オンリーラバーズ



 寝ているのだろうと踏んで、だからあえてノックをしなかった。
 けれどもできるだけそうっと開いたドアの向こう、爆豪は「ノックぐらいしろアホ面」と唸る。いやいや寝てると思うでしょ。まだ七時ならんのですよ。いや寝てたんだよな、俺が起こしたことくらいわかるけど。ほんと生きづらいなあ。全部飲み込んだ上鳴は「うん、ごめん」なんて形だけの謝罪を零した。

「爆豪、聞きたいことがあってさ」

 の誕生日、なにあげたらいいと思う?

 そもそも上鳴の中で永遠のライバルである爆豪に問うたのが間違いだった。生きてるだけで丸儲けだプレゼントなんて知らねえ寝ろと一刀両断されてから気づいたことだ。爆豪の中にライバル意識があるとは到底思えないけれども、他人への感情をあまり表へ出さない彼になにを聞いたって仕方がない。あーもうどうして気づかなかったんだ。散々迷い朝の街をうろついた末、10時の開店きっかりに馴染みの花屋へ駆けこんだ。

 花を差し出されてきれいな言葉でおだてられて気分を悪くする女性などいない。……かはわからないけれども、上鳴は自分の容姿を評価していた。がほめてくれるからだ。まあ見目麗しい男に言い寄られて気分を悪くする女性など云々。だから女性に会う夜は大抵、閉店ギリギリにこの花屋を訪れた。あれあれ昼間から珍しいですねえ、と妙齢の女店主が目を細める。
 スーツじゃないあなたなんていつぶりかしら。彼女は上鳴を気に入ってくれていた。爆豪とも顔なじみらしいけれども、彼がここを訪れて誰のためになにを買っていくのか、上鳴は知らない。「誕生日なんですよ」上鳴が言うと、女店主はますます皺を深くした。

「ガールフレンド?まあ何人いるんだか知れないうちのひとりかしら」
「違うんですよ、いちおう、本命の、」
「あれまあそんなの初耳だわ」

 もちろん男性だなんて言えるはずもなく、さっぱりしてて気の強いひと、金額はこだわらない、とだけ伝えた。女店主はあれこれと詮索することもなく、冷えるから気をつけなさいね、マフラーぐらいしたらどうなの、などと母親じみたコメントをしながらてきぱきと花を選んでいく。大分と厚手のダッフルコートを羽織ってはいたけれど確かに肌寒く、そうですねえ、もらったものはたくさんあるんですけど、なんて返した。嘘ではない。

「引く手数多のあなたに好かれるなんて、どんなひとなの?」
「おかんみたいなひとです」
「あはは、おかんみたいな歳の女たぶらかしてるくせにねえ」
「ひどいこと言わないでくださいよ」

 弱ったみたいな声色で言うと、彼女はからからと笑った。赤、オレンジ、黄色のバラ、カスミソウ、水色のラッピングペーパー。上物ですけど、普段の半分でいいわ。がんばりなさいね。上鳴を見上げた女店主は、頭を下げた彼の背を軽く叩いた。
 温かな母親なんてご無沙汰すぎる。ずいぶんと情けない笑い方をしてしまった気がした。

 七人家族になってから何年になるのか、上鳴にはわからない。二十年ほど前には何十人といた家族と離れてしまって、けれど縁あってひとり、またひとりと家族になっていった。家族にならなくては冷たいアスファルトに同化してしまいそうな男ばかりだ。いくらするのかわからないオーダーメイドのもの、洋服のなんちゃら山に超特価で売られていたもの、ばらばらなくせ揃いの黒いスーツ、カラーチーフ、履き古した大小さまざまな革靴――目に痛いくらい個性的な男たちの、目に見える統一感というものが上鳴は好きだった。
 ただこの家族には明確に誕生日というものをもつ人間が少なくて、上鳴はその少ないうちの一人である。誕生日も、戸籍を調べ上げたらすぐにわかるものだけれども、彼は家族の本当の誕生日など知りたいと思ったことはない。彼らが口にすることだけが真実でよかった。上鳴の誕生日は今日。紙上のことなどはどうでもよくて、がそう言っていた、それがなにより強い証拠だった。

「ただいま、……あれ、切島、は」

 クラブへ戻ると切島が起きていて、こんなにも寒い一月だというのにランニングシャツにチノパン姿で牛乳を呷っていた。

「おかえり上鳴、な、スーパー行った。もうちょいで戻ってくると思う、けど、プレゼント?買ったのか?」

 上鳴が後ろ手に隠した袋をひょいと覗きこむ。こういうときの切島は特別察しが良い。やさしいなあ上鳴は、と笑う。もちろんやさしさだけでないことなど彼には告白していないのに、なんとなくわかったような口ぶりだった。すこし恐ろしいな、と思う。

「花束?」
「うん、なに喜んでもらえるかさっぱり」
「包丁とか、かなあ、でもこだわりありそうだしなー。そういうんでいいんじゃねえ?なんか恋人みたいだけど」

 最後の一言に心臓が跳ねる。どこまで知っているのかと問いただしたくなって、けれども彼は吐かないだろうし吐かせたところで。……ただ的確なプレゼント案の提示に感心する。爆豪なんかに求めないで切島に聞いたらよかった。

「喜んでくれるかなあ?」
「俺女と違うよ、とか言いそうだけど、うれしいと思うぜ」
「切島はなんかあげんの?」
「俺はなあ、生きてるだけでプレゼントだから」

 ははは、とゆるく笑う。ああまあそんな考え方もアリ。爆豪も同じようなことを言っていた。上鳴は今朝がたのやりとりを思い出した。憤然としてドアを閉める直前、「上鳴」と引きとめられたことも。

「テメエ、アマトリチャーナ、わかるか」
「うん、パスタだな」

の好物だな。

「明日夕飯それにして」

 全部全部持っていくのだあの男は。悔しくてたまらなくてけれどよくわからないままなぜかうれしくて、はやく昼ごはんの仕度をしてしまおうと思い立つ。花束はバケツ一杯の水につけて物陰に押しやり、上鳴はキッチンに立った。「はなんもしなくていいぜ」、彼だけが言える台詞だ。