昼休みの食堂は、人の話し声と通路を歩く音でがやがやと特有のざわめきに満ちている。
カウンターで受け取った蕎麦の乗せられたトレーを手に空いた席を探して視線を走らせるけれども、所用があって職員室に寄っていたためか、殆どの席が埋まってしまっているようだった。最近昼食を共にすることの多い緑谷と飯田にも、今日は先に食っててくれていいと言ってあるから、いくつか点在するようにひとり分の席が空いているところもあったけれども、そこに入っていくことは躊躇われた。さすがに顔見知りですらない生徒の隣に相席をできる程、俺は自分が親しみやすい部類の人間ではないくらいわかっている。
さてどうしたものか、と思案したところで、ふと窓際の二人席に目を遣ると知った後頭部を見つけた。
俺の片方の赤とは違う発色のそれ、すこし彩度の高い、けれども切島の赤毛ともまた違う色の髪。
「」
「ふお?」
ちょうどサンドイッチにかぶりついたところで声を掛けてしまったせいか、やけに間の抜けた返事をされた。右だけ鎖骨くらいまでに伸ばされた横髪が、顔の動きに呼応するようにさらりと揺れる。両手で持ったサンドイッチを口に入れながらこちらを見上げる双眸があまりにも不思議そうだったものだから、その分かりやすい表情に思わず噴き出しそうになるのをぐっと堪えた。
「ここ、座っていいか」
「ん」
咀嚼中のために口を開くことができなかったのだろう、二度程頷いて手のひらで向かいの空いた席を指される。ありがたく座らせてもらうことにして、軽く礼を言って席に着いた。
両手を合わせ小さく挨拶をしてから箸を手に取り、既にめんつゆの注がれているそばちょこへネギとわさびを少量入れ、軽くかき混ぜてから蕎麦へ箸を伸ばす。その間にもは先程頬張っていたサンドイッチを食べ終えたようで、次へと手を伸ばしていた。鮮やかな緑色の斑点が目立つ黄色のそれと、皿に盛られた謎の緑色。
「……それ、なんの料理だ」
「枝豆の玉子焼きサンドイッチと、パセリの天ぷら。枝豆とパセリって、ほうれん草より鉄分含有量が多いから摂取するのに効率がいいんだって。リカバリーガールに訊いたんだ」
それを聞いて納得した。どうやら好きなものを食べているというよりは、個性重視の食生活をしているらしい。以前に、鉄分補給をしたところで自分の血中に鉄分は殆ど無いから意味は特にない、とも聞いたような気がするけれども、いつのことだったろうか。レバーとかはどうなんだ、と更に訊くと、肝臓はあまり好きじゃないんだと返された。好きではないのなら、まあ仕方ない。でもなんかリアルだから肝臓って言うなよ、とは心中でこっそり突っ込んだ。
「ていうか、そんだけで足りんのか」
「ん〜〜……」
返答に悩むように首を捻りながら、サンドイッチの残りを口に入れるを上目に見て蕎麦を口に運ぶ。ずず、と音を立てて啜ると途端、咥内に蕎麦の香りが広がった。美味い。箸で刻み海苔を散らすように少し退けてから更に蕎麦を取る。
「なんていうか、私の臓器とか器官も全部“個性”で形成してるからさ、お腹が空くとかエネルギーになるとか、よくわからないんだよね。金属疲労的なやつなのかな、怠いとか疲れたとかはなんとなくわかるんだけど」
そういう感覚鈍ってるのかな、と呟いて首を傾げるに、知らねえけど、とはさすがに返せなかった。
の“個性”【水銀】はどこか不思議だ。金属という類いならB組にも確かスティールの“個性”がいたけれども、分類としては葉隠のそれに少し似ている。
聞けば体内で水銀を生成しているその身体すらも水銀で形を作っているものらしく、実のところは常に個性を発動しているようなものだ。“個性”を発動して身体を水銀に変化させるのではなく、元々流体の水銀であるものを“個性”で人間の形にしているという。本人としては既に慣れたものらしいけれども、“個性”の制御ができるようになるまでに相当な苦労を強いられてきたであろうことが嫌でもわかってしまった。
そういえば以前に一度、“個性”の制御を緩めたらどうなるのか、と緑谷が例のノート片手に質問をしていたことがある。その時は確か、が緑谷へ差し出すように掲げた右手の制御を緩めた途端、皮膚の肌色が剥き出しの銀白色へ移り変わり、ぼたぼたと水が溢れるように崩れ落ちたのではなかったろうか。それなりにショッキングな光景であったため、ぎょっと目を剥いた緑谷の顔は今でも印象に残っている。俺はその時、なんと思ったんだったか。
「……ああ、」
「うん?」
「なんつーか、ウンディーネみたいだよな、の“個性”」
「……うん?」
そう、ウンディーネだ、思い出した。
水銀を自分の一部として操るの姿は、水を司る精霊のそれと重なる。水銀は確かラテン語で生きている銀と訳されているし、水と生きるウンディーネはにぴったりではないだろうか、と一人頷いた。そして蕎麦を啜る。は理解の範疇になかったのか、眉間に皺を寄せて首を捻っていた。
「……う〜〜ん、そうかあ、ウンディーネかあ……」
「不満か」
「いや不満ってわけじゃ……、でも、そっかあ、じゃあもし、未来の私の旦那さんが別の女性に愛を抱いたとしたら、旦那さんを必ず殺さなきゃいけないね」
サンドイッチを既に食べ終えたは箸でパセリの天ぷらをつつきながら笑顔でそう言った。大凡昼食時にする話ではないだろう。しかも笑顔で。物騒な単語が聞こえたのか、少し離れた席で昼食を摂っていた見知らぬ生徒が些かぎょっとしたようにこちらを振り向いた。
「そういうもんなのか」
「そういうもんなの」
が重々しく頷く。次いで、ウンディーネの恋には制約が多いんだよ、知らないの?とまるで言い出しっぺのくせに、という副音声がひっついてきそうな口振りで訊かれたけれども、生憎四大精霊の名前を辛うじて知っているくらいの知識なだけで、その詳細までは見たことがない。別段興味もなかったからだ。
「……俺だったら、お前と結婚しても浮気とか不倫は絶対しねえけど」
ぼそ、とそう呟いてからまた蕎麦を啜った。昼休みも残り少ない、早めに食べ終えてしまわなければ。
立て続けに蕎麦を口に運んで、漸く食べ終えたところで箸を置いて手を合わせた。
ふと、からなにもレスポンスがないことを思い出してぱっと顔を上げる。
「……」
「…………なに……」
「顔でもいてえのか」
両手で顔を覆って俯いたまま「大丈夫です……」と僅かに震えた声で返された。その様子に首を傾げる。
「昼休み終わるぞ」
「先行ってて……」
依然として顔を覆ったままのに「これ食わねえのか」と皿にいくつか残されたままのパセリの天ぷらを指差す。これ、と指したにも関わらず、見えているのか「轟くん食べてもいいよ……」と言われたので、どうせ残すのならばと先程置いた箸を再度手に取って天ぷらに伸ばした。海老やかぼちゃの天ぷらはよく食べる中でパセリは初めて食べたけれども、意外と美味い。次に天ぷら蕎麦を注文する時にはパセリも足して貰おうと思案する。
「予鈴の前には教室戻れよ」
天ぷらを食べ終えてからそう言い残して、からの返答は待たずに二人分のトレーを手にカウンターへ足を運ぶ。「このド天然記念物め……」と些か恨めしそうなの声が背中に飛んできたけれども、意味がよくわからなかったので無視をした。
後に、実は今までの会話が聞こえていたらしい麗日や葉隠にが質問攻めにされることは、当然の事ながら今の俺には知るよしもないのである。