なんでなん、と問われた。なんでもクソもあるか、と思った。
五条は高専の寮の前で立ち尽くしていた。暑い、三十度を優に超す炎天下、そして彼の足元では凶暴なアスファルトが絶えず熱を放出している。貧相なガラス戸ひとつ隔てた向こうは十分に冷房の利いた天国のはずだ。けれども彼がそこへ踏み込めないでいるのは、同期であり仕事仲間であるはずの間宮侯隆が、ロールプレイングゲームのラスボスよろしく戸の前で仁王立ちになっているからである。日影すら奪われた五条は、低い階段を上がった先の彼を見上げた。間宮は五条ほどではないにしろそれなりに整った顔を歪ませて、不機嫌をむき出しに五条を見下ろしている。
「なんでなん、あんなん、あんな奴、ほっといたらええやん」
「そっちこそなんなのさ、もう俺の、俺のことなんてほっときゃいいじゃん」
「なんでなん!」
間宮がひどく泣きそうな顔で吠えた。なんでなん、と問われればやはり、なんでもクソもあるか、と五条は思う。けれどもそれをはっきりと口にできるほど、今の彼は自分の中の感情を上手く整理できてはいなかった。なにも言い返すことができずに五条はただ唇の端を噛む。
間宮のいう「あんな奴」とは今となっては"かつて"の自分たちの同期で仲間であった、夏油傑のことである。とある一件について諸悪の根源と呼ぶことすらできる彼に、五条は完全な敵意を向けることができないでいた。自分たち呪術師が守るべき存在である非術師を殺したのは夏油傑そのひとであったし、加えてなんの躊躇いもなく100人を優に越えた数の人間を殺害して呪術師落伍の果てに呪詛師となり追放されるような、イカれた人間が多い呪術師の中でもおよそまともと呼ぶことはできない奴である。決して正義の味方と呼ばれるような褒められてた存在ではないけれども、それにしても呪術師の肩書を持つ限りそれにはそぐわない感情、彼に対する同情めいたものを、五条は少なからず抱いていた。
「俺間違ったことゆうてへんやろ」
その通りだ。グイと顎を上げて高圧的に見下ろしてくるものだから、彼よりも上背のある五条もひとまわりほど小さくなるような心地がする。家入が夏油と遭遇したことを電話で知らせてきたとき、わざわざ追いかけるように会いに行ったというのに結果やすやすと取り逃がすようなことになってしまったことは、できることなら間宮には知られずに居たかった。人間としても呪術師としても。あのあと、帰宅途中に間宮とはち合わせたのは高専に戻ってきてすぐのことで、今回の件に関して彼に隠し立てすることは誠実とは程遠いことだと感じた五条が面会のことを白状してからというもの、間宮の態度はますます堅く、鋭いものになった。「お前、仮にも呪術師やってんのに」そして彼の言葉は一般的な倫理観では寸分の狂いもなく正しい。
「お前、おかしいって」
「ほっといてくれよ、そんなもん、俺が一番わかってんだから、おかしいんだって、裏切られたし、そうでなくても何人も殺してるような、あんなクソみたいな奴に、あんな、クソみたいな奴に――、知ってるよそんなの、俺、おかしいんだって」
まとまりのない言葉だけが吐き出されて、八つ当たりのようにぎっ、と間宮を見据えると、彼は愛嬌のある目を大きく見開いた。彼の顔には太陽よりか日影の暗さがよく映える。間宮が表情のないまま少しだけ俯くと、端整な顔にはいっそう暗く影が落ちた。五条は首筋から背中にかけて、汗が滑り落ちる感覚をなぞった。
「お前ほんまにおかしい」
呪術師だというのに五条や家入たちほどイカれていない、所謂"普通"の考えができる間宮は消え入りそうな声でそう呟いた。蝉の合唱はなんだかすこし遠いのに、それにもかき消されてしまうようなちいさな声。おかしい。五条は溶けだしそうに暑い太陽の熱を一身に受けて、す、と血の気が引いたように身体の芯が冷えてゆくのを感じた。おかしい。
正義を歪ませてしまう夏が、てっぺんに到達しようとしている。