糸はついに固結び



「轟とってさ、どういう関係なわけ?」

 唐突に飛んできたその問いに、どう答えればよいものか僅かに思考を巡らせたけれども、どうしてか自分の中で納得のいく正答は導き出せなかった。
簡単に解けないのは、この気持ちが何なのか。それすらもわかってはいなかったからだ。


「あ、轟くん」

 放課後。昼休みにと今日の放課後は空いているという話をしたものだから、俺はホームルームが終わって早々に教室を出た。目指すべくは演習場だ。けれども、そんな俺を呼び止めたのは他でもないだった。立ち止まって後ろを振り返ると、俺の歩く速度が早いのか呼び止めるのが遅くなってしまったのか、僅かに離れた距離を縮めるように小走りになったの上履きがリノリウムの床と擦れてぱたぱたと軽い音を立てる。

「ごめんね、ちょっと今日遅れるから、先行っててもらっていいかな」
「ああ」
「ありがと、ごめんね」

 申し訳なさそうにぱちりと顔の前で両手を合わせ、それだけを言ったはひらりと片手を振ってカバンを背負いながら昇降口の方向へ駆けていった。その様子にほんの少しの違和感を感じて、軽く首を傾げる。
 は飯田ほど生真面目とまではいかないけれども比較的真面目な奴だ。廊下を走ることなんてそうそうないし、基本的に時間も守る。教師に呼び出しをされたのかと思いきや、向かったのは職員室ではなく昇降口。謎だ。

「あれっ、轟?は?」
「……遅れるから先行ってろって」

 再び歩き出そうと一歩踏み出したところで、今度は教室から出てきた上鳴に呼び止められた。から言われた言葉を反芻するようにそのまま返すと、上鳴は片眉を上げてどこか不思議そうな顔をする。その目の奥には僅かな好奇心が揺らいでいた。

「へえ、いいわけ?」
「……なにがだ」
、呼び出し食らってんだろ?どう考えても告白じゃん」
「……は?」

 途端真っ白になった頭では、そう返すのがやっとだった。思考が止まる。
 告白?に?誰が。なんで。なんのために。
 ぽつぽつと会話にならない単語だけが脳裏に浮かんでは消えていく。「サポート科のやつだったっけかな」という上鳴の呟く声も、聞こえているはずなのに届かない。ひゅ、と喉の奥で息が途切れる音がした。

「なあ轟?いっこ訊いていいか?」
「……な、んだ」
「轟とってさ、どういう関係なわけ?」


 結局、油が切れて錆び付いた歯車のようにまともな働きを成さない思考を無駄にぐるぐると巡らせたままに演習場へ辿り着いていた。考え事をしていても身体はきちんと道程を記憶していたらしい。こういうときばかりは自分の優秀さがありがたかった。

 はクラスメイトで、互いの都合が合えば組手をして、個性の幅を広げるために切磋琢磨し合う関係性。ただ、それだけだ。表面上は。

「別に付き合ってるわけでもないんだろ?じゃあ、轟はとどうなりたいんだ?」

 先程放たれた上鳴の言葉が耳にこびりついたまま離れない。
 どういう関係か、だなんて、訊きたいのはこっちの方だと。そう言えたらどんなに楽だったろう。けれども。どうなりたいか、だなんて。考えたこともなかった。
 俺がなんらかの意味を持って生まれてきたというのであれば、それはヒーローになるためであって、決して恋愛にかまけるためではないと思っていた。緑谷に気づかされて、お母さんと話をして、親父のヒーローとしての姿をこの目で見て、全てを受け入れたつもりでいたけれども、長い間心の奥底に潜んでいた禍根はそう簡単に消えるものではない。だからこそ俺は誰かに愛されるためでも、誰かを愛するためでもなく生まれて、この心臓が働きを終えるまでに正答を見出さなくてはと思っていた。

「ごめんね轟くん!遅くなった!」

 のそのそと制服からジャージに着替え軽くウォーミングアップをしていたら、どうやら急いで走ってきたらしい、息を切らしたが制服のまま演習場に飛び込んできた。その姿を目に映して依然なにも言わない俺を不思議に思ったのか、怪訝そうな顔をしたが近づいてくる。思わず後退りしそうになって慌てて自らを制したけれども、ぽやぽやしているように見えて存外聡いには気づかれてしまったらしかった。途端、不可解そうに平素は下がり気味な眉の間に皺が寄る。

「轟くん、具合悪い?今日はやめにする?」

 俯いていた顔をゆるゆると上げてと目を合わせた。その色素の薄い瞳の奥でちらつく憂慮の色にの誠実さを垣間見て、ひそめた呼吸が肺へと逆流してしまうのを感じる。

「轟くん?ほんとに大丈夫?今日おかしいよ」
「……呼び出されてたのか」
「え?ああ、うん」

 問い掛けには答えないくせに投げ掛けたこちらからの疑問に、一瞬きょとんと目を丸くして首を傾げながらも頷いたにこれ以上先を訊いてもよいものか、僅かに躊躇った。些か踏み込みすぎではないだろうかと暫し逡巡したけれども、きっとこのまま誤魔化して終わることなどできはしない、それならばいっそ。

「……上鳴が、告白だって」
「まさか!サポート科の人だったんだけど、なんか、私の“個性”が気になるんだってさ」

 私なんかに告白する奇特な人なんかいないよ、と緊張した面持ちの俺を笑い飛ばすように、が口元に手を当てて噴き出した。その表情を視認した途端に強張った身体が弛緩する。まだ少しも運動などしていないというのに、数十分のマラソンでもしていたかのような疲れが安堵と共に精神をどっと襲った。上鳴はあとで締め上げよう、とまるで爆豪のようなことを心中にてひっそり考える。
 憂慮していたことがなくてよかった。そこまで思って、ふと、流れそうになる思考の糸を引き留める。俺がこうしてのことを心配する気持ちとだか、無事を確認して安堵する気持ちだとか、こういうのは果たして同輩に抱く普通のものなのだろうか、と。

「なに、そんなこと心配してたの?そんなに私のこと好き?」
「……ああ、好きだ」
「えっ」
「って言ったら、お前、どうする」

 これは、ただの直感だ。そして、これこそが俺の見出した正答だ。

 が好きだ。たぶん、どうしようもないくらいに。