He looks like a duck in a thunderstorm.



 思い返せば今日は朝の占いが最下位で、大雑把な占いを信じ切って阿呆みたいに一喜一憂するようなことはないしたとえ信じてみたところで特に実害はないだろうと高を括っていたのだけれども、なるほどその報いがこれだろうかと冷たい床に座り込んで重い息を吐く。さっきから引っ切り無しに掛かってきているであろう同僚からの着信で携帯が振動し続けているけれども、後ろ手に拘束されている腕をどうにかしないと電話に出ることすら儘ならないのだから困ったものだ。

「いいか、大人しく従えば危害は加えねえ、このカバンにありったけの札束を詰めろ!」

 確かにここ最近は徒党を組んだ敵がわんさか蔓延っているとの報告は受けていた、けれども、まさかこのご時世に立て籠もり銀行強盗だなんて所業が行われるとは。そしてそれに現在進行系で巻き込まれている俺の立場とは。俺は警察官だ。その警察官がこうして拘束されているだなんてとんだ間抜けな構図だ。
 そも、今日は非番だったものだから空になった冷蔵庫の中身やら日用品やらの買い足しに出掛けていた。そろそろ新しい羽毛布団が欲しいな、と思い布団屋に行ったはいいものの手持ちが足りなくなってしまって近場にあった銀行に駆け込んだのだ。つまりは、マグライトや無線機はおろか警察手帳も手錠もない完全オフな状態なわけで。
 せめて特殊警棒さえあればなあ、と思いつつも、敵がフロアをうろうろと動き回りながら人質とシャッターの下りた外の見張りを行っている状況下、しかも両手を縛られている状態で、俺ひとりのみで現状を打破するのはいささか艱難辛苦であるように思えた。視認できる敵の数は全部で四人。敵の個性なのだろうか、縄やらインシュロックの類であれば力尽くで引きちぎることもできるというのに、それらとは違うなにかで縛られている腕は僅かにでも動かせばぎちりと皮膚に食い込むようで、少しの隙間も作れそうにない。まったくもって困ったものだ。

「オラ急げや!ヒーローが来ちまうだろ!」

 強盗の首謀と見られる、腕が刃に形態変化された敵のひとりが急くように叫んでカウンターの側面を蹴りつけると、周囲の人質が大きな音に恐怖を煽られたように小さな悲鳴を上げて身体を竦ませる。と、そこまで必死に我慢していたのだろう、ひとりの女の子が声を上げて泣き出してしまった。母親が必死に宥めるも収まる様子はなく、首謀の敵が表情に煩わしさを顕にして女の子をじろりと睨めつける。

「……うるせぇガキだな」

 殺しちまうか、なんて刃をちらつかせながらこちらにゆっくりと歩いてくる敵に怯えて、泣き声が更に音量を増す。決して気が長くはないのであろう敵は今にも女の子を斬り付けてしまいそうで、敵の瞳に被虐的な色が滲んで口角が僅かに上がったのを視認した瞬間、あ、まずいな、と思った時には既に身体が動いてしまっていた。
 ぐっと上体の重心を前に向けてクラウチングスタートのように立ち上がると、その勢いのままに駆け出して身体を捻りながら飛び蹴りの要領で敵の腕を思いきり蹴りつけ刀身を逸らす。びりびりと足に伝わる振動は重い。重いけれども、そんなことはどうでもいい。

「ッなんだテメ――」

 よろけないようにぐっと拇指球に力を入れて着地し、声を張り上げた敵が言葉を終えないうちに軸足を返して爪先を蟀谷に叩き込んだ。どしゃ、と目を剥いて崩れ落ちる首謀者敵、水を打ったように静まり返るフロア。これが戦隊モノの番組であれば名乗りの口上を終えるまでだとか相手が話し終えるまでだとかを待つのが定石なのだろうけれども、生憎とここは現実世界だし相手は犯罪者だし俺はそこまで優しくない。相手が油断している隙に終わらせられるのであればさっさと片付けたかった。なにせ折角のオフだというのに予定の時間を大幅にロスしている。被害者にだって得てして都合というものはあるものだ。

「……さて、どうしたもんかな」

 自主トレーニング用のワークブーツを履いていてよかったと思う。ソール部分に鉄板の仕込まれたそれはただ蹴るだけでも相手にそれなりのダメージを与えることができる。これが普通のスニーカーやらスリッポンやらだったらこうはいかなかったに違いない。気絶している首謀者敵の腕は元の人間のそれに戻っていて、なるほど気絶すると発動が解除されるタイプか、と考えながら足でぐいぐいと敵の身体をうつ伏せにして手を踏みつける。確実に爪先を蟀谷に叩きつけたし、恐らく脳震盪を起こしているだろうからまともに動けやしないだろう。やや粗雑な対応かもしれないけれども人の貴重なオフの時間をこんなことで浪費させた奴が悪いのだ、俺に非は一切ない。ぐるりと静かなフロアを見渡すと強盗仲間であろう他三人の敵が戦意喪失を通り越してドン引きしたような表情をしていた。なんでだよ。

「……これは一体どういう状況なんだ」

 現場に駆けつけ飛び込んできたヒーローが訝しげな表情でそう呟いたのも無理はない。


「――どうも、お疲れ様ですエンデヴァー」

 先程の女の子とその母親からぺこぺことお辞儀と共に感謝の意を受けるのを受け流して、俺が気絶させた敵も含めて警察への受け渡しが終わったあと、護送車両が走っていくのを見送る後ろ姿に駆け寄りながら軽く会釈をした。

「……貴様は、」
「刑事部捜査第一課のです。まあ今日はオフなんでただの一般人です。確か、神野の時に一度お会いしてますよね」

 とは言ったものの、多忙なプロヒーローがたかだか警察官のひとりである俺を認知しているとは微塵も思っていないし、ましてや相手はエンデヴァーだ。自らの興味が及ばないことにはとことん興味がないに違いない。と思いきやエンデヴァーはなにか心当たりでもあったのか、誰だお前は、という顔をしたのは一瞬で、ほんの僅かに開かれた瞳のアイスブルーが、コスチュームに纏われた焔を映して紫色に揺らぐ。

「……オールマイトが、貴様の名前をよく出していた」
「はあ、なるほど、俊典さんが」
「てっきり貴様はオールマイト派だと思っていたが」
「なんですか派って」

 予てより、オールマイトとエンデヴァーの支持率にあからさまな差がついていたことは知っていた。絶対に倒れない平和の象徴であったオールマイトがいない今、長い長い間ずっと温め続けていたナンバー2の腰掛から漸く一位へと躍り出たエンデヴァーへの世間の評価が、未だ賛否両論であることも。けれども俺から言わせてみれば派閥などくだらないし、世間の意見など大した問題ではない。

「俺には特定の誰かひとりを贔屓するような気概はないです。確かに、俺にとって一番近しいヒーローはオールマイトだったのかもしれませんけど、だからって他のヒーローを否定的にどうこう言うのは違うでしょう。大事なのは悪事を許さない絶対的な正義感と真実を見極める力です」

 誰しも最初はそうだ。歯を食いしばって、歯を食いしばって、そうやっていつか一人前になる。そして、“エンデヴァー”という言葉をヒーロー名に冠する彼が、誰よりも多く事件解決に尽力しナンバー2の位置にずっと立ち続けた彼が、文字通りに努力の人だということを俺は知っている。厳つい見た目とやや粗暴気味かつ言葉足らずの言動で誤解されやすいのであろうことくらいわかっていた。

「……貴様、下の名前は」
「え?」
「いいから答えろ」
「はあ、ですけど」

 怪訝そうな表情を隠しもしない俺に、身体に纏わせた焔を燻らせてエンデヴァーが凄んだ。頭上に疑問符を浮かべながらも答えると、エンデヴァーは合点がいったようにひとりで成る程と頷いている。なにに対して納得してるんだ。もしかしなくても天然なのだろうか。

「ホークスも貴様の名前をよく出していた」
「はあ、なるほど、……は?」

 思わず間抜けな声が漏れ出た。俺の聞き間違いでないのであれば、今エンデヴァーはホークスと言わなかっただろうか。いや言った。確実に言った。いくら俺の聴覚が一般的な人間のそれより些か心許ないレベルであったとしても、ホークスという名前を確実に耳は拾っている。同時に僅かばかり嫌な予感がした。

「あいつが貴様に懐いている理由がわかった」
「いや、勝手に納得されましても……?」

 あいつが俺のことを他人に話しているという事実ですら初耳だというのに、一体どんなふうに吹聴しているのかだなんて想像すらできない。内容が内容ならぶん殴ってやる。ただ悲しいかな、ここでエンデヴァーにあいつからどんな話をされたんですかと問い質す程の関係性の深さもコミュニケーション能力の高さも俺は持ち合わせていない。これを生憎と言うべきか幸いと言うべきかは微妙なところだけれども、この場合は往々にして知らないほうがいいことの方が蔓延っているのが世の常だ、と割り切ってしまうのが懸命な気がする。

「しかしながら今回の件、警官とはいえあの状況で一人で動いたのはあまり褒められたことではない」
「……う、仰る通りで」

 思わず苦々しい声が出る。鋭い眼差しに耐えかねてエンデヴァーから目を逸らすと、居た堪れなくなって俯いた顔を上げられなくなってしまった。自覚していただけに、そこを突っ込まれるのはたいへん耳が痛い。確かに俺のあの行動は無鉄砲と称するしかできず、決して褒められるべきことではないのは明白だった。結果的に女の子とご両親は助かったとはいえ、それはあくまで結果論に過ぎない。両腕の自由が効かないあの状況下で首謀の敵を倒せる確率は高くはなかったし、もし一発で失神させることができなかった場合、敵に逆上され被害が拡大していたであろう可能性も十分にあった。俺自身が傷を負うリスクを伴うこともわかっていて、それでも、身体が反射的に動いてしまったのだからどうしようもない。今となっては昔と違って直情的な行動はできる限り抑えられていると思っていたのだけれども、そんなことはなかったみたいだ。いつだったか上司に言われた「無鉄砲には役職つけて責任取らさないと何するか分からない」という言葉を思い出す。

「……ただ、貴様が動かなければあの母子が被害に遭っていた。助かったのは事実だ」

 俯いたままの頭に温もりが乗った。なにか、だなんて考えずともわかる、エンデヴァーの掌だ。慣れない行為なのだろう、わさわさとぎこちなく動かされる大きな掌で髪の毛を乱されながら、俊典さんに撫でられるときとはまた違った掌の大きさだとか温かさだとか重みだとかで頭のなかがぐちゃぐちゃになって、じわじわと熱を帯びてゆく顔のあつさを自覚する。
 他人への気遣いという細やかな配慮を携えているようには到底見えないエンデヴァーが果たしてどんな表情で家族でもないうえに初対面である他人の頭を撫でているものかと僅かに好奇心が疼く気持ちもあるのだけれども、それにはこの至極情けない程に赤くなっているであろう顔を上げないといけないわけで。
 平素、俺もさほど意識せずに他人の頭を撫でたりだとか髪の毛をかき回していることが多々あって、けれどそれは褒めたり叱ったりという行為に於いては頭に行うというマイルールがあるからであって、そしてたとえば同僚である東海林や藤堂に対しての叱咤激励の類は厚田さんがやってくれているから俺がする相手と言えば専らあいつに対してなわけだけれども、年上の、それも親に近い年齢の相手に頭を撫でられるという行為はここまで羞恥を誘うものなのだろうか。
 拒絶するわけにもいかずただなされるがままになっている俺の様子に、雛鳥みたいだな、なんてうっかり口から溢れ落ちたとでもいうように呟くものだから、これだから天然は困る、と口から出されることのない悪態を脳内で吐く。いよいよもって顔を上げられなくなってしまった。顔の熱は先程から温度が上がるばかりで、引く兆しがまったく見られない。
 ああ、本当に、まったくもって困ったものだ。