季節の魔物



 はたして。わたしはどうして、大して話したこともない仁王立ちのクラスメイトに、冷ややかな目線で見下ろされているのだろうか。思い当たる節が、全くない。ゆらゆらとちいさく揺れる視界と、保健室独特の匂いが、きっとわたしに何かがあったんだろう、ということを知らせてくれるけれど。

「あのさあ」
「……はい」
「普通、ちょっと体調悪いかな?って思ったら、先生に言うなり日陰に入るなりしてさあ、休むでしょ。知ってる?今日。真夏日だよ。30℃超えてんの。こんな日に女子を外で走らせるのもどうかと思うけど。それにしてもだよ」
「……体調悪いことに気づきませんでした」
「まさかとは思ってたけどほんっとバカだね」
「ゴ、ゴメンナサイ」

 やばい。めっちゃ怒られてる。あんまり話したことないのに怒られてる。しかもバカ呼ばわりまでされて。でも、目の前にいるクラスメイト、月島くんの言ってることは、何ひとつ間違ってない。少しずつ鮮明になってきた視界で辺りを見回せば、彼の真っ白な肌が目にまぶしかった。こんな涼しい顔してるし、ほんとに今って体育の授業中なんだろうか。でもわたし体操服だし、きっとそうなんだろうなあ。あんまり思い出せないけど。
 ていうか、こんなにうるさくして先生に怒られたらどうしよう。ちょっとビクビクしてる。

「先生なら30分くらいここ空けるって」
「な、なるほど」
「言っとくけど、怒られるようなことしたのはそっちなんだからね」
「……ハイ」
「いきなり立ち止まった、って思ったらグラグラ揺れだして」
「エッ」
「僕が支えたら死にそうな顔で、大丈夫大丈夫、とか言うけど全然大丈夫そうじゃないし」
「…………」
「しかもそんな状況なのに、一緒に倒れちゃうわたし重いからとか言い出して。ほんとバカじゃないの?そんな華奢な身体で。むしろ引くほど軽かったんだけど。ごはん食べてんの?」
「た、食べてます……」
「ほんとこれ以上余計な心配させないで。心臓止まるかと思ったから。バカだから体調悪いって気づかないんだろうけど万が一気づいたらすぐ僕に言って。保健室くらいまでなら引きずってってやるから。まあ僕くらいしか連れてこれないと思うけど。すごいひどい顔してたし」
「!!!」
「みんな心配してると思うしとりあえず早く体調戻した方がいいよ。先生戻ってきたら早退の手続きしてくれるって言ってたし。カバンは僕が取ってきたから」
「あ、ありがとうございます……」

 なんだかよくわからないけど月島くんはいい人だった。さんざん怒られても、ん?もしかして心配してくれてる?なんて言葉の節々もあったし。まあ、うまくまわらない頭で勝手に都合よく考えてるだけかもしれないけれど。とりあえず、言われた通りはやく元気になってまた学校来よう。そんなことを考えられるくらいには、体調も落ち着いてきた。月島くんがいなかったら、今頃グラウンドでぶっ倒れてたのかもしれない。ほんとうにありがたい。恩人だ。

「じゃあ僕教室戻るから」

 体操服から伸びた白い手が、ゆっくりとわたしの額を撫でた。ひんやりと心地よかったけれど、さっきの言葉とは裏腹に、ひどく優しいその手つきに、戸惑いを隠せない。……え、なんで。
 盗み見るように月島くんに視線をうつせば、なんとも整った顔が、まっすぐにこっちへと向けられていた。はりついたように、目がそらせない。
 うすいくちびるが、ゆっくりと動いた。

「言っとくけど、いちばん心配したの、僕だからね」

 ねえ。せっかく、落ち着いたと思ったのに。さっきまで、あんなに威勢がよかったのに。そんな、心配そうな顔、しないでほしい。どくり、どくりと心臓が大きく音をたてている。痛いくらいに、胸がくるしくなった。
 ぜんぶ、月島くんのせいだ。そんな顔、するから。

「……ありがとう」
「どーいたしまして」
「やさしいね」
愛子だからだよ」
「エッ」

 月島くんが背を向ける。パタパタと遠ざかってゆく足音がどこか名残惜しくて、ゆっくりと目を閉じた。
 わたしが元気になって、月島くんに会ったら。ひとこと、言ってやろう。“月島くんのせいでドキドキして体調悪くなった”って。そしたら、きっと、ほんっとバカだね、って言いながら、うれしそうな顔で笑うんだ。ちいさく緩む口元もそのままに、そんなことを考える。こんなにくすぐったい気持ちになるのは、月島くんだからだよ。ぶり返した頭痛と一緒に、そんなことを考えていた。ほんと、お花畑みたいな頭だ。わたし、やっぱり、バカなんだろうなあ。……月島くんの、言うとおり。