってこうしてると落ち着くんですよ」
中指と薬指の間をべろりと舐め上げればさんの肩が大袈裟に震えた。基本的に痩せの大食いな質のくせにあまり自炊のしない彼の胃に着々と簡易的な完全食ばかりが蓄積されていくことを懸念して俺はごく稀にさんの家に夕飯を作りに行く。さん曰く、たかだかひとりぶんの食事を逐一作るのがだるい、ということで自炊をしていないだけで決してできないわけではないらしいのだけれども、もっとも俺は少なくともさんがキッチンに立っているところを一度として目にしてはいないのだから考えものだ。いっそ一緒に住みませんか、と一週間に一度は同棲を申し出るのだけれどもさんの返事はいつも決まって芳しくない。互いの通勤の便だけを理由に断られ続けている俺の身にもなってほしいものだ。とは言ってもさんの部屋にはおよそ週三のペースでお世話になっているのだからもう一緒に暮らしているのも同然なのだけれども、規則正しい生活を好むさんが例えば俺の部屋に来た時には決まって22時過ぎには帰ってしまうからおちおち夜の営みにも誘えない。そういった時、夜はいつも一人きり。一日の終わりに目にするのも、一日の始まりに目にするのもさんの姿だったなら、と思うけれども現実はそんなに甘くない。不満がないと言えば嘘になるけれども、それは俺とさんの関係性に致命的な影響を及ぼすかと言えばそうではない。
「片づけしなきゃないべ」
「そんなこと後で俺がやるんで、今は食後の運動したいな、なんて」
「……くそったれ」
「悪態ばつかんでくださいよ」
「ん」
ちゃんとした付き合いを始めてからもう三ヶ月程が経過しているけれども、出会った当初からさんはだいたい素っ気ない。好きだと告げても愛していると囁いても少しだけ恥ずかしそうにそっぽを向いて「知ってる」と言われて終わり、この頃では呆れたように「聞き飽きた」と言われてしまうこともしょっちゅうだ。
理性をそのまま舌に乗せるさんの賢い唇に噛みつくようにキスをした。ほんとうはもっと優しくして、もっと大切に扱いたいのだけれどもさんの可憐さやら色気やらを前に元々分別の欠落している男である俺は何度も何度も同じことをしてしまう。布団の上に組み敷いて、衣服を取り去って、猛った自身で彼の身体を貫いて、泣かせて。ひとつになりたくて。
「おまえはこんなんばっかだな」
翌日の身体機能が心なしか低下すると言って性行為をあまり好まないさんはあからさまな不機嫌を滲ませた声で言い、俺が舐めまわしたせいでべとべとになった左手を俺の服の襟ぐりで乱暴に拭った。俺は苦笑して脇腹からさんの服のなかへと右手を手早く滑り込ませる。さんが羞恥を示すかのように唇を噛んで、その健やかな唇が傷ついてしまうのが嫌でキスをしたけれども今度は呼吸困難に陥らせてしまった。ひとつになりたいと願うあまりに愛を振りかざして、たぶん、俺は彼を著しく害している。愛と行為が矛盾している。愛を示すために繋がりたいのに。
「うまくいかん、なあ」
「……だいぶ好き勝手してるように見えっけど」
「そげんこつなかよ」
五指を絡ませれば皮膚と皮膚が触れ合うように、俺と彼は違う個体だと悲しいくらいに認識してしまう。だからこそ生じてしまう不満を埋めたくて、ついつい凶暴になってしまう。なんとかさんと心でもなくからだでもなく繋がる術を模索して、あるべきかたちに収まって自らの正当性を確かめようとして、目を凝らして闇を見つめる。照明を落とした部屋のなか、乱された衣服をそのままにさんが目を細めて薄く笑った。
「なに、笑ってんですか」
「愛されてんなあと思って」
この愛が彼を増長させ、言わばさんが素っ気ない態度を取るのは俺の所為だ。けれどそれでも構わない。さんとの間に広がる距離の間に入り込む寂しさすらも愛しくて、愛されている実感はあれど安寧には程遠いけれどもなんの問題もない。さんが俺を好きだと言うのなら、今ここにいる俺が、ここにいる俺にしかなれなかった俺が最良の選択をした果ての俺だと思えるのだから不思議だ。さんの傍でひとつふたつと真実が増えていく、例えば望んだかたちとは少し違うものでも。
「しょうもないな」
ほら、おいで。招かれるままに珍しく穏やかなさんの肩口に額を預ければ彼の両手がぐっと俺の背を翼ごと抱く。たった、それだけのことで。
「……ご無礼します」
「まったくだ」
どうしようもなくひとつにはなれないのだけれども、どうしようもなくふたつだけになった気がした。