「わあ。かわいい」
珍しくデートをした。悟くんがお得意の店に注文していた新しいジャケットが出来たから、それを受け取りに行くついでに、ということだった。悟くんは「デートついでに取りに行きたい」と言ったけれど、わたしが「逆じゃない?」と訊くと素直に黙ったので、ついででも許してしまった。悟くんはそのあと「逆じゃない」と言い張ったけれども。まあ、どっちでも嬉しいのはほんとうだ。なにかと忙しい特級呪術師様な悟くんと丸々1日休みが合うのは久しぶりで、デートというデートもしばらくまともにできていなかったから。
お昼前に待ち合わせをしてランチを済ませて、悟くんに付き合ってショップ巡りをしている途中にレディースも取り扱っているショップへ入る。そこにディスプレイしてあった控えめなネックレスが可愛くて、思わず言葉をこぼしてしまった。うわあ恥ずかしい、誰か聞いてないといいけど、と思いながら周りを見渡すと、先程まで店員さんと話していたはずの悟くんがいつの間にか後ろにいて、わたしの肩越しにネックレスを見遣ると「似合いそう」と呟いた。あっ、聞いてたのね……?
「僕が買うから付けてよ」
「えっ?い、いやいいよ、悪いし……」
「なんで?」
ほんとうになぜなのかわからない、といった顔できょとんと首を傾げた悟くんはネックレスからわたしへと視線を移動させた。なんで、って。別にそれほど値段が高いわけじゃないし、記念日やイベント事ではないときにプレゼントをされることに対しての抵抗があるわけでもなかったけれども、わたしはついこのあいだも悟くんに物を貰っていたからに他ならなかった。
この前は家で悟くんの服を見ていたとき「このTシャツかわいいね」となにげなく言ったら、「じゃあそれあげるよ」となんの躊躇いもなくぽんと渡してくれた。彼氏の服を着ることに多少の憧れがあったこともあって、わたしはつい素直に喜んで受け取ったのだった。
けれどもよくよく考えてみると、その前に会ったときも高いと有名なチョコレートを貰ったし、またその前も「サイズ合わなかったから」と華奢なバングルを貰った。けれどそのバングルは明らかに悟くんが付けるには可愛すぎるもので、きっとわたしに買ってきてくれたんだな、と一目見てわかったほど。そしてその前はと、そこでふと考える。思い出してみると、悟くんはわたしに会うだいたい二回に一回のペースなにかをプレゼントしてくれていた。それはちょっとしたお菓子だけではなくて、アクセサリーや服、欲しいとなにげなく言っていた本や雑貨などさまざまで、誰がどう見たって明らかに貰いすぎている。
そういった経緯があって、もらえないよ、と両手を振ると、悟くんは「ふーん」と相槌を打つとわたしがなにかを言う前にそのネックレスをレジへ持っていってしまった。えっ話聞いてくれてた?
「さ、悟くん」
「なに?」
「ほんとに申し訳ないから……」
「でももう買っちゃったし」
それはそれですぐに返品すればいいだけの話なんだけれども、さすがに店員さんが包んでくれた目の前でやっぱり返品します、だなんて悟くんの面目を潰すようなことは到底できなくて思わず閉口してしまう。店員さんとのやり取りを見る限りこのお店にはよく来ているらしかったし、彼女にプレゼントを買って拒否されたなんてことがあれば、恥ずかしくてもうお店に来れなかったりとか……。そう考え込んでしまっていたら、「じゃあ今日付き合ってくれたお礼として受け取って」とにっこり。そう言われてしまうともう、わたしは受け取らない理由が思いつかなくて、若干の罪悪感を抱きつつ「じゃあ……ありがとう」と言ってありがたく受け取ることにして、「でももうプレゼントはいいからね」と言い含めるように付け足すと、悟くんはまたにっこり笑って頷いた。
*
「あのとき悟くん頷いたでしょ!」
「うん?」
「もうプレゼントいいよって言ったとき……!」
「えー?」
あ、あくまでシラを切るつもりだな!悟くんはそういうところがある。自分の都合が悪いときにはそうやって適当に濁して、話をうやむやにしてしまう。でもこれだけは譲れない。わたしは自分の部屋の安いローテーブルに置かれた、ハイブランドのお財布の箱を見てわなわなと震える拳を握った。
ネックレスを買って貰ってからおよそ二週間。その間もそれなりの頻度で会ったけれど、コンビニなどでお財布を出したときは必ずお会計を分けてもらったりして一切なにかを貰うことがなかったものだから、初めから言っておけばよかったな、なんて思っていたのに。今日会った瞬間に「そういえば」なんて差し出したのはわたしでも知っているハイブランドのロゴが入った紙袋。まさか、と思ったら予感は的中、中身はわたしの給料では到底手が出せないような額のお財布が入っていた。
「これいくらすると思って……」
「でも平均より安いくらいよ?」
「どこの平均と比べてるの!?」
このお財布はよくよく見ると、ネックレスを買ってもらう前に2人で雑誌を見ているときに「これいいなあ」とぽろっと零したものだった。でも高いし手は出せないなあなんて笑いながら言ってたやつだ。しかも悟くんが差し出したお財布は、ご丁寧にわたしの好みの色。これいくらだっけ、じ、じゅう……うわっ考えたくない。とにかく受け取れないよ、と眉を下げると、悟くんはぶすっと唇を尖らせてあからさまに不機嫌になってしまった。
「……なんで?」
なんで受け取ってくれないの、常世欲しがってたじゃん、という意味の「なんで」なのだろう。けれども、前述したようにわたしは悟くんから既にたくさんのものを貰いすぎている。そのうえ、さらにこんな高いものをなんの記念日でもないというのにぽんと貰ってしまっても、わたしは悟くんになにも返せない。生活費だってやりくりしてどうにかすこしだけ余裕がある程度のわたしが、悟くんが欲しいような高い服だったりを買ってあげることはできないし、そもそもわたしはなにかを貰うために悟くんと付き合っているわけではないからだ。
「……僕ね、常世が好きだよ」
「う、うん……?」
「すごく、ほんとに……こんなの初めてかもしれないってくらい」
悟くんはゆっくり詰め寄ると、わたしが悟くんから貰ったバングルをいつもつけている左手首をするりと撫でて、腰を掴み、悟くんのものだったTシャツを親指で軽く引っ掻く。そうして、薄い唇が、この前買ってもらったばかりのネックレスごと鎖骨に触れた。突然なにをしてくれているのだろうか、恥ずかしくてわけがわからなくて、なんの抵抗もすることができない。ゆるやかに押し倒されて、改めて悟くん越しに部屋を見て気付く。悟くんにもらったものばかりが、わたしの部屋もわたし自身をも埋め尽くそうとしている。
「……知ってた?常世」
「え……え?っわぁ!なっ、なにっ?」
いきなりわたしの足首を掴んで持ち上げ勢いよくひっくり返すと、悟くんはわたしの太ももの裏に唇を落とした。な、なにしてるの!?恥ずかしい体制で急にキスをされてパニックになっていると、「ここと」悟くんは自分がキスした場所をちょんとつつく。その手はゆっくり上がって、倒れた勢いでめくれたTシャツの隙間に手を差し込んで、「ここ」するりと腰を撫で、人差し指で軽く引っ掻くと「ここも」Tシャツを捲りあげ、胸の横へブラジャー越しにくちづけた。
「キスマーク付けてたの、知ってた?」
「……な、」
「知らないよね?あとは……ここも」
片腕で仰向けに倒れていたわたしの腕を掴んで持ち上げて背中の隙間に掌を差し入れると、背中の中心に爪を立てて軽く引っ掻いた。恥ずかしいやら言葉が出てこないやらなにやらで、ますます頭が混乱する。悟くんはわたしが自分で確認できない至るところにたくさんキスマークを付けている、らしい。顔を赤くして動揺しまくっているわたしを見た悟くんはすこしだけ困ったように眉を下げて目を伏せると「……どうしたらいいかわからないんだよね」と呟いた。ふるり、と悟くんの長い睫毛が震える。
「僕といない時も僕のものだって証明してほしい、だから常世の全部を僕で埋め尽くしたくて」
「な、な、なに言って……」
「服も、アクセサリーも、……そうだ、香水もあげたよね?……身体も、心もぜんぶ、僕でいっぱいになるでしょ」
だから、常世になにかあげるのって実質自分のためなんだよね。そう言って先程までの憂いを帯びた表情が嘘だったかのようにからりと笑うと、片腕でわたしを抱き起こしてくれた。ますます混乱してきてしまった。ど、ど、どういうことだ、つまり。なんだか冷や汗が出てきた。「さ、悟くんは私を支配したいってこと……?」ぽつりと呟くと、悟くんは一瞬驚いたように空色の目をまるくすると、次いで納得したように「なるほど」と頷いた。
「そうかも。……僕って案外独占欲あったんだね」
「……あ、……そ、うなの……?」
「うん、そうみたい!」
だから気にせず受け取ってよ、とにっこり微笑まれて、まだ大分混乱していたわたしは流されるように「あ、はい、ありがとうございます……」なんて口に出していて、結局素直に受け取ることになってしまった。えっ怖い。無邪気に笑うところがまた怖い。
冷静に考え直したとき、なにか悟くんの触れてはいけないところを覗いてしまったような気がしたけれども、それをただの興味本位で深く突っ込むなんてことはできそうもなかった。まるで今にも割れそうな薄氷の上に立っているような気分になってしまって、喉が緊張により上下する。
「あの、ね、せめてなにか悟くんにお返ししたいんだけど、なにか欲しいものある?なんでもいいよ」
「……、……ほんと?」
「あっ……、…………うん」
「じゃあ、婚姻届」
後日、硝子ちゃんにすべての顛末を話すと「常世バカじゃん!」と言って笑い飛ばしてくれたのが、唯一の救いだった。