カウンターに彼の姿がないと、あのバーテンはどうしたのだ、と問う客が後を絶たない。それほどに上鳴にはイコールでバーテンというイメージが客の中に定着していて、彼自身にもそれは大変喜ばしいことであったけれど、少々わずらわしいと思う時もある。厨房に立つ瀬呂にも言えることだが、彼らにはザ・エイトにおいて代理がいない。
はやくしろアホ面ァ！苛立った爆豪の声が上鳴を呼んだ。ドア越しの爆豪の声はくぐもって聞こえて、上鳴の使命感を煽るにはいくぶんか足りなすぎる。はあい。生返事をひとつ、上鳴は鼻を擦る。黙々とキーボードを打っていたが口を開いた。
「上鳴、いつまでいんの」
「もうちょっと」
は重い溜息をついた。彼が事務処理をこなす部屋は壁が厚く、夜中まで続くクラブの喧騒を受け付けない。あの下品な騒ぎのまんなか、狭いカウンターでシェイカーを振ることに疲れたとき、上鳴はこの部屋へ逃げ込む。上鳴がいない場合は爆豪が、急ごしらえであの場に立つことになる（ストイックかつ天才マンである彼の腕も相当のものなのだが）。しかしなにしろ愛想が悪いもので、仕事になるわけがない。元来他人に媚びへつらうことを嫌う男だ。客相手の商売など元から向いていない。不向きの役割に短気な爆豪が耐えられるわけもなく、三十分おきの怒声が上鳴の立てこもるの部屋へ十五分、十分、五分と間隔を詰めてやってくる。五分間隔でドアを叩かれ続けては、匿う側もぐったりとしてきて、
「ちゃきちゃき働け」
が背伸びをすると、彼の関節のあちこちが鳴った。パソコンの隣、ローテーブルの上にだらしなく座り込んだ上鳴を一瞥するけれど、上鳴はいっかな動かない。
普段は然程自己主張も激しくなく、たまに調子に乗ることこそあれど、おおよそ基本的には空気の読める男である。ただ、数年前の赤ん坊の一件や、こうした定期的な職務放棄に限っては、上鳴は誰よりも強情に見えた。日ごろからのわがままだって多少は許されるろうに、彼はあくまで仲間に従順だった。
「やーだよちゃん、俺もう寝るもん」
「そんなん言っても閉店まであと二時間もあるわ、お前、ここ、その間ずっとバクゴーにドア叩かれんだけど」
「寝るもん」
「働け！仕事の邪魔だから出てけ、はよ」
背中を押す。ええ、と情けない声を出して上鳴が抵抗を試みる。普段は利口な飼い犬よろしく指示に背くことなどないというのに、ときたま溜めに溜めた自我を表してくるのはたちが悪い。
相手の感情に敏いですら、上鳴の思考には理解しかねる点が多い。幼いころから物静かとは決して言えないものの面倒見はよかった。面倒事の矢面に立たされることを好んでいるわけでもない彼が、すすんで情報収集を行ったり、あの騒がしいバーカウンターに立ったりする。一様に理想の将来を腹の中に隠す、他の男たちと同じように、上鳴なりの将来があるのかもしれない。
「そのためには働け」
「そのためってどのためだよ」
「働け」
「嫌だって！」