「……はっ、は、はぁっ」
断続的に吐く息が荒い。かれこれ二十分以上ずっと走り続けているからだ。喉の奥が熱くなっているような気がして、唾を飲み込み掠れた渇きを誤魔化すと、一度咳払いをしてから通信機のスイッチを入れる。
「っ、もしもし轟くん聞こえる?今中心地から南西2キロ地点、音が近い、たぶん鬼がいる」
『――こっちは中心から北に1.5キロ。今は誰もいなさそうだ』
「わかった。そっちはとりあえず大丈夫そうだね、こっちは爆豪くんかもしれない、もしかしたら戦闘になるから、轟くんは――……」
そのまま逃げ続けて、と言おうとしたところで走っていた路地の壁が目の前で崩れた。ぶわりと土埃が舞って視界を覆う。思わず立ち止まるとガラガラと瓦礫を踏んで壁の向こうから人影が揺れるのが見えた。それから特徴的な手榴弾型の籠手。お出ましだ。
「……鬼と遭遇なう。爆豪くんだった。もう一人の鬼に注意してね」
『――……了解、無理すんなよ』
無理はしないけれども無茶はするかもしれないな、と薄っすら思ったけれども口には出さずに通信を切る。その動作すらも待つのが煩わしかったのか、それとも単に戦いに飢えていたのか、爆豪くんが爆破の推進力でこちらに飛び掛かってきた。
「くたばれクソモヤシ!」
「モッ……あだ名ひどいな!?」
右の大振りを避けるように左手で後方に流しながら声を張る。爆豪くんがクラスメイトの名前をまともに呼んでいるところを殆ど見ていないから特に期待はしていなかったけれども、思っていたよりも酷い呼称であった。モヤシて。どうやら組み手でスタミナ切れによる中断を連発してしまっていたことを未だ根に持っているらしい。
今は前より体力も筋力もついたとはいえ、爆豪くんとタイマンはさすがに無理がある気がする。爆破の攻撃を躱しつつ雷汞を威嚇射撃のように投げつけてちらりと腕時計を見ると、制限時間は残り五分を切っていた。
今私たちがいるのは運動場γ、今日のヒーロー基礎学は「鬼ごっこ」。二人一組でペアを組んで、鬼を一組、逃げ手を二組フィールド内に配置し、逃げ手はペアのどちらか一方だけでも制限時間内に鬼に捕まることなく逃げ切れば成功という至ってシンプルなものだ。
無論、ヒーロー科の授業でただの追いかけっこをするわけがない。鬼と遭遇したら戦闘必須、しかもこのフィールドの鬼はくじ引きで選出された爆豪くんと常闇くんのふたり。勝てれば僥倖だろうけれども戦闘力と機動力に秀でた彼らに勝つことはそう容易ではない。どちらかといえば見つからないよう逃げ切るのが最善だろう。いつだったかテレビでやっていた逃走中のようなものだ。
本来であればペアと協力し合うのが正答なのだろうけれども、私と轟くんは共闘に向かない。恐らく爆豪くんと常闇くんのコンビが共闘に向かないのと同程度には。私も轟くんもどちらかといえば範囲制圧に長けた個性だからだ。轟くんもそれをわかっている、だから最初から二手に分かれた。うまくやれば共闘できないこともないとは思う、けれども運動場γの路地は道幅が狭い。殊更に距離を置いて戦わなければならないので正直やりづらいだろう。私としてもうっかり燃やされては堪ったものではない。さて、どうしたものか。
「戦闘中に考え事たぁ余裕だなあ!」
BOOM、と籠手からの攻撃を身を捩って避けると爆破の威力で背後の壁に穴が開いた。あまり建物を破壊しないでほしい。生き埋めになったらどうしてくれる。それを言ったら、じゃあ避けるんじゃねえ、とか言われそうだ。
以前轟くんと組手をしたときのように、水銀を膜にして手を覆えばいいのではと思ったけれども、そのまま爆破をされても困る。私は私の個性が危険性の高いものであることを知っている、相手に危害を加える可能性は出来る限り排除したいものだ。
「……あ〜〜、?」
考えるのが少し面倒になってきた頃、なんだかいつもよりも動きづらそうな爆豪くんの様子を見てぴんときた。建物が密集して道が狭いから、体育祭のときのような大技はできないだろうと踏んでいたのだけれども、あながち間違っていなかったみたいだ。
指の先から徐々に制御を緩めていくと、じわりと解けるように肌色が銀白色へと変わっていく。それから足を肩幅に開いて腰を落とし、僅かに体勢を低くする。向かってくる爆豪くんの足が浮いた瞬間、付け根あたりを狙ってタックルを仕掛けると、比較的容易に体勢を崩すことができた。体力に自信はないけれども腕力には自信がある。気分はさながらラグビー選手だ。ラグビーのルールは知らないけど。
「あぁ!?てめなにすん……」
「はいごめんね、燃やさないでねー」
尻もちをつくように倒れ込んだ爆豪くんの腹部に馬乗りになって、掌同士を合わせるようにして帯状に広げた水銀でぐるぐると包帯を巻くように覆って凝固させていく。脚も同様に一纏めにして足首あたりを水銀で覆うと、まるでひとり二人三脚だ。ひとりだから一脚だけど。おもしろくはない。
「終わったら解いてあげるから大人しくしててね」
「うるせえ死ね俎!!」
前々から思ってたけど、爆豪くんの罵倒ボキャブラリーって意外と少ない。っていうか今まな板って言った?ねえまな板って言ったよね?貧乳だってか?やかましいわ。
胴と足裏を地面と縫い付けるように結合して固めたから、これで暫く満足に動くことはできないだろう。コンクリートにだって多少なりとも水銀は含まれているのだ。よっこいせと我ながらやや爺臭い掛け声で立ち上がって時計を見ようとしたとき、丁度タイムアップのブザーが鳴り響いた。タイミングがいいというんだかなんというか。
爆豪くんを縫い付けていた地面にそっと手を這わすと、ぼろりと凝固させていた水銀が崩れていく。解けた水銀は球体となって滑り、最終的にはひとつの小さな水溜りのようになった。ちなみに回収はしない。
「一応訊くけど、どこも痛めたりしてないよね?」
「舐めんなクソ、てめーよか丈夫だわ」
手首を解しながらも悪態を吐くことはやめない爆豪くん本当にブレないな。呆れたようにため息を吐くとぎっと睨まれたので、肩を竦めて誤魔化しておいた。ああこわい。
「――」
「あ、轟くん、おつかれー、見つかった?」
「いや」
「だよね」
爆豪くんから微妙に一定の距離を空けてゲートへ向かう道中、少し拓けた通路に出たとき轟くんと合流した。ひらりと片手を上げると、近づいてきて隣に並びだす。轟くんは無事に時間いっぱい逃げきったようだった。
「なんかごめんね、ペア私で。共闘もクソもなかったね」
「いや、別にいい。どうせ俺も個性使ったら巻き込むことになるし、分かれたほうが合理的だった」
「それもそっか」
うん、と納得するように相槌を打つと、轟くんが不意に私の左手を掬った。
「……前から思ってたんだが」
「うん?」
「って低体温か?」
なんで今その話を出したんだ轟くん。脈略が皆無だったよ。
「血が通ってないからじゃない?」
「……そういえば刺しても血出なかったな」
「水銀は出るけどね」
例えば腕を斬り落とされたとしても血は出ないし、水銀はすぐに生成できるから腕を生やすように再生することもできる。まるでホムンクルスだ。体力は消費するけれども、比較的に有用性は高いと思っている。
「また倒れられても困る、無理すんなよ」
「ごめんて」
以前にペアで戦闘訓練をしたとき、水銀を多量に流しすぎて昏倒したのを覚えていたようだ。有用性は高いけれども、難儀だとも思ってはいる。
「一応気をつけるから」
「一応なのか」
「こういう個性だから仕方ないよね」
僅かに諦念を滲ませてへらりと笑いかけると、轟くんが呆れたようにため息を吐いた。デジャヴだ。
「……まあ、次はちゃんと近くにいてやるから」
次はって、次もペア組むこと前提なの?だとか、共闘が向いてないのにどうやって?だとか、なんだかそれ告白みたい、だとか、ところでいつまで手を握っているつもりなの、だとか、言いたいことは溢れるくらいにいろいろあったけれども、首の後ろがじわじわと熱を持っているものだから全て飲み込まざるを得なかった。
本当に、これだからド天然記念物は困る。これでは私ばかりが振り回されているようではないか。
「あとはもう少し食って肉をつけたほうが良い」
「やかましいわ」
でもそのデリカシーないところは本当にどうにかした方がいいと思う。
そんな気持ちを込めて腕を叩くと、べちりといい音が鳴った。