※映画4作目ネタバレあり
※FA×RE!×MHA


Ce qu'il faut protéger



「おやまあ、随分と無茶をしたね」
「……悪い、面倒をかける」

 溜め息混じりに吐き出した言葉は呆れというよりも感嘆の意味合いが大きく、且つどちらかといえば称賛の意図も含んでいたものの、彼はそうは受け取らなかったらしい。未だ癒えぬ傷に塗れながらも眉を下げて微かに笑うその姿は、けれど出会った当初のまるで手負いの獣のような様子からは考えられない程に穏やかだった。

 我らがボンゴレファミリーの十代目ボスである綱吉から、外部の一般人宛てに機械鎧(オートメイル)を作って欲しいと頼まれたのはおおよそ二年前の話になる。
 基本的にマフィアという組織は内向的だ。情報の流出を極力抑えるためにも同盟ファミリーやお抱えの情報屋以外とは進んで接触を持たないし、況してや街中以外では滅多に一般人と関わらない。余計な諍いに巻き込みたくないからだ。
 裏社会に関係のない人間を巻き込むことを特に嫌厭する綱吉が頼み込んで来るからにはそれなりの事情とやらがあるのだろうと推測して当該の人物を迎え入れてみれば、それは右腕と左脚、右眼を無惨に潰した赤髪の男だった。素人目から見ても申し訳程度以下の治療しか施されていないその様子に慌てて医療班のエースをコールしたのは記憶に新しい。なぜ先に医療班の元へ向かわせなかったのかと綱吉を軽く詰めたのもその時だ。私は一介の機械鎧整備士であって医療従事者ではないから怪我の程度は正確に判断出来ないけれど、(鎮静)(活性)の属性に特化した医療班の治療を以てしても潰れて千切れた手足の再生は叶わなかった。いやそもそも、欠損四肢の再生が出来るのであればコヨーテさんは義手になっていないのだ。それに細胞分裂の活性化による回復にはデメリットもあって、晴の炎による急激な回復行為は細胞の寿命を縮めてしまう。綱吉も恐らくはそれを見越して先に私を呼んだのだろう。もしかしたらそれも超直感の結果だったのかもしれない。
 ジュリオ・ガンディーニと名乗った青年は、資産家であるシェルビーノ家の執事らしい。シェルビーノ家。どこかで聞いたことがあると薄すらぼんやりしている記憶の棚をひっくり返してみれば、そこの当主が九代目と親交のある家だったような気がする、と思い出された。私はシェルビーノ家の当主に会ったことはないが。
 マフィアでもなんでもないイチ資産家と、当時ボンゴレの九代目ボスだったおじいちゃん(ティモッテオ)がどうしたら関わり合いを持つものか疑問に思う部分はあるけれど、ボンゴレは犯罪組織集団としてのマフィアらしさはなくどちらかといえば自警団に近しいし、おじいちゃんは歴代ボスの中でも穏健派として有名だったからその所以もあるのかもしれない。
 それとこれは単に私の想像だが、ジュリオをシェルビーノ家に斡旋したのはおじいちゃんである可能性が高い。ジュリオの“個性”の特質が、(鎮静)(分解)に近しいものだと分かっていたのだろう。ボンゴレに所属する人間は押し並べて“個性”を持たないが、だからと言って“個性”を持つ人間の情報を持たなくてもいいというわけではない。むしろここ十数年は進んで情報収集を行っていた部類だ。それがジャッポーネでもイタリアーノでも、裏社会に関係あってもなくても、一般人でもスラム街の孤児でも、可能な限り、すべてを、だ。私が彼に拾われたのもそれがきっかけだったらしい。
 私が、“個性”を持たず、“死ぬ気の炎”の波動を持っていたから。

「……うーん、多分これ、イチから作り直さないとダメだね。軸と継手が完全に潰れちゃってるし腕の神経も切れてる。再利用するのはリスクが高いからオススメしないよ」
「だろうな」
「ついでに身体測定もしようか、腹部の骨何本かやったって聞いたし、前に会った時よりちょっと伸びただろう」
「……そうか?自分じゃ気付かなかった」
「機械鎧のデザインは?前回のを引き継ぐかい?それとも新しくしようか?」
「あー……、」
「目的は達したんだろう?心機一転の意も込めてすっかり新しくしてしまってもいいと私は思うけど……、まあ世界の治安が悪いことには変わりないからね。そこの判断は任せるよ」

 彼が機械鎧を求めたのは、ゴリーニファミリーのボスに誘拐されたシェルビーノ家のお嬢様を奪還するためだ。そのためにチョイスで使用したバイクのスペアを改造して機械鎧と連携して機動力を上げるようにしたし、腕は銃火器に、脚は追尾型エンジンに形態変化(カンビオ・フォルマ)するように匣兵器の要素を組み込み、義眼にはバイオメトリクス認証システムを搭載して仮に意識が無くとも敵味方の判別が出来るようにプログラムした。あとは幻覚作用“個性”(霧の類似能力)への対策も念の為盛り込んだが、それが正しく稼働するかは本人の資質に依るだろう。私の機械鎧整備士としての技術力と、ボンゴレの持つ技術力を合わせた、まさに集大成のような義肢だ。
 これだけ機構を盛るのだから当然耐久性も従来品より上げているわけで、だのにこれだけ無惨に破損しているということはそれこそ文字通り熾烈な争いがあったに違いない。アメストリスもイシュヴァール殲滅戦の例があるし地域によっては紛争も多く決して治安が良いとは言えない国だったけれども、少なくともこの世界よりはよっぽど良かったと断言出来る。今は特に日本が酷いと聞いているし、綱吉も母国が荒廃している情報を聞くたびに悲痛を湛えた苦しそうな顔をするのだ。正直見ていられない。

「とりあえず、今すぐに出来るものでもないから暫くはスペアを着けてもらうけど……、早くて四日かな。寝なけりゃ二日だ」
「それは頼むから寝てくれ。整備にミスがあっても困る」
「そりゃそうだ、じゃあ四日だね。本当は出来上がるまでうちに滞在してもらえれば再訪の手間が省けて楽だけど、君たちはそれを迎合しないだろう?」
「……まあ、俺たちはマフィアじゃないからな」
「だから同盟を組むか庇護下に置くかって打診をしたのに」
「義肢の件がなけりゃ関わることのない人種だったろ。ごめん被るね」
「……ま、事情は人それぞれだからね。強要はしないさ」

 綱吉ならきっと彼と彼女ごと保護してくれるだろうとも思うけれども、断る彼の気持ちも理解出来る。況してや彼は仕えるお嬢様を攫われ、主人をマフィアに殺された被害者側の人間だ。ボンゴレがただの犯罪組織集団ではないとは言え、私だって同じ立場になったらこれ以上の関わり合いは持ちたくないと思うだろう。
 十年前に10年バズーカで未来に飛ばされたあの日。ボンゴレの紋章とⅩ世(デーチモ)を表す文字が描かれた棺桶に誰が収められているかをラル・ミルチから聞いた時の私も同じくらいの絶望を感じた。それまで穏健派のボンゴレかキャバッローネくらいしか禄に知らなかったけれど、過激で狡猾で目的の為なら手段を択ばないタイプのマフィアも当然いるのだと痛烈に思い知った出来事だった。白蘭は最終決戦の後すっかり改心したようで、虹の代理戦争でも姿を見たけれども未だに苦手意識が抜けないのだ。実際にはあれは特殊弾で仮死状態にしていただけで綱吉と入江正一とが企てたことだったと分かったし、綱吉はとうに吹っ切れているのかもしれないけれど、叶うなら私はあと20年は白蘭に会いたくない。

「……そもそもが、だ。俺の機械鎧製作を請け負った理由は何だ?」
「理由?」
「言い換えようか。お前らにメリットがない」
「メリット。メリットねえ、……それってそんなに大事なものかな?」
「は?」
「――昔話だ。私の生まれた国はそれなりに紛争も多くてね。およそ30年前の話になるけれど、かつて軍事将校が東南部に属する少数民族の子供を誤射して殺してしまった。それをきっかけに勃発した内戦は能力持ちの軍人が大量投入された殲滅戦に至るまで6年にも渡った。国内外、人種問わず多くの人間が死んだよ」

 アメストリスの歴史を語る上で決して外すことの出来ない苦い記憶であるイシュヴァール殲滅戦は、泥沼化している内戦を終わらせる為という名目でキング・ブラッドレイ大総統からイシュヴァール人を一人残らず殺害するという非人道的な命令が下されたことに端を発する。この抹殺の対象は自治区の人のみならずアメストリス軍に所属しているイシュヴァール人すらも対象としており、階級を問わず全員が拘束の後処刑されたらしい。人間兵器と呼ばれる国家錬金術師が実戦に投入され、彼らの圧倒的な力によりアメストリス軍はイシュヴァール自治区の完全制圧に成功し、同地区はその自治機能を失って滅亡した。

「……」
「生き残ったものの、内乱で四肢欠損・半身不随になる者も多くいた。大人も子供も、犬猫の動物でさえも、だ。だからこそ機械鎧は、そういう不自由を感じる者たちの救済になるべきだと私は考える」
「……なるほどな」
「ま、機械鎧の発展や技術進歩が早いのはそうした事態故に、というのはある種の皮肉だね。初期投資も維持費もバカにならないし」

 私の故郷である「にわか景気の谷」ラッシュバレーは機械鎧の聖地(メッカ)と呼ばれており機械鎧を始めとした鍛冶の研究が盛んな街だが、機械鎧の需要があるというのはそれだけ戦争などが原因で四肢を失くした人がいるということだ。仕事があるのは喜ばしいことだけれども、経緯や要因を考えると手放しで喜べないし、そこまで非道じゃないつもりだ。
 それでも、機械鎧によって生きる希望を与えられた者だっている。父が無償で機械鎧の脚を作ったパニーニャだってそのうちの一人だ。そういう姿に私は憧れた。
 
「こちらとしては提示した請求分をきっちり払ってくれれば文句はないさ。申し訳ないけど無償という訳にもいかなくてね、外部の人間だから多少上乗せしてはいるけれど……、問答の本質はそこじゃないだろう?」

 『人は何かの犠牲なしには何も得ることができない』という言葉は正しく真理であると、私は思う。
 夢の科学技術だとか、便利なアイテムだとか、必要な制度だとか言われるものも、どこかで何か誰かが犠牲になっている。夢の化学物質フロンガスはオゾン層を破壊したし、夢の建築素材アスベストは中皮腫を引き起こした。急速な重工業の発達は公害病を引き起こし、夢のエネルギー原子力発電は多量の放射性物質や放射性廃棄物を排出する。24時間利用出来るコンビニエンスストアは従業員の長時間勤務で成り立っているし、伝統的家族制度は女性の無償労働により成立している。
 日本には過ぎたるは猶及ばざるが如しという諺もあるし、私たちは対価なき便益などという夢物語から覚め人間にとって過ぎたるものを追い求めることを自制すべきなのだろう。けれど徒に犠牲を求めるのも私は嫌いだし、「現在の私たちが苦労を背負うことで将来世代が幸福になれる」だとか「戦争で犠牲になった英霊たちのおかげで今の本国がある」だとか、パレート最適を目指しすらしていない段階で何かを失うとしたら、それはただの無駄な浪費である。犠牲を最小にする努力を重ねながら犠牲なき便益に対して疑いの目を向けることは矛盾しない。また「犠牲がなければ便益はない」が真実であるとしても「犠牲があれば便益があった」が真実であるとは限らない。

「綺麗事を言っているように聞こえるかもしれないけれどね、全くもってそういうつもりじゃない。うちのボスほど優しくないし利己的な人間だよ、私は。等価交換の法則は何も物品と金銭の取引に限った話じゃないし、『困っている者たちの助けになれたら嬉しい』というよりも本音は『機械鎧の機能性や美しさを世界に広めたい』だ。ブランド品を買った時にショッパーを持ち歩くのが宣伝代わりになるのと同じさ」
「……、」
「この回答でもまだ何か不満があるというのであれば、こっちの言葉はどうかな?【やらない善よりやる偽善】、だよ。ジュリオ・ガンディー二君」
「は、」

 錬金術は物質の性質と形状を変化させることが出来るけれども、無から有を生み出すことは出来ないし、例えば水を土に錬成することは出来ない。等価交換というのは無から有は生み出せないことを示す法則であるから見方によってはネガティブな制約にも思えるけれど、『一は全、全は一』という言葉が存在するように等価交換とは偏りなく調和するというポジティブなルールであるとも言える。
 チームワークを表す成句として屡々使用される『One for all,all for one(一人は万人のために、万人は一人のために)』は、1618年に起きた第二次プラハ窓外投擲事件の際のラテン語の成句、“Unus pro omnibus, omnes pro uno”を元にしたものだ。ボヘミアのカトリックとプロテスタントの両集団の指導者の集まりに於いて、プロテスタントの指導者は以下のような内容の手紙を決然と読み上げた。
 「彼らカトリック勢力がまた我らに対する処置を断行しようとする故に、ここに我らは以下の如く相互の合意の形成に至った。即ち、生命、肉体、名誉、繁栄の喪失を厭わず、我らはここに、一人は皆のために、皆は一人のためにとの気概を以て確固と立ち上がったのである。我らは誰に媚び諂うことはない。それどころか我らは全ての困難に対して、出来うる限り、相互を助け守るものである」
 等価交換では存在しないものを生み出すことは出来ないが、錬金術のように物の態様を変えることは出来る。人々が連帯し協力し合えば、不足しているものを充足することは十二分に出来る。ホムンクルスやオール・フォー・ワンのように一体で完全無欠とされる存在にならずとも、私たちは『一は全』として、総体として発展を目指せばそれでいいのではないだろうかとも思うのだ。

「よく言うだろう?お節介はヒーローの本質だって」

 たとえ世界がどんなに変容しても荒廃しても、本当に守りたいもの、守るべきものだけはいつだって見誤らないでいたい。
 そんなことを考えてしまうのは我儘だろうか。