初戀



 彼が片手を上げてこちらを見て、唇が簡潔に動く瞬間を繰り返し見ていたいと思う。
 彼に見つけて貰った瞬間というのは他の何にも変えがたいような不思議な、けれど確実に恍惚としてしまう一瞬である。ただ、難点はその一瞬だけ、繰り返したり、意図的に行ってはなんの意味も持たない。
 ただ、风息が私を探すように視線を巡らせた後で、私を見つけて髪に隠れた片目を少しばかり開き、そして細め、ひょいと片手を上げて唇を動かす。私は闵先生みたいな生霊系の能力は持っていないから声はまだ聞こえないけれど、你好、とか、做得好、とか、おそらくはそういう簡潔な挨拶の為に唇は動かされる。
 駆け寄って抱きつくだとかそういう俗っぽい直接さとは程遠い、けれど、なにか心がむずむずと疼くような感覚で私は片手を上げ返しながら、脳の隅っこがなにか身体を動かしたいという衝動を訴える。ひとりでじたばたするだとか、足踏みをするだとか、ストレッチの如く手首を入念に動かすだとか。それらの衝動になど、さも気付いていないという平静を装った顔で私は风息のところへ近寄った。


「风息」

 お互いがお互いに近づいて、けれど同性とは明らかに違う距離を開けて顔を見合わせた。お疲れさま、とか、早かったな、とかそういう簡潔な会話を交わして、それから肩を並べて、けれど少しの距離を開けて歩き出す。
 彼には、彼らには目的があった。それは大義と呼んでもいい。綺麗事だけでは世の中は変えられない。そのためには手段を選んでいられず、だから、未来がどうなるかなんて誰にもわからない。
 私たちが目指しているもの、求めているものが本当に正しいかなんて、今は証明のしようがない。だって、私たちはただ、これ以上人間に居場所を奪われたくないだけなんだ。館の妖精は人間と共存することを選択して今でこそ呑気に生活しているけれども、いつか人間は妖精を消す。それだけは確実に分かっていること、決して許してはいけないこと。

「ねえ、风息」
「ん?」
「ひとりで勝手にどこか行っちゃわないでね」

 なんだよそれ、と微かに口許を緩めてフーシーが言う。戯れと捉えられてしまったかもしれない、けれど、決して忘れないでいて欲しかった。
 例えこの道の先にある目的地が違ってもいい。けれど、この始まりだけはずっと同じままでいたい。
 今辛うじて保たれている平穏は束の間に過ぎなくて、いつかきっと壊れてしまう。
 変えたい、変わりたい、でも変わりたくない。変化を不要だと祈るように感じながら、大きな风息の歩幅に合わせ、私も大きな歩幅で、足音をあまり煩くしないように、隠れ家にしている遺跡島の転送点へと向かう石畳の道を歩くのだった。