恋の寿命



 わたしは瀕死だった。
 ん、ちがう、それでは語弊がある。わたしがというよりはいまのわたしの状態、こころ、わたしをとりまく状況、彼との距離、空気、そういうものものが、瀕死だった。ことごとく。
 瀕死というのは、死んでいるわけではないけれど、もうすぐで死んでしまうかもしれない、という状況を言う。限りなく死に近い位置にいるということ。そしてどうしようもなく生きているということ。午前四時、青白い空気の中で息絶えることなく、飲めもしないコーヒーを無理矢理喉に流し込みながらわたしは意味もなく、とるにたらないくだらないことをいくつもいくつも考える。例えば、愛に伴う弊害とその対策について。それとなく、打開策を練らないこともない。
 そうしてわたしは結論付ける。ああ、徹夜明けのコーヒーはことさら不味い。

「飲めるようになったんですか」
「ちがう、けど、眠気覚ましにはカフェインがいちばんだから、我慢してる」
「我慢してる、割にはブラックを選ぶあたりが、無謀というか何と言うか、あなたらしい」

 呆れたように少しだけ口角を吊り上げて、けれど少しも馬鹿にしたふうではなく七海が言う。彼の言う"わたしらしい"は、一体どういう"わたし"を基準にして発せられたものなのだろうかと思案して、また一口。苦い、苦い苦い、不味い。だから次第に眠気は遠退く。そして夜明けが近付く。
 弱々しい蛍光灯の光が照らす共有スペースは薄暗くて、自動販売機の青白い光がいやにくっきりと浮かび上がって見える。残業三日目、徹夜二日目。ソファに尻でも腰でもなくもはや背で座っているわたしの隣には七海がしっかりと腰を据えている。午前四時。どうやら彼も徹夜明けらしく、時折黙り込んでは下を向いたり上を向いたりして、普段は掛けている独特の形状をしたサングラスが存在しない、端整な顔の眉間に深く皺を刻んでいる。きっとわたしが我慢して飲めないコーヒーを飲んでいるのと同様に、彼もまた欠伸でも我慢しているのだろう。彼は知り合った当初からそういう男だった。バカがつくほど真面目で奇特、優秀、これは惚れた女の欲目を抜きにしても確かなものだ。
 横顔を盗み見る。精悍な顔立ち、横顔に露呈してしまう誠実さ。ひそめた呼吸が肺へと逆流してしまうのを感じる。

(しんでしまいそう)

 ああ、瀕死、瀕死なのだと思い知る。わたしをとりまく全ては彼のせいでことごとく瀕死なのだった。思考力の低下、自尊心の乖離、モラルの瓦解。恋してるだとか愛してるだとか結婚しようだとかはたまた一緒に死んであげましょうだとかそういう惚れた腫れたの境遇にあなたは一切の興味を示しそうもありませんね、とか、ここで好きだと告げて返事も待たずにその唇に唇を押し付けてしまおうと考えるだけで行動に移しはしないわたしの舌なめずりの醜さなど知らないのでしょう、とか、考えてもしかたのないことをわたしの脳はどこからかいくらでも引っ張り出してくる。脳細胞のひとつひとつが瀕死。それもこれも七海のせい、ひとのせい。
 胸がわけもなくどきどきする。ことこまかに言えば動悸の原因と理由はやはり七海なのだけれども、それでも恐らくはこの形容が一番正しい。わけもなく、どきどきする。コーヒーの苦味、夜明け前、告白します。一目見たそのときから、七海が欲しかった。

「じろじろ見ないでください、私の顔に何かついてますか」
「あ、えっと、目と、鼻、それと口、あ、眉も」
「……馬鹿にしているんですか」

 いいえとんでもない。眉間に渓谷のような深い皺を刻み込む七海に否定を込めて微笑みをひとつ。彼はそれをふてたような顔で受け取って、それから前を向いてひどく眠たそうにゆっくりと瞬きをして言った。あまり、無理はしないでくださいよ。数日前から飼っている、目の下のくまさんが見つかったのかもしれなかった。
 わたしと七海の間にドラマチックな要素、展開、もしくはハプニング的ななにかはないものかと思案する。Aさんはアップルパイ、それを焼いた、切った、分けた、食べた、悼んだ、頷いた、望んだ、そんな意味のわからない童謡みたいなファンタジー。或いは悲しい歌でもなんでもいいから、なにか、打開策が欲しい。愛に伴う弊害とその対策について。うまくやりたい、けど、どこにもリスクがあるのは世の、常です。

「七海も、無理しないほうがいいよ」
「私は無理はしていません、無理をしているのはあなたのほうでしょう」
「わたしの眠気覚ましにまで付き合う必要なんかどこにもないじゃない、部屋に帰って寝ればいいのに」
「此処にいたいからいいんです、何処にいようが私の勝手でしょう」

 七海は言って、腕を組んで背をソファに預けて目を閉じた。期待させるようなひどい言葉、精悍な横顔をわたしに見せつける。そうしてわたしは嬉しいやら悲しいやらコーヒーが苦いやら不味いやら七海が愛しいやらかっこいいやら憎らしいやら愛しいやらでなんだかよくわからない気分になって、再び瀕死の気分を思い知る。思い知る、呼吸の重要性。どうしようもなく生きていること。どうしようもなく、七海を好きなこと。ぐっと喉を逸らして飲み干すコーヒーが苦い。苦い苦い。

「そんなに、わたしのこと好き?」
「ええ、好きですよ」
「……、っ、え」
「と言ったら、あなたはどうしますか」

 からん、からから。缶コーヒーがわたしの右手をすり抜け、床にダイブして、妙に間抜けな音をたてて明後日の方向に転がった。目をめいっぱい見開いて阿呆な顔面を晒しているわたしのくろい瞳には七海のどこまでもどこまでも真率な顔が映っている。そんなに真面目な顔をして、そんなにひどい冗談を言うひとがありますか、路地裏の捨て猫だって幾分かましな冗談を言います。質問の回路は途切れて消えた。わたしは七海建人という人間を知っている。リスクを覚悟して、愛して背負った人間の目を、声を、息遣いを知っている。
 わたしは瀕死だった。状態、こころ、わたしをとりまく状況、彼との距離、空気、そういうものが、ことごとく瀕死だった。けれど今、自身の心音が消えたのを確かに聞いた。瀕死のわたしはほんの少しの衝撃にすら限界を感じるのに、これはひどい。即死、だった。
 ひとの一生はあまりにも短いけれど、そこに詰め込まれるきらめきや汚さには際限などない。涙はきっと身体が破裂してしまわないようにあるのだと思った。なぜなら瞳から溢れるそれにも際限がない。

「わたしもすきって、いう」

 どうしようもなく涙が含まれた情けない声は彼の耳にも届いただろうか。もしも届いていないのならば何度だって言いましょう。好きです好きです、死ぬほど、死んでしまったほど、好きです、貴方だけ。
 。誰よりも正しい発音でわたしの名を呼んだ七海の声が鼓膜にこびりついた。
 夜明け前、午前四時、わたしたちは世界の片隅で息を引き取る。今日を生きるために。