再構築



 ふたりですごす、最後の夜だった。
 やかましく雨が降っていた。しかし長年身を寄せていた古いアパートの一室みたく雨漏りを心配する必要はなく、コンクリートの壁は雨音さえ遮ってしまう。うるさい雨音に妨げられて眠れなかったわけではない。理由もなく、なんとなく、寝てしまうには惜しい夜だと思った。ただとてつもなく長い間同じ空間に生きてきたものだから、もう話すべきことなどとうの昔に尽きてしまっている。なにを話すわけでもない、穏やかで静かな早朝四時。ふたりきり、がらんどうのクラブも、明日には賑やかに、開店へ向けて一歩踏み出す。

 キングが遺した始末屋の肩書を背負うだけでは、男七人を養える収入が得られるとは思えなかった。七年程ぶりに再会した上鳴が騙され、押しつけられていたこの貸店舗を有効活用しようと言ったのは、例によってである。は爆豪と住んでいた家賃一万五千円のアパートを解約して、この貸店舗へ移り住んだ。ふたりは工場や定食屋で働いた収入を、すこしずつ貯めていた。その口座のほとんど全額をはたいて家具を揃え、隅々の清掃まで済ませ、七人の居場所をつくった、上鳴と再会してからここまでの出来事は、たった一週間の出来事だ。自分で起こした行動とはいえ、ここ数年で一番密度の高い日々であったと思う。は彼の見ているテレビ、ずいぶんと古いフランス映画のむこう、窓から見える薄明るく、灰色にブルーが混じり始めた空を横目にひとつ、あくびをした。

「寝たほうがいいんじゃねえの」

 カウンターでなにやらレシピの研究に励む爆豪が口を開いた。彼にとってみれば、映画を見てのんびりと過ごす時間すら惜しいのかもしれない。に声をかけたその瞬間も爆豪の手は握った包丁をせわしなく動かしている。まな板を叩く軽快な音はテレビから流れる甘いフランス語と混ざり合って、生活感とロマンの溶けあう、異様な早朝を生み出していた。

「お前こそ寝たほうがいいんじゃないの、……一緒に寝ようか、どうせ最後だし」
「なに言ってんだテメエ」
「切島と上鳴、昼前には着くって言ってたでしょ。徹夜明けで迎えるわけにもいかないし」

 がリモコンを手にとって電源を切る。本気か、とでも言いたげな顔の爆豪がキャベツを刻む手を止めた。
 セミダブルのベッドひとつに寝起きしていたのだから今更恥もなにもない。しかしこの広い建物には一人一人に個室とベッドをあてがうことができたし、くだんのベッドだってつい先日燃やしてしまった。「だれも見てないよ」が笑った。そういう問題ではない。

「なんでテメエと寝なきゃねえんだよ」
「いいじゃん、なに?なに意識してんの?なんにもしないよ」
「殴ってていいか」
「お前のどつきは嫌って言ったでしょ」

 はやくしなよ、と急かすに爆豪の拒絶は意味をなさないだろう。あまり感情の波を立たせない彼だけれども、こうして時折、すごく子どもじみた言動に走る。爆豪は彼のそれをわずらわしいとも、腹立たしいとも、いとおしいとも、思う。
 キッチンはひどい有様だ。切りかけのキャベツ、ミートソースで煮込まれたハンバーグ、積み上げられた皿が七つ、ナイフとフォークも七人分。昨日買ったばかりのランションマット。散らかったまな板のまわりをすこしばかり片づけてしまいたかったけれど、確かにひどく動き回った一週間、疲れは重くのしかかっていた。「片づけは、そんなの、あとでいいから」語気を強めたに圧されてしまう、やはりどうしようもない関係であった。

 の手はいつも、触れられたこちらがびくつくほどに冷たい。爆豪の手を強く引いた、この朝もそうだった。広いフロアの奥まったところ、の寝室には黒いシーツのかかったシングルベッド、小さな窓がひとつ、机と椅子と、段ボールがひとつふたつだけ。無理やりに詰め込むようにして、は爆豪をベッドに引きずり込む。上背のある男二人が並んだベッドの狭さがなんだかおかしい。はすこしだけ笑った。なに笑ってんだ、眉をひそめた爆豪の髪を撫でる。つんつんと硬そうな見た目に反してやわらかな手触りも、長い年月のあいだにすっかりと馴染んだものだ。
 明日からがんばろうな、と柄にもないことを口走りそうになった。は慌てて口をつぐむ。彼のひどく無口なわけは、内部でうずまくそれをひた隠しにした結果である。なんだよ。怪訝そうな顔を解かない爆豪に向かって、熟考の末だ、よろしくなとだけ呟いた。爆豪が頷く前に、はゆるりと瞼を降ろした。